──初号機が消えた。
その空間を見つめたまま、三機のエヴァはそれぞれに身動き出来ない状態に陥ってしまった。
レイは顔を蒼白にし、かちかちと歯を鳴らしていた。
トウジはアスカが後追いするのではないかと懸念し、シンジにも、アスカにも、レイにも、それ以外のことにも、どれも意識を集中し切れず、うろたえていた。
そしてアスカは……
「シン……、ジ?」
アスカと喚いていた。
それはアスカの呼び掛けに反応しただけだったのかもしれないが……
縋ったように聞こえたのだ。
アスカには。
ガッとノイズ交じりの通信が入った。
『撤退して』
三人が三人とも反応できなかった。
『撤退よ、聞こえないの?』
「そ、そやけど」
かろうじて精神的被害の少なかったトウジが反発した、いや、反発するように聞こえる声を発した。
『撤退しなさい!、これは命令よ!』
トウジはぎっと歯を噛み鳴らした。
(そんな言い方あらへんやろが!)
トウジにしてみれば、このままでアスカが狂ってしまうのではないかと思ったのだ、撤退、つまりこのままシンジを見捨てると、どうアスカに分からせればいいのか?
それを訊ねていると言うのに、頭ごなしに命じて来る。
『でもまだ碇君が』
ズンと響いた気がした、00だった、一歩前に進んでいる。
そのまま行くんやないで、トウジは祈った、アスカだけでも手に余っているのだ、これ以上は……
『みんな聞いてちょうだい』
理知的な声とはキーが高いものなのかもしれない。
ミサトの声のように不快感を伴わず、耳に入り込んで来た、リツコだった。
『シンジ君は死んだわけじゃないでしょう?、でもあなた達までその『怪物』に呑み込まれたら、彼を救い出す方法はゼロになるのよ』
唸るような声が聞こえた。
『シンジは……、生きてるのね』
『ええ』
なんで断言できるんや、そう思ったのはトウジだけではなかった。
「ちょっとリツコ」
いい加減なことは、そう口にしようとするミサトを睨む。
「いいわね」
リツコは通信を切らせ、そしてマヤに命令を発した。
「初号機の消失時のデータを全て研究室に回して、解析班を」
「はい」
「リツコ!」
なに?、そのような冷めた目をしてリツコは睨んだ。
「忙しいの、後にしてくれない?」
「シンジ君がまだ生きてるなんて、どうして言えるのよ!」
「可能性はゼロじゃないわ」
「けどね!」
「……初号機の中に居れば、ATフィールドが守ってくれるわ、酸素も十数時間なら供給される、でもね、あなたとこうしている間にも貴重な数分が失われてしまうのよ」
くっとミサトは歯噛みした。
「わかったわ」
リツコを解放し、マコトに命じる。
「三人を本部に帰還させて、それと相手の正体をつきとめて」
「で、ですがどうやって……」
「偵察部隊でもなんでも出せるでしょ!」
「は、はい!?」
ミサトは喚いてしまってから、顔の半分を酷く歪めた。
八つ当たりをしてどうすると思ったのが半分、そして後の半分は、ごめんと謝りを入れてしまったのでは余計に情けないと思った、体面を気にした自分への嫌悪感から来たものだった。
それぞれがそれぞれの仕事に従事するために騒がしくなった。
そんな状態になり、ようやく彼らは本来指示を下すべき人間からの通達が何も無いままだと言うことに気がついた。
発令所、指令塔の最上段。
総司令、碇ゲンドウ、彼は無言のままだった。
息子が死んだかもしれないというのに、全く、微動だにしていない、その顔には不安など微塵も感じられない。
「碇」
「なんだ」
「死海文書の翻訳終了範囲を検索させた方が良いのではないか?」
「任せる」
「分かった」
あんたは親だろう、そんな憤りが蔓延し始める、その時になって、彼らはようやくどんな場所に子供達を送り込んでいたのかを悟るに至った。
どれ程の力を持っていたとしても、自分達と同じ人間から生まれて来た子供達なのだ、生まれを同じくしている者を、違うからと特別視していた、特別に扱い、そして常に死線に追いやって来ていた。
死という災厄を振り払う力が、ほんの少し自分達よりも高いという、ただそれだけの理由でだ。
そして今回、その力が及ばなかった、だからこそ死んだのだ。
所員の多くはそう実感し、唇を噛んだ。
──葛城ミサトは悩んでいた。
常に矢面に立たせて来たミサトである、ようやく実感し始めている所員達とは違っていた。
あの場で感情的になり、引くなと、助けろと喚いたならばどうなっていたか?
