ネルフ本部、赤木博士の研究室、ミサトは自分の部屋に戻らず、まっすぐここを訪れた。
どこかで吐き出さなければ精神衛生上よろしくないと感じ取ったからだった。
「つっかれたぁ……」
コーヒーくれいと、机に突っ伏したまま手だけを振る。
リツコは苦笑しながらも動いてやった。
「で、どうだったの?」
「そりゃもう……、なんつったって雲上人の集まりだかんねぇ、一体どういう人達なんだか」
「良かったじゃない、貴重な体験が出来て」
「なにそれ、皮肉?」
「ネルフの秘密の一端を見れたんだからって話よ」
「秘密、か……」
ありがと、そう礼を口にし、マグカップを受け取る。
「あたしが考えてるほど甘くは無い、そういうことでしょうね」
「ただその秘密を隠すことで成り立っているのも事実だわ」
「どういうこと?」
「この遺跡の調査はサードインパクトの危険性を孕んでいるのよ?、わたし達はそれを護魔化しやっているわ、同じことよ」
「内部と思っているあたし達には、さらに中心に近い者が、か」
「それから……」
リツコはあるファイルを取り出し、差し出した、紙の束で、重さに負けて垂れ下がろうとしている。
ミサトはそれを手にし、目を通して驚いた。
「うそ……」
そのファイルこそが、今回、リツコが文句無く彼女を招き入れた理由だった。
──碇シンジの、エヴァについての報告書である。
「シンジ君から……、力が消えたっていうの?」
最も信頼できる場所でなくては口にはできない内容だった、こうしてミサトが呻くのも計算済みである。
「マジなの?」
「わたし達にはそれを確認する方法なんて無いけどね」
「そりゃそうだけどさ……、それじゃあ嘘を吐いてるってこともあるじゃない」
「シンジ君が?、まさか」
「だってあれだけの目にあったのよ?、逃げ出したくなったって……」
「アスカやレイを置いて?」
「……」
「一応、本人の告白以上に信頼できる話もあるわ」
だったら早く話してよ、そう拳で突っ込みかける。
「どんな話よ?」
「レイよ」
「レイ?」
「あの子の目で、シンジ君の将来が見えるようになったんですって」
「え!?、じゃあ……」
「……幸せそうにね、笑ってるらしいわ、奥さんを貰って、子供を抱いて、草原、丘の上にある一戸建の白い家に、犬を飼って」
はぁ!?、っとミサトは目を丸くした。
「なにそれ?」
「変でしょう?」
「一昔前にあった漫画の世界の、典型的な幸せの構図?」
「シンジ君が願望として持った幼稚な未来図を構築してみせたって可能性は無くも無いけど、それにしてもね」
「でも」
ミサトは両手でマグカップをもてあそび、口にした。
「でも、それも良いかもしれない」
「ミサト?」
「だってさ、シンジ君って、そっけないけど冷たい子じゃないわ、だとしたら全部が無事に終わってるからこそ、笑ってる、そうなんじゃないの?」
そっとかぶりを振ってから、、リツコは違うのだと口にした。
「だってね……、そのシンジ君は『今』と変わらない歳なんですって、そして奥さんが居て、子供を抱いてる、揚げ句その奥さんの顔が……」
「知らない人……、だとか?」
「いいえ」
「え?、じゃあ……」
「レイでもアスカでもないわ、その誰でもない……、いいえ、誰だかわからないんだそうよ、ぼやけていて……、一応レイには、自分じゃないなら見たくないって、無意識に考えてしまったんじゃないかって言い聞かせておいたけど」
「この世には居ない……、あるいはこの世ではない場所で幸福を掴んでしまったかもしれない?」
「ぞっとしない話よね」
碇シンジから力が消えた。
そのことは多くの人間に動揺をもたらした、思った以上に広がる波紋に誰よりも困惑したのはレイだった。
「ええと……」
会議室である。
集められたチルドレン達、その大勢の中からミサトに訊ね返したのはレイだった。
「抹消……、ってことですか?」
「凍結よ、間違えないでね」
