幸せな姿というものがどういうものか?、それは個人個人の主観によって、大きく違ってしまうものだろう。
 アスカの間違いは自分の理想をシンジに押し付けようとした事にあった、自分が嬉しい、楽しいと感じる事を、相手もそう感じるはずだと思うのは間違いではない、だが、時には間違いである事もありえるのだ。
 シンジにとって、相手に合わせることは苦痛でしかなかったから、誰とも付合おうとはしなかった。
 相手に譲る事で、気に入られようと媚びる恋の形もある、アスカにもレイにもその用意はあったが、そんなものをシンジは望んではいなかった。
 だから代償として、あるいは報奨として、彼女達の期待に応えてやる必要があるなどとも感じてはいなかった。


「幸せそうには見えない、か……」
 シンジは自宅に帰ると、荷物を放り出してベッドの上に横になった。
 頭の下に腕を敷いてぼんやりとする、幸せってなんだろう?、そんな埒の明かない事を思索する。
 ──その内にうとうととし始めてしまって。
 シンジは懐かしい夢を見た。


「シンジとはね、気がついたら友達になってたって、そんな感じだったかなぁ?」
 ネルフの食堂では、ついに酒に手を出しているアスカとマナの姿があった。
 酒と言っても缶ビールの一本二本で、特に見咎められるような事は無かった。
「あたしのママがねぇ、シンジのママと仲が良くてさ、それで顔を会わせる事が多くて……、小学校で同じクラスになって」
「友達になったの?」
 マナは聞くとも無しに聞いている、そんな態度で問いかけた。
 頬杖を突きながらビール缶を揺らし、振っている。
「付き合い古いんだ?」
「まあね」
「聞いた話だけど、結構仲悪かったんだって?、碇君とは」
 アスカは苦い顔をした。
「シンジのママが死んだ後に、あたしのママも死んじゃってね」
「え……」
「それでまあ……、可哀想にって慰めてくれる人を全部独り占めするような真似しちゃってさ」
「……」
「んで、シンジに嫌われたのよね」
「……それで?」
「ん、シンジを追いかけてこっちに来たってわけ、謝りにね」
 暫く息を止めてから、マナは大きく体を反らした。
「なるほどねぇ……」
 それでかぁと、アスカのこだわりに納得する。
「でもそれって……」
「なによ?」
「碇君には迷惑な話だったんじゃないの?」
「……」
「せっかく忘れて、気楽にやり直そうとしてたのにって」
 アスカは唇を尖らせて愚痴った。
「それ……、シンジに言われた」
「マジ?」
「こっちに来てすぐの頃にね」
「じゃあだいぶ軟化してくれてるんだ?」
「一応はね」
「良かったじゃない」
「何が」
「ホントにすまないって思ってるなら、僕の言うことを何でも聞け、とかさ?」
「裸になれとか?」
「体売って金作って来いとか」
「サイッテー」
「でも碇君が本気でキレてたら何させられてたか分かんないんじゃない?」
 それはとアスカは呻いてしまった。
「けど……」
「鬱陶しいって追い払うためにさ、試すような事をいうこともあると思うし、それを真に受けてアスカが命令通りのことやっちゃったら、お互い引けなくなってたかもしれない」
「……詳しいわね」
「漫画と小説で仕入れた知識よ、あんまりアテにしないでね」
 いい加減な奴とアスカは罵った。
「でもま、アンタの言うことも一理あるわね」
「でしょ?、そういうこと言わなかったって事はさ、碇君ってアスカのこと嫌ってたんじゃなくて、苦手だったのね、きっと」
「ニガテ……」
「そうよ、どう相手をしたら良いのか分からなくて、避ける事にしてたとか」
「……そうかも」
「ムサシがさ」
 唐突に口にする。
「あ、ムサシって覚えてるよね?、いつもあたしにくっついてる黒い方、あいつがさ、いっつもマナマナって寄って来るのよね」
「……」
「好きにしてりゃ良いのに、何のジュースが欲しいとか、どこか行きたい場所はあるかとか、ああいう映画好きだったよなとか」
「それが?」
 何が言いたいのかと苛立つアスカに、マナはう〜んと頭を掻いた。
「鬱陶しいのよ」
「え……」
「別にさ、自分に合わせて欲しいとか思ってないし、あたしはあたしで面白いって思ってることってあるし……、ムサシはムサシで面白いって思ってることってあるんじゃないかって思うし、それって面白そうだなって思うこともあるのよね、ムサシってサッカーとかやってるし、そういうの見てると一緒にやりたいなぁって思うんだけど、あいつって馬鹿だからあたしがつまらない思いしてるって勘違いして、試合を抜けてどこかに行こうぜって言うわけよ」
「ふうん……」
「一緒にはやれないけど、応援は出来るじゃない?、あいつが頑張ってるの見て嬉しいとか楽しいとか感じられるって部分、あるのに、嬉しくないのよね、そういう気遣いって」
 アスカが顔をしかめたのは、マナの言葉から悟ったからだ。
「あたしもそうだって言いたいわけ?」
「そういう訳じゃないんだけどさ」
「なによ……」
「言ったでしょ?、不幸って伝染するって……、碇君って自分にアスカは似合わないって思ってるんじゃない?、自分なんかに付き合わせても、アスカはきっと楽しいだなんて思ってくれないだろうなって」
「そんなことない」
「でも碇君は……」
「そんなことないってのよ!」
「でもねぇ」
 マナはしつこく口にした。
「自分に合わせてくれる奴って、そりゃ居心地は好いけど……、何考えてるとか、何が好きとか、いつまでたっても読めないままじゃない、こっちのことばっかり読まれてもさ、だから困るだけなのよね、付き合ってても」