アスカとレイは突入していただろう、躊躇することなく、そしてそれは最悪の結果を引き起こす。
シンジが無事かどうかなどどうでも良いのだ。
だからこそリツコの無責任な発言は看過出来なかった、シンジは無事である、そんないい加減な情報を与えたことで、彼女達が盲目的な行動に出てしまったとしたらどうするのか?
そんな自殺行為を奨励するための指針など与えるべきではない。
彼女とて無事は祈りたかったが、ミサトにはシンジと同じくらいに後の三人も大事だったのだ。
リツコはシンジを切り捨てるような発言をするミサトに嫌悪感を抱いていたが、それは『親近感』の差でしかない。
シンジと暮らしていると言う親しみ、それは実際にはとても希薄な物だった、仕事のために一日における接触は数分程度と言ったものでしかなかったからだ、朝と晩の。
これに対して、成長過程の変化に伴う詳細なデータを取るために、リツコはミサト以上にシンジと時間を共有して来ていた。
結局は感情面の差でしかなかった、リツコには他の三人……、いや、アスカとトウジよりもシンジとレイが心配であり、ミサトにとっては四人ともが大事なのだ。
「で、状況は?」
作戦会議室、ミサトの問いかけに情報部からのデータが表示された。
『正体不明の影は使徒と確認されました、これは使徒特有の固有波形パターンを照合した結果です、厚さ3ナノメートル、その極薄の空間を内向きのATフィールドで支えていると推察されます、ディラックの海と呼ばれる虚数空間、別の宇宙に繋がっている可能性が示唆されています』
「初号機を取り込んだ黒い影が目標か……、じゃあ、初号機は?」
『破壊された可能性は低いと考えられますが……』
「なに?」
『『向こう側』の広さはこちら側の宇宙に匹敵するものと、そのどこに飛ばされたかは』
「回収は絶望的か……、分かったわ」
通信が切断される、情報部には情報部でまだ仕事がある、より以上の情報を集める仕事がだ。
思案に入るミサト、そんな彼女の様子を皆は祈るような気持ちで見守っていた、あのようなことがあり、そして敵が影だと分かったというのに、偵察として出した部隊の引き上げを命じない。
彼女という人間の本質が恐ろしくなったのだ、残酷性が。
しかし彼女には彼女なりの判断があった、保安部の有志によって作られた特選部隊は子供達がメインとなってはいるものの、彼らは先日の停電事件の際に実戦を経験している。
今のアスカやレイに比べれば遥かに信用が置ける、落ち着いた対処が期待できるだろう、そう読んでいた。
「問題はあれの行動原理よね」
「記録映像では使徒を追っていたように見えますが」
答えたのはマコトだった。
「……続けて」
「はい」
許可を得て、推論を述べる。
「赤木博士のレポートでは、使徒は二種に分類できるとなっています、一つは黒き月への侵入を目論んだ攻撃兵器、そしてそれを排除するために生産された防衛兵器です、サキエルとあの使徒が相反する立場にあるのなら、あの行動には納得がいきます」
「排除兵器だと、そう言いたいのね」
「はい」
「……その考えは急ぎ過ぎだけど」
「はぁ……」
「いえね、もしこの黒き月の制圧に成功しているのなら、今度は清掃班が必要になるでしょう?」
「……掃除屋、ということですか?、使徒の」
「ええ、さっぱりと奇麗にしてしまうものが必要だったんで『使徒技術』の応用で作り出したとか……、あるいは再びこれを掘り起こそうとする馬鹿に肘撃を与えるために用意された呪われた悪魔か」
「ぞっとしませんね」
「そうね、ま、どっちにしろ邪魔であることには変わりないわ」
