「はぁ、まいったなぁ……」
 シャワールームに入り、シンジは液状洗剤を頭につけて泡立てた。
 顔、首、腕と塗り広げていく、エヴァの分泌物はかなり特殊で、普通の洗剤では落とし切れない。
 慣れたとはいえ、気持ちが良くなるものではない、それに拍車をかけるように、今は気分が悪かった。
「なんとかしなくちゃな……」
 レイとアスカ、このままには出来ないと思う、だがどうにもきっかけが掴めないのだ。
 二人とも雰囲気がおかし過ぎて近づけない。
 そう考えるとレイの存在は疎ましかった、一見して機嫌が悪くないだけに何も突っ込んだ事を聞けない。
 神経がささくれだっているのか、先程のようにつんけんとされて、引っ込むしか無くなる。
 シンジは別に、レイが想像しているように拗ねてしまった訳ではなかった、怒らせちゃったかと溜め息を吐いていただけである。
「……多分待ってくれてるんだろうけど」
 外にはレイがいるのだろう、しかし気が重い。
「コダマさんが居たら、またややこしくなるかな?」
 シンジは壁に手をついてうなだれた。
 そんなレイが傍に付きまとっているから、アスカにも接触出来ない、アスカが見えるとレイが氷のような雰囲気に身に纏うからだ、そしてアスカは逃げていく。
「はぁあああああ……、どうしたら良いんだよ?」
 コダマの言う通りで、自分は女の子の気持ちには敏感ではないなと実感する、何を考えているのか、何を思っているのか、何を望んでいるのか、何一つ確信が持てないのだ。
 本当は確信などいらないのかもしれない、こうして欲しいんだろうと思い込んで接してやれば、なんでも好意的に受け止めてもらえるのかもしれない、それは一人よがりだが、好意を持っている相手のやることというのは、どんなことでも楽しく、嬉しく感じるものだ、シンジはレイのそんな心理にこそ気がつくべきだった。
 そしてそれに気がついているのはミサトである。
「あたしだって、そんなに恋愛に聡いわけじゃないけどさぁ」
 発令所、のんびりとした空気の中で、オペレーター三人にリツコ、コダマを加えて世間話に華を咲かせている。
「それでもシンジ君のオクテぶりには頭が下がるわ」
「オクテなんですか?」
「でもシンジ君ってモテてるって話を聞いたけど、なぁ?」
「そうですよ、結構デートしてるとこ見掛けたって話、聞きますよ?、それもその度に相手が違うって」
 ミサトはマイクを向ける仕草をした。
「その辺り、現役カノジョとしてはどうですか?」
「……裸で目の前に座っても、興奮するより脅えるんですよね、シンジ君は」
 ぶっと吹き出す大人達である。
「マジ?」
「はい」
「そりゃあ、ダメダメねぇ……」
「ミサト……」
 頭痛を堪えるリツコである。
「あなた、何か間違ってない?」
「何が?」
「普通は注意するものじゃない?」
「ガキじゃあないんだから、それに、シンジ君ってただ暮らすだけならもう一生食ってけるくらいの預金があるんじゃない?、子供が出来たからって大丈夫でしょうし……、まあ、女関係がもつれて慰謝料どうのこうのになったら、あっという間に尽きるでしょうけど」
「シンジ君って、目の前で抱いてくれなきゃ嫌だって泣き入れないと、多分シてくんないと思うんですよねぇ」
「そうねぇ」
 フケツよフケツよと悶えるマヤ、その隣ではマコトとシゲルがコメントに困っている、リツコは呆れ果てていた。
「あなた達……」
「ん?、あのねぇリツコ」
 ミサトは声のトーンを落とした。
「あたし本気で心配してるのよ」
「どうして?」
「だってあの子……、あたしがどんな格好してたって、ドキッともしないのよ?、おかしくない?」
「おかしいのはあなたよ……」
「ひっどーい!」
 ぷくっと膨れる。
「あなたはどうなの?」
「はい?」
「付き合っている人にミサトみたいな小姑が居て、どう思うの?」
「別に?」
「別にって……」
「関係無いんじゃないですか?、シてるかどうかなんて言わなきゃ分かんないんだし、そっちだって気付いても聞けないでしょう?、隠れて付き合うなんていくらでも出来るんだから、誰が居てなに思われてたって関係無いですよ」
「……新人類」
「はい?」
「昔の言葉で、理解できないと言う事よ」
「そうですかぁ?」
 コダマは大きく首を傾げた。
「あたしは……、どっちかっていうと、どうしてネルフの人ってこんなに倫理とか道徳ガチガチなんだろうって思いますけどねぇ」
「……そうでなければ規律が保てないもの」
「それだけじゃないんじゃない?」
「ミサト?」
「昔の体質でしょ?、まだここが実験場になる予定だった頃の……、密閉された空間になる以上、ルールは厳格に守ってもらう必要があった、その規範を示す必要があった、その締め付けが今でも後を引いてるんじゃないの?」
「……わたしとしては、その方が好ましいわ」
「でも好きになった者同士には通じない理屈よ、そうでしょう?」
「好き……、の意味にもよりますけどね」
 コダマはそう言って曖昧に笑った。


「それじゃあ行こうか」
「うん……」
 元気のないレイに嘆息する。
 シンジはどうしたものかと悩んでいた、元気づけるのは簡単だろうが、それは深みにはまる事を意味しているからだ。
 一応コダマを彼女にしている以上、困った事態は引き起こしたくない。
 それもまた一つの本心である。
「レイ……」
「ん?」
「レイって……、いつも泣いてばかりだね」
「え?」
「何がそんなに悲しいのさ」
 泣いてなんて、そう言いかけてシンジの真摯な瞳にぶつかる。
「べ、別に……」
「そんなことないじゃないか」
 はぁっと嘆息。
「辛い?、僕に関るのが」
「そんなことない!」
「そんなことない、か……」
 シンジは唇を尖らせた。
「正直、僕にはレイの気持ちが分からないよ」
「え……」
「だってコダマさんと付き合ってるって言っても嫌おうとしないし、怒りもしない、なのに……、ねぇ、どうして僕にかまおうとするの?」
「……好きだから」
 だからと言い募る。
「シンジ君の傍に居たいの!、いけない!?」
「いけなくはないよ……、でも」
 ぽつりとこぼす。
「幸せそうには……、見えないから」
 ──ドン!
 そんな勢いで、レイはシンジの胸に飛び込んだ、肩口に顔を埋めて唇を震わせた。
「シンジ君が幸せそうに見えないからだよ」
 それはシンジに酷い困惑を感じさせた。


「幸せか」
 同じ頃、まだアスカとマナは食堂に居た。
「アスカってモテるし人気あるし人望もあるのに、いっつも暗いよね?」
「……はっきり言ってくれるわ」
「だからかなぁ?、余計に幸せそうには見えないっていうか……、何が楽しくて生きてるのか分かんない感じがするのよね」
 それはそうだろうとアスカは思った、今の自分はシンジのためだけにここに居るのだから。
 自分がシンジを差し置いて幸せを享受するなど以ての外だ。
「不幸は伝染するのよね……」
「え?」
「あたしは不幸ですって顔してる奴が居ると、こっちまで暗くなるって話!、だから碇君も暗いんじゃないのぉ?、アスカがなぁにか落ち込んでるから」
 そんなことないわよ。
 アスカはそう、力無く呟いた。



[BACK][TOP][NEXT]


新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。