発令所に現れたアスカを見て、ミサトは何事かと目を見張った。
げっそりとやつれてしまっている、気のせいではない、目の下には隈が浮かんでいる。
明らかに憔悴していた。
「ちょっとアスカ……、大丈夫なの?」
返事が無い事から、ミサトはアスカを出すまいと決めようとした、しかし。
「大丈夫よ……」
「ほんとに?」
「ええ……」
肌だけではなく、髪からも艶が失われていた。
とても大丈夫には見えない。
ほとんど幽鬼と見紛う状態だった、足を引きずっている様な状態なのだ。
──アスカの頭の中では、シンジに告げられた話が、ひたすら繰り返されていた。
『あの時ね……、初めてエヴァに乗った時、アスカが止めに来てくれた時』
シンジはエヴァとの契約を明かした。
『エヴァ……、止まらなかったんだ、どうしてそこに居るんだって、お前だけって、レイを殺そうとしたんだよ』
うそ……、そう呻く事しか出来なかった。
『アスカが来て、僕は正気を取り戻したんだけど、それでもエヴァは止まってくれなかった……、アスカにも力を向けようとしたんだ、エヴァは』
だが無事にこうしていられる、何故か?
『約束したんだ……、させられたんだ、アスカを殺されたくなかったら、言うことを聞けって、自分のものになれって言われたんだ』
──奈落の底へ落ちる感覚を味わった。
嘘だと言って欲しかった、喚きたかった、どうしてそんな嘘を吐くのかと。
だが出来なかった。
シンジの目が、本当のことだと言っていたから。
綾波レイ、確かに彼女には秘密があった。
その秘密はエヴァに、黒き月に関っていた。
けれどそのどれもがシンジの真実とはかけ離れた所にあったのだ。
アスカはこれまで溜め込んで来た感情が、全て的外れであったと知らされて、立ち眩みを起こして膝を付いた。
座った状態からである。
シンジは誰のためでも無い。
自分のために、その命を売り渡してくれたのだ。
そしてその脅迫は今も続いているのだろう。
アスカにはシンジを見る事が出来なかった、迷惑をかけ、虐め抜き、苦しめておいて、命まで掛けさせて……
自分は何もしていない。
見当違いな好意を向けようとしていただけだ。
口を押さえる。
吐きそうだった。
シンジが悩んでいる間。
自分が可哀想になって、慰めてもらった唇が、異常なほどに気持ち悪かった。
──アスカが感じたのは絶望だった。
レイのせいでも、誰のせいでも無い。
自分のために、シンジは死のうとしている、その事実を、真実を。
受け入れ切れない。
シンジは誰にも漏らさずに居てくれた。
漏らさずに、抱えたままで逝こうとしてくれていた、何故か?、言うまでもない。
自分に、嫌な想いを残さないためにだ。
「……」
アスカは砕けそうになる膝に活を入れて、弐号機のケイジへと辿り着いた。
発進準備は進んでいる。
(アタシ……)
今でも脅迫は続いているのだろう。
殺されたくなければ、一つになれと脅されているのだろう。
(アタシがここに来たから……)
シンジはそのような約束をしなければならなくなり、死のうとしている。
(どこまで……)
自分は疎ましいだけの存在なのかと。
アスカは弐号機へ踏み出した。
「アスカ、いけるの?」
訊ねるミサトに、リツコは答える。
「シンクロ率、ハーモニクス共に落ち込んでるけど、今日の日程を見ればやむなしって範囲ね」
「でもあの暗さは尋常じゃないわ」
「心因性の問題については、わたしに聞かれたって答えられないわ、そうでしょう?」
ミサトは鋭く舌打ちをした、答えを握っている人物になら心当たりはあるのだが、素直に白状するとは思えない。
そして鍵を握っているシンジはシンジで、一人苦笑いを浮かべていた。
(どうしてあんなことを言ったのかって?)
自嘲気味に誰かの問いかけに対してシンジは答えた。
(……逃げ出してくれるかなって思ったんだ、僕から)
エヴァ01。
初号機の中だ。
(僕はそんなに器用にはなれないよ……、黙ってるか、嫌われるか……、そんな方法しか思い付かないんだ)
シンジは鼻をすすり上げた。
(おかしいね……、苦しいのに、出ないんだ、涙)
もう少しで出そうなのに。
そんな風に一人ごちる。
──暗闇の中を三機のエヴァは目的地へと運ばれた。
専用トレーラーから下ろされる、00のレイは何があったのだろうと訝しんでいた。
シンジとアスカ、自分が来るよりも早く二人揃って到着していた事から、会っていたのだろうなと想像は付いた。
だが何をしていたのかが分からない。
妬かなくてはならないような事をしていたのなら、この雰囲気は解せないものだ、一体何があったのか?