一時的な処置と言うことを強調するミサトである。
「シンジ君の力の消失が何に起因しているか分からない以上、唐突に戻って来る可能性もあるわ、それがどんな風に行われるか分からない以上、放逐できるわけないでしょう?」
「危ないことになるかもしれないっての?」
アスカは身を乗り出して訊ねた。
「リツコはなんて言ってんのよ?」
「MAGIと同じで解答不能、あなた達の力には源泉があって、それを現象って形で引き出している、なら源泉が尽きたのかもしれない、『別の宇宙』に飛ばされて帰って来たんですもの、それくらいは有り得るわ」
「命があっただけマシってことね……」
「そう、でも一度失われてしまったものっていうのは、再び手にした時に以前と同じように扱えるかどうかわからない、下手に使おうとして……、不調に陥るだけならともかく、例えば炎を生み出してその火力を調節できずに火事を起こしてしまったとすれば?、自分で生んだ炎に巻かれて焼け死ぬ、なんてことにもなりかねないわ」
「だから様子を見るって訳ね……」
「希望的観測だけどね、力の源泉が空になったんで、蓄え直してるって可能性もあるから」
アスカは追求せずに親指の爪を噛んだ、妙な想像をしてしまったからだ。
(力、源泉……、太古の世界でそれを使っていた人達、その子孫であるアタシ達、アタシ達の代でその封が解かれた、使い方に気付けば何でも無いことだった、でももし何百万年、何億年も掛かってその泉に力の素を溜め込み続けて来たんだとすれば?)
たかが十年、二十年では、蓄え直すなど無理だろう。
今のシンジは大量の人間、ナンバーズの介護を受けて生還している、もしその力が人の生、生命活動の根源に関るエネルギーであったのだとすれば、注ぎ込まれたエネルギーで活動しているのだと言う想像が出来る、ならそれもまた尽きることがあるのではなかろうか?
唐突に、バタンと伏して、死ぬかもしれない。
アスカはその想像にゾッとした。
「とにかく、酷なようだけどシンジ君にはナンバーズから外れてもらいます、いいわね?」
はい、と答えたのはシンジだった、幾分消沈して見えるのは仕方の無いことかもしれない。
疲れているのだ、皆の好奇の目が辛くて。
「それに伴って学校の方もクラスを移動してもらうわ」
え?、そう驚いたのはアスカとレイ……、だけではなくて。
「どうしてですか!?」
「そんなの別に良いじゃないですかぁ!」
相沢ケイコ他多数、女子ばかりが喚き立てた、あまりのキャンキャン声に騒然となる。
「ああもう!」
ミサトは両耳を塞いで訴えた。
「仕方ないでしょうが!、ナンバーズの教育プログラムはその能力特性に拠ったものになってんだから!」
『ですけどぉ!』
「シンジ君に覚えてもらうようなことなんて無いのよ!、この際だからシンジ君には普通科でお勉強してもらいます!、あなた達もよ!、あなた達だって他人事じゃないんですからね!」
そのセリフは皆の動きを止めるのに一役買った。
「良い?、あなた達だって力の使い過ぎでシンジ君みたいになることだって有り得るのよ?、シンジ君は『前例』なの、そうなった時にろくにモノを知らないようだったら仕事にも困るわよ?、あなた達もちったぁ、勉強に身を入れなさい!」
はい、これで終わり!、ミサトはそう叫んでそそくさと逃げた。
「シン……」
ジ、と呼び掛けようとしたアスカであったが、あっさりと突き飛ばされてよろめいた。
「きゃ!」
レイを巻き込んで一緒に転がる。
「な……」
「災難だったねぇ、シンジ君」
「でもラッキーじゃない、もうあんなに危ないことしなくて良いんだから」
「これから一杯遊べるねぇ」
「あ、そうそう、放課後ずっと空くんだ、シンジ君」
アスカは呆然と見上げてしまった、女子に囲まれて圧死しかけている……、かと思えばシンジは赤くなって困っていた、一斉に寄り集まろうとして押し合いへし合いのおしくらまんじゅう。
