シュッと空気の抜ける音と共に扉が開く。
「リツコ居るぅ?」
 嘆息。
「戸が開くんだから居るに決まってるでしょ、そういうことは入って来る前に確認してくれる?」
 たはははは、といつものようにミサトは笑った。
「ごみん」
「それで、なんの用なの?」
 珍しく何もしていなかったようで、リツコはくつろいで雑誌を開いていた、ファッション紙だ、ミサトは目を丸くした。
「どうしたの、それ」
「マヤの忘れ物よ」
「なんだ、リツコもやっと人並みにおしゃれする気になったのかと思っちゃった」
 自嘲気味にリツコは笑った。
「もうそんな歳じゃないわ、いまさらね、恥ずかしいし」
「やめてくれる?、勝手に老け込むの、あんたがそれじゃあたしまで手遅れって気になって来るわ」
 こういうところに二人の差があるのだろう、ミサトはまだ諦めていないようだ。
「まだまだ二十代でイケるって」
「そう?」
「でも人の目を気にするリツコっていうのも想像し難いけどねぇ」
 はっきり言ってくれるわとやや引きつる、だが自覚はあるらしい。
 確かに自分であれば男の目を引くために着飾るなど馬鹿らしいと考えてしまうだろう、そう思っていた。
(どうかしらね……)
 実はリツコは処女だった。
 男性経験は無い、付き合ったこともない、別に男嫌いなのではなく、機会が無かっただけだった。
 高校、大学と、普通の子は恋をするが、全員が全員するわけでもない、期待していながらも、機会無く過ごしてしまう者が居る。
 リツコがそうだった、大学に至ってはこの友人とその彼とつるんだために、さらに機会を逃してしまっていた。
 そして気がつけばネルフで研究漬けになっていた、ゲンドウに無理矢理奪われた唇、それがファーストキスだと言うのだから驚きだ。
 あの時は嫌悪の念しか抱かなかったが、時が経つにつれて意識し出すようになっていた。
 好意というのではなく、妙に繰り返し思い出してしまうのだ、それだけ刺激的な事件だったと言う事だろう。
「なにぼうっとしてんの?」
 あっと焦る。
「なんでもないわ」
「そう?」
「それより、どうしたの?、今日は」
 えっとねとミサトは頭を掻いた。
「4号機のことを聞こうと思ってね」
「4号機ね」
 本来こういう事は書面にして解答を求めるものだろう、それをのこのこと直接聞きに来る。
 これについては、リツコは完全に諦めていた、知っていたからだ、彼女の作文能力を。
 思い付いた事をそのまま書くために文脈と言うものが欠落する、一、二、三と関連性の高い情報を望もうとするのならまだしも、彼女は「あ、忘れてた」と後から後から追加する。
 そのくせ、口答では聞き逃しをしない、要点も突く、友達であるからこそ堪えられる変癖だと言えた、実際大学時代、ミサトのレポートに教授は数度に渡って駄目を出している。
 ミサトが語る内容をリツコが筆記しなければ、今でも通っていなかっただろう、ミサトは頭で考えて纏める事が出来ない類の人間であった。
 頭で纏めても、書こうとすると端々を忘れる、そういう作りの頭をしているのだ。
 もちろん、書きとめながら考えるような器用さも持ち合わせていない。
「4号機の修理なんだけどさ、予算の問題もあるし、認めるかどうか悩んでんのよ」
「技術部としては、認めてもらいたいんだけど、きついの?」
「きつくはないわ、ただエヴァの強化や研究、改装を遅らせてまで修理させる必要があるかどうかなのよ、第一使徒があとどれくらい出て来るかも分からないんだからね、お金のプールは幾らでも欲しいわ」
 それもそうかとリツコは悩んだ。
 このところ新種の使徒ばかりが連続しているが、以前は第三使徒がしつこいくらいに出て来ていたのだ。
 第五使徒のような強力な武装を保つ使徒がもう出て来ないとは限らない。
「それを削ってまでってのもね、どうなの?」
「……戦闘力を考えると、手を付けない方が無難でしょうね」
「やっぱりそうなるの?」
 リツコは確認に対し首肯した。
 カヲルが居なくなった今、4号機は前身でもあるアルファに等しい能力を発揮するのがせいぜいだろう。
 それでは直す意味が無い。
「廉価版の話はどうなってんの?」
「取り敢えず設計はやらせてるわ、チルドレンがああでもないこうでもないって詰めてる、とりあえず操作系は4号機の新型コクピットシステムをフィードバックすれば良いわけだしね、問題は機動性、使徒のATフィールドを破るための出力が得られないなら、せめて牽制行動が行えるように、使徒の攻撃を避けられるだけの機動性を与えなくちゃならないから」
「それが難しいの?」
「そうね、『回廊』の平均的な広さは横幅五十から百メートルでしょう?、これだとRPGゲーム程度の隊列しか組めないわ、第五使徒のような出力の攻撃で薙ぎ払われたらアウトでしょう?」
「対策は何通りあるの?」
「どれも似たり寄ったりよ、防御力を上げれば鈍重になる、つまり攻撃を受けやすくなる、攻撃には堪えられるでしょうけど逃げられなくなる、機動性を上げるためには機体を軽量化するしかない、そうなれば防御力は下がる、パイロットの死亡率が上がるわね、ならばと機体を小型化すると、今度は回避率は上がるけど攻撃力が物足りなくなる、攻撃力も削り過ぎると牽制にもならないから意味が無いわ」
 ATフィールドを貫く能力がないにしても、地の装甲に傷を付けられる威力を認めれば、使徒は無視せずに反応を示す。
 自動、自走、自考兵器としての特性なのだろう、そのようにプログラムされているのだ。
「過去のデータに照らし合わせるだけでも、それだけ解消しなければならない問題があるのよ」
「考える時間が必要?」
「出来ればね」
 ふうんとミサトは考える素振りを見せた。
「ミサト?」
「ん?、ああ……、この頃あの子たちもさ、張り詰める事が多かったし……、ちょっと息抜きさせてやろうかと思ってね」
「何をするつもり?」
「そう難しい事じゃないわ、今って深層部への潜行作業が優先されてるでしょう?、それを調査に切り替えてもらおうかと思ってね」
「上の階層をってこと?」
「そうよ、上って言っても未発掘な領域ってかなりの面積がある訳じゃない?、けっして調べなくてもいいって訳でも無いからさ」
「……出て来るのもこれまでの使徒と同じレベルと言う訳ね」
「上手くいけばサキエルクラスを相手にするだけで済むわ」
「そうね……」
 リツコもまた一瞬だけ考えた、ミサトが答えを期待していると、視線を感じながらも熟考した。
 そして決して短くない時間を使って、彼女は同意を示したのだった。