もっと邪魔なのはシンジ君の存在だけど。
ミサトは内心でそう毒づいた。
──ミサトとてシンジが可愛くない訳ではないのだ。
だからこそ切り捨てて後の子のことを考えて策を練るべきか、それともシンジの救出を前提とした策を講じるかで悩んではいた。
──心情的には。
感情的には既に結論を出している、生きているかどうかわからない少年のことよりも、確実に無事で居る者達の安全を第一に考えるべきなのだ。
例えその者達が容認しない決断であっても。
「……」
赤木リツコは悩んでいた。
発令所でのことが後を引いていた、らしくない、そう思ったのだ。
冷静な自分の顔を忘れてしまっていた、しかし一度頭が冷えて来ると、ミサトが何を考えていたのか想像が付いた。
──だからこそ彼女はさらに苦しんでいた。
(なんとか……、なんとかしないと)
これまでの研究でチルドレンのエヴァと使徒の能力との間に本質的な差が無いことは分かって来ていた、使徒はその能力を最大限生かせるよう、肉体を特化させている存在である。
アスカが口にしていたが、想像を具象化、具現化するこの能力は、多大に脳に負担をかける。
それは疲れに分類されるものだが、疲れも過ぎれば脳神経を焼き切らせるし、細胞の劣化も促進する。
対して、使徒は疲れを知らない。
揚げ句成長と進化によって補いさえする。
それを据え置いたとしても、根本的な部分では同じはずなのだ、ならばチルドレンの能力からあの使徒を解析するための手がかりが得られるかもしれない。
その焦りが、彼女に煙草を消費させた。
スパスパと吸い潰しながら、リツコはキーを叩き続けた、次々と送られて来る最新情報、分析結果をウィンドウを開き、参照しては、新たな推測を組み入れてレポートを組み上げていく。
ミサト自身悩んでいる、そのことを今では疑っていなかった、だがそれは決して良い意味のものではない。
シンジを切り捨てるためには、アスカやレイの心情と同じくらい、自分の中の碇シンジに見切りを付けなければならないのだ。
情がそれに邪魔をしている、そう、その問題さえ解決出来れば見捨てられる。
それがミサトという人間だと彼女は焦っていた。
──セカンドインパクト。
あの衝撃から生き延びたタフさは、人々に諦めの良さと高い決断力を身に付けさせた。
言い換えれば、見限ることでより多くを生き延びさせる精神面を構築させた。
割り切りの良さもその一つだ。
自分が食い繋ぐためにどれだけのものを見捨て、犠牲にし、礎となって『もらった』か、いまさらその罪が一つ二つ増えた所で贖罪を決められないことには変わりがない。
リツコの脳裏には、昔、ミサトから聞いた諸外国の話が生々しく思い出されていた。
比較的被害が少なかったこともあって、日本という国は餓死などに対する危機感は低いままだった、飢えて苦しい、その程度で、堪えようと思えば我慢は利く、そんな程度の問題でしかなかった。
だが外の世界は違っていた、リツコは日本で生まれ、育ち、そしてネルフ本部に入ったから、外のことは知らなかった、だから考えが甘いのだと指摘された。
ミサトはネルフに入り、支部の幾つかで働いた経歴を持っていた、一度でも外の世界の悲壮さを知れば、人道的などと言った甘い考えは抱けなくなると。
必要な程度には優しくなれる、そして傍に居る誰にでも優しい、その反面、視界に収っていない存在には冷たい。
そんなミサトの性癖の一部分を知るが故に、リツコは強い焦りを抱いていた。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。