「むぅうううう……」
 綾波レイは不機嫌だった。
 不機嫌な理由の一つは、もちろんアスカの裏切りにある。
 こともあろうに碇シンジとの同居に持ち込むとは、それも、作戦部長の御墨付きで。
「裏切りってねぇ」
 アスカは呆れ声で反論した。
「前に半同棲してたの誰よ、あんたでしょうが」
「そんなのちょっとの間だけだったじゃない!、すぐアスカが割り込んで来たしぃ!」
 どんどんどんどん机を叩く。
 そんなただれた会話を聞き流しながら、ミサトはこれから始まる会議のための資料を纏めていた。
 ここは作戦会議室であり、ナンバーズ以下、主な戦闘用員が集められている。
 ──話は昨日に遡る。
「学校、妙なことになってるみたいね」
 訊ねたのはリツコであった。
 報告書に目を通したらしい。
「少々のことは仕方ないわ」
「本当に?」
「レクリエーションの範囲内でしょ?、第一、ナンバーズから外されたシンジ君に対して私生活についての指導なんてできると思う?、あたし達が口出しすることじゃないわ」
「でもあなた、保護者でしょう?、未成年の『不純』行為はまずいんじゃないの?」
「フジュン、ね……」
 ぱたぱたと手を振った、それこそあたしは言えた義理じゃないとでも言いたげに。
「それよりさぁ、今日こそは定時に帰れると思ってたのよぉ?、舌がもうシンジ君の手料理って感じになってんの、それを邪魔してくれようってんだから、それなりの話なんでしょうねぇ?」
 今日は珍しく、リツコから呼び出しをかけたらしい。
「報告書ではちょっとね、それに、どうせ直接聞きに来るだろうと思って」
 これよとファイルを手渡す、それはそれは先日から纏めていたレポートだった。
「これって……」
 塩基配列に似ていたが、そこから何かしらのエネルギーの発生が計測されている、その総量は尋常な物では無かった。
「S機関の解明に成功したの!?」
「実用化には程遠いけどね」
 説明をする。
「使徒は粒子と波、両方の性質を備えた光のもので構成されているわ、その固有波形パターンである信号の配置と座標は人間の遺伝子と酷似している、99.89%ね」
「それは聞いたことあるわ、でも」
「ええ、『光のようなもの』を扱えないわたし達には、そのパターンがどこの何を示しているのか検証する方法が無かった」
「見つかったの?」
「ヒントは第十一の使徒よ」
「イロウル?、あの4号機を乗っ取ろうとした……」
 リツコはコーヒーカップに手を出した。
 興奮を落ち着けようと一口含む。
「あの使徒もまたその法則には則っていたわ、電子生物としてイロウルは『光のようなもの』を電気に置き変えて発生したの、0と1の組み合わせによる4種のパターンの羅列によってね、それは遺伝子構造そのものだったわ」
「よくわかんないんだけど?」
「良い?、生物の染色体ですらどの部分が何を示しているか、わたし達は解明し切れていないわ、これが使徒になると構成素材の違いもあるし、生体器官、構造の違いも合って、どれが一体何の情報体の構造を示しているのか分からなかった、でもイロウルがわたし達にもわかる『言葉』でデータを残してくれたのよ、MAGIの中にね」
「プログラムの形で?」
「そう、これを逆解析することで信号が何を構成する情報を示しているのか確認できるわ、そして細胞の一つ一つが搾り出している驚異のエネルギーの発生原理も検証できる」
「細胞の一つ一つが?」
「そうよ、使徒の体に人体のような器官は無いわ、細胞の一つ一つが生命活動を行っているのよ、その上で一個の生体を形成している」
「だからどこを壊されても活動に支障をきたさない?」
「細胞一つに分裂、増殖、再生、進化のためのプログラムとバックアップデータ、それにエネルギー機関が組み込まれているのね、殲滅するためにはこれらを統率している『コア』を破壊するか、プログラムのバグを突くしかない」
「バグ?」
「使徒はね、壊れると全力で修復しようと務めるようプログラムされているのよ、だから限界を越えた破損を受けるとエネルギーをつぎ込み過ぎて消耗して自滅するの」
「なるほどねぇ……」
「初号機が『枯れた』のにも同じことが言えるかもしれないわ、別の宇宙から戻って来るために全身のエネルギーを絞り尽くしたともね」
 とにかくと。
「その辺りのことも含めて、保存していた使徒のサンプルなんかと合わせて急ピッチで研究を進めているわ、その内結果は出るはずよ」
 ミサトは考え込む素振りを見せた。
「確かにこれはMAGI経由じゃできない話ね」
「でしょ?」
 どんなに強固な防衛網を敷いたとしても絶対はあり得ない。
 結局は密室での会話が最も安心できるのだ、もちろん、安心できるだけであって安全というわけではないのだが。