起動準備を終える。
「鈴原君は?」
「ここや」
通信機越しの声、奥の暗闇にエヴァの肩口に装着されたライトを向けると、3号機が背を向けていた。
「鈴原君」
「おう」
声の調子から無事だと知る。
(3号機って、これだから)
黒色であるために時折紛らわしい事になる。
使徒は目ではない何かしらの感覚器官で周囲を探っている、ならば迷彩色など意味が無いのだし、もっと明るい色にしても良いと思うのだが。
(本人気に入っちゃってるしねぇ)
「なんや?」
「なんでも」
首を傾げているのが分かる。
「それで、使徒は?」
レイは笑いを潜めて訊ねた。
「どこに居るの?」
「それが……、な」
トウジは渋い顔をした。
「出て来たんは二匹、タイプはサキエルや、それが」
「なに?」
「消えてしもたんや」
「消えた?」
「おう」
訝しげなレイの調子に、トウジもまた困惑気味の説明をした。
「タイプは確かにサキエルやった、それがなんや急に慌てた様子見せて、床に沈むみたいに消えてしもたんや」
「新しい能力を持ったサキエル?」
「なんも分からん」
それで待機していたのかと頷く。
「お前の目でなんか見えんか?」
「ちょっと待って」
レイは第三眼を起動した。
── 一方、アスカはぼんやりとした思考を抱いたままで望んでいた。
それだけに集中し切れていないと言える。
「結局乗ってる……」
そう一人ごちる。
「あたしが乗っても」
アスカはその先の言葉を口には出来なかった。
無駄?
無意味?
それとも意味が無いとでも呟こうとしたのだろうか?
どの道、そこに込められる意味など一つしか無い。
エヴァに乗って、シンジの傍に居ることは……
シンジに無用の苦労と、苦悩を与える、それだけだ。
「あたし……、邪魔かな」
うつろな瞳を上げる、通路の奥よりのっそりと何かが現れる。
──使徒だ。
「来たでぇ」
トウジが舌なめずりをした。
「タイプサキエル、五体、どこからこんなに……」
「綾波はバックアップや、シンジ、中堅固めてくれ、惣流行くでぇ!」
「え?」
アスカは完全に出遅れた、が、相手はただのサキエルである。
それ程問題には……、ならない。
……はずの、敵であった。
だが。
「駄目だ!」
シンジはぞくりと背筋を走った悪寒に叫んだ、間に合わない、そんな意味不明な焦燥感に駆られてしまった。
何かがおかしい、何が?、そして気がつく。
サキエルは攻めるために出て来たのではない。
何かに追われて出て来たのだ。
それが証拠に、一番後衛のサキエルが足を掴まれたようにつんのめって倒れた、そのまま床にずぶずぶと沈んでいく。
「またや!」
「関係無いわよ!」
アスカは別の意味で焦りを浮かべていた、引けない、今引くと本当に自分は壊れてしまうと。
──ゾクリ!
危ない、アスカは何かを感じて足を止めた、え?、手首を掴まれたかと思えば、振り回すようにして3号機へと投げ付けられた。
3号機に抱き受けられる形で転がり、激震に身を震わせる。
「シンジぃ!」
トウジの叫びに、アスカは無理矢理脳震頭から立ち返った。
「シンジ?」
「シンジクン!」
そこには使徒達と共に、もがきながら床に沈んでいく01の姿があった。
う、うっぷ、うわぁ!、そんな悲鳴が聞こえて来るようだった、そして通信機からは……
「なんだよこれ!?、アスカ、レイ、トウジ、ミサトさん!、なんとか」
「シンジ!」
「アスカ、アスカっ、アスカ!」
沈んでいく、頭が消え、腕が立っている。
その腕も徐々に引きずり込まれるようにして……、ついには指先も見えなくなった。
アスカは3号機に羽交い締めにされたまま、呆然とシンジが消えた床を凝視する事しか出来なかった。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。