 よっしゃとミサトは手を打った、作戦部と技術部の利が一致を見るということは、それは無視出来ない問題なのだと言う事だからだ、これで上申出来ると言うものだった。
 共に立て直しのための猶予を求めている、それは首脳部……、と言っても二人であるが、彼らにも十分な問題だとして認識された。
「なんだかなぁ……」
 発掘作業に必要だと言う資材の詰まったコンテナを、初号機で軽々と持ち上げ運んでいく。
 シンジはこのまま一気に奥へ奥へと進んでいくのだろうと思っていたから、肩透かしを食らわされたような気分へと陥っていた。
 気が抜けてしまう、急くものがあっただけに、苛立ちとまでは行かないが、それに似たものを募らされてしまっていた。
 そんなシンジの01を追いかけているのは03、3号機のトウジであった。
 両手で一つのコンテナを持つシンジに対して、こちらは両肩に抱え上げている。
「まあそういうなや」
 トウジは苦笑していた、こちらは安心も手伝っているようだが。
「わしは感謝しとるで、おかげでゆっくりトレーニング出来るしな」
「そう?」
「そや!、お前のおかげで殴るだけが芸やないって分かったし」
 だから浮かれているのだろう。
 ただそれをものにするには時間が掛かり過ぎるのだ、トウジはシンジに見られないのを良い事に、顔を少しばかり苦渋に歪めた。
 シンジがあの女と付き合い出した、それがしこりになっている、何故あの女なのかと思った、レイやアスカではなく。
 だがもう一方では納得していた、気に食わないのは一度ならずコケにされているからだ、それは自分の感情であって、コダマとシンジには関係が無い、そしてアスカとレイである、この頃あの二人は『重過ぎる』のだ。
 カヲルが居なくなったからというのではなく、重いのだ、雰囲気が、それでは気が詰まるだろうなと感じてしまう。
(わしはまだ……、委員長みたいなんがマシやな)
 彼女がコダマの妹だということは考えの外に放り出している。
 好きなら好きで良いはずなのだが、あの二人はなにか殺気立っている気がするのだ。
(そりゃ逃げたなるやろ)
 しかしトウジはその理由にまでは、全く思い至ってはいなかった。



[BACK][TOP][NEXT]


新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。