『アスカぁ』
 鼻が垂れても袖口で拭ってしまう様な男の子だった。
 何も考えていない、泣く、笑う、そんな単純なものだけで構成されたような男の子だった。
『ああもう!、鼻水付くじゃない!』
 邪険にされても、えへへと笑う。
 あっちこっちと歩き回る彼女の後に付いて回り、時折こけた。
『うう……』
 気付かずにアスカの背が遠ざかっていく、それが悲しくてしゃくりあげそうになってしまう。
『なにやってんのよ』
 けれどいつも泣き出す一本手前で気付いてくれた。
 まったくもうと、起こしてくれた。
『だからアスカ好きぃ』
 そう口に出来た頃があって……
 その時のアスカの顔は……


 シンジは夢から覚めて、ほうっと一つ息を吐いた。
「なんて夢見るんだよ……」
 ──なに言ってんだろう、こいつは。
 そんな顔をして自分を見るアスカが居た。
 確かにアスカが好きだったのかもしれない、けれど母が死に、彼女の母も死んだ時、その関係は激烈に変化した。
「優しかっただけなんだよな、アスカは……」
 懐いて来る人間を見捨てたりはしなかっただけ。
 もし、アスカの後に付いて回っていなかったら?
 きっと彼女は、苛められて泣かされていても、決して助けてくれはしなかっただろう。
 構って欲しいと近づく者を、邪険にするほど悪い性格をしていなかった。
 それだけのことなのだ。
 だからこそ彼女の母親が死んだ時、彼女は余裕を失って、どうでも良いと感じる者達を切り捨てた。
 自分のことだけに手一杯になって。
 ──自分は、その一括りの中に存在していた。
 シンジはそれに気付かずに、勝手に好かれていると思っていたんだよなと振り返ってしまっていた。
 それに気がついたから……、彼女とは疎遠になるみちを選んだのだから。
「……」
 割り切ったはずのことなのに、思い出すと胸が痛くなって来る。
 疼いて、涙が溢れそうになって来る。
「昔のことなのに、もう……」
 今のアスカは優しい。
 けれど受け入れられない、何故なのだろうか?
「信じられないのかな、僕は、アスカが」
 口に出してみるが、そうであるようにも、違うようにも感じられる。
 身勝手で、我が侭で、自分のために構ってくれようとしている?
 しかしそう考えれば考えるほど、自己嫌悪が沸き出して来る。
 アスカに期待しているのは自分なのだ。
 最初からそうだった、好きだと纏わりついたのも、勝手に友達だと懐いたのも。
 向こうには、ただの知り合い、その程度の感覚しかなかったというのに。
 勝手に裏切られたと感じ、勝手に捨てられたと誤解し、勝手に傷つけられたと恨みもした。
「逆恨みじゃないか」
 シンジはその結論に愕然とした。
 ならば彼女がいま苦悩し、傷ついているのは、一体なんのためなのだろうか?
 責任があるとすれば自分にだ、なのに彼女に酷い人間だという罪悪感を抱かせて……
「ちっ」
 短い舌打ちをすると、シンジは体を起こして時計を見た。
 十時を回っている、時間としては遅いが、電話を掛けられないほど遅くも無い。
「気持ち悪いんだよな、すっきりしたいんだよ……」
 シンジは鞄を引き寄せて、携帯電話を探り出した。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。