女の子の海に呑まれて溺れそうになっている、が、実際に溺れれば今度は顔を胸で揉まれることになる、それはまずい。
というわけで、本当に浸水しているかのように、シンジは必死に爪先立ちになってあっぷあっぷと……
「こらぁ!」
アスカはその輪の外から叫んだが、きゃいきゃいと喜ぶ女の子達に、それが通じるはずも無かった。
「……なんだって言うんだか」
「お姉ちゃん……」
その輪の外にも当然女子は居た、彼女、コダマも何故か居た。
「あれって全部シンジ君のカノジョ?」
姉に問われて、困りながらも、洞木ヒカリは頷いた。
「カノジョって言うか……、デートしたことあるっていう子ばっかりだと思う」
「こんなにねぇ……」
ひのふのみと数えて十五人、この調子だとまだまだ居そうだった、シフトの都合でこの場に顔を出せなかった子も居るのだ、ナンバー外のチルドレンにだって、シンジのデート相手はいるのだから。
「これでよく自分は遊んでませんなんて言えたもんねぇ」
「そんなこと言ってたの?」
「キスもろくにしたことないですぅ、なんてさ」
「ふうん……」
ジト目。
「なに?」
「頼むから、お姉ちゃん、もうやめてよ」
「やめてって、何が?」
「もう!」
はいはいっと手を振って護魔化す。
「あんたってそんなだからモテないのよ」
「お姉ちゃん!」
場が荒れる。
そんな状態でも遺跡の発掘は続けられる、そして続けるためには何よりもエヴァこそが必要であった。
「これは……、どうなんでしょうねぇ」
技術部、リツコの補佐役として急遽抜擢されたのは、材質関係に詳しい男だった。
三十後半に達している男性で、水無月ムツキと言う。
「組成か構造そのものが変化したとしか思えませんよ」
研究室に持ち込まれたエヴァ01の装甲を分析、見ているモニターにはその結晶構造が表示されていた。
「何がどう変化すればこんな構造になるんだか、単純な化学変化ではないでしょうね」
「素体側はどうなの?」
「乾燥してます」
「乾燥?」
「はい、普通、生体が乾燥すれば収縮してミイラになるものですが……、こいつは体積を保ったままで乾いているんですよ、密度も同じです」
「……まさに謎ね」
「一応、理屈付けることは出来ますが」
「聞かせて」
「ディラックの海でしたか?、その中が虚数空間であったのだとすれば、こちらとは違う現象が起こっていたはずです、虚数なんて口にしたところで、紙の上の式でしか知ることができません、こちらでの常識が、その世界でどう歪むかは……」
「空想の限りでしかない」
「その通りです、我々はこの解を求めるための数式を立てられない、我々が知る化学式だけで足りるのかどうか、それすらも分かりませんからね」
リツコはふうと一つ息を吐いた、煙草臭さでムツキの顔をしかめさせる。
「魔術の世界、か……」
「なんです?」
「母の言葉よ、鉛筆の芯で線を引けば電子回路を形成できる、電気を通すから、上手くサーキットを組めば何らかの結果を現実に発生させられるわ、これは魔術とかのお札そのものよね?、でも電子基盤だって似たようなものだわ、先日の使徒もそう、サーキットを複雑に組むことで一個の擬似生命を形成できる、魔術は理論が飛ばされている理屈のみで成り立っているものだけど、科学は理論の積み重ねによって理屈付けて成立させられている、双方はその流れこそ違えど、同じ法体系の代物なのよ」
「だからと言って、このこととそれがどういう……」
「少し思っただけよ、もし初号機とシンジ君の身に起こったことを解明できたなら、それは魔法ではなく科学になるわ、それも、わたし達の利用できる」
はっとする。
「それは……」
「そう、わたし達もエヴァを生み出し、使徒のような現象を発生させ、そして子供達のように、『物理的な手法』によって『魔法』を使えるようになると言うことよ」
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。