「検証、確認ができたなら、次は当然実験ね」
「そうね」
「搭載できるものなの?、S機関は、エヴァに」
 リツコはマグカップをもてあそんだ。
「無理でしょうね……」
「そう……」
「勘違いしないでね、今も言った通りS機関は細胞単位で組み込まれているものなのよ、あるいは細胞が繋がり合うことによって初めて生み出されるエネルギー、これはね、使徒と同じ製法を用いられているエヴァにも搭載されているはずのものなのよ」
 知ってるわとミサトは膨れた。
「00と01にはでしょ?」
「02と03にもよ」
「え?」
「後の二機にも搭載されているのよ、ただ何故か使えない状態になっている」
「プロテクトが掛けられているってこと?」
「あるいは発掘後のメンテが不十分だったのか」
 考え込むミサトにリツコは告げた。
「あなたの考えてること分かるわ、シンジ君のことでしょ?」
「ええ……」
「シンジ君が抜けた穴をどうにか塞がなくてはならない、渚君に続くリタイヤは痛いものね」
「一番戦闘に不向きなレイがS機関を持っていても意味は無いのよ、でも機体の交換はそれ以上の戦力低下を招くわ」
「零号機はレイの特性に合わせて変わってしまっているものね」
 有り体に言えば打たれ弱いのだ。
 常に後衛にあり、シンジと共にバックアップを勤めて来たために鍛えられることが無かった、それがそのような障害を生んでいる。
「検査……、検診とでもいうの?、MAGIの解析後はエヴァでの実験に移るの?」
「司令の許可が下りればね」
 ぜひそうして欲しい、その一言をミサトは素直に口にしなかった。
 一瞬、無理をすることはないと考えたからだ、確かにシンジが抜けたことによって生まれた穴は大きな物だが、それを埋めるためにリスクを背負うのはどうだろうか?
 エヴァは三体があるだけである、失敗した時にはその内の一体を失うことになってしまうのだ。
 穴はさらに大きくなる、そんな無茶をしてまでするべきことなのだろうか?
 何よりも封じられているのだとすれば、なんの理由があってのことか?、それが分からない。
「やるとしたら……」
 ミサトの呟きに、リツコは答えた。
「3号機でしょうね、欠けて最も『被害』の少ない『コンビ』だから」
 それは嫌な言い回しであった。


 これからそんなことが公表されようとしている頃、シンジは今日も遊びに誘われていた。
「ええと、でも」
 さすがに毎日では飽きてしまう、言ってしまえばシンジは金づるだった、十分な報奨金に保険まで下りている、懐は温かいどころか抜けてしまいそうな程に重い。
 シンジも利用されていることは分かっていたが、悪気の無い範囲のことだと判断していた、『その時』金のある者にたかるのが付き合いなのだと理解していたからだ。
 そして今日の誘いは少しばかり違っていた。
「浅利がネットくじ当てたんだってさ、懸賞金付きのやつ、もう振り込まれてるらしいし、みんなでお祝いしてやろうって」
 この場合のお祝いは奢らせてやろうに意訳できる。
 金を持っているという意味ではシンジの方が金持ちだ、だがだからこそ普段奢っている者はたまには奢られる権利を持つ、そうして回収する、割りには合わないが。
 これはそうするべきだという誘いであった、いつも奢ってくれているから、奢られる仲間に入れてあげるとの、シンジはここで引き下がるのは無礼だな……、と思ったのもあったが、ケイタの視線に気が付いて了承した。
 頼むよぉと、目を潤ませていたからだ。
(あんまり大した金額が当たったわけじゃないみたいだな)
 思わず笑ってしまいそうになる、金額そのものは忘れ去られ、ただ当たったという話だけが広まってしまっているようだった、そしてたかり食らいついている人数もうなぎのぼりになってしまっているようだ。
 このままでは赤字どころか、支払いさえ危ういようである、保険あるいは助けの手が欲しいのだろう。
「うう、ありがと、碇君」
 ケイタは女の子達が去ったのを見計らって話しかけた。
「足りなかった分、割り勘でカンパさせたらいいのに」
「無理だよぉ、そんなことすると、ケチ臭いとか情けないとか言って苛めるんだもん」
 シンジは何となく、それもまた楽しいんだろうなと想像してみた。
「ま、浅利君には無理か」
「そうだよぉ……」
 碇君とは違うもん、そうも取れる返事であった。
 シンジの元には、連日のようにデートの誘いが舞い込んでいた。
 シンジもまた積極的に受け入れていた、実はそのことがレイのもう一つの不満に直結してしまっていた。
 シンジの欠落によって、より慎重な調査と行動を欲して、上が神経質になっていたからだ、そのために拘束時間が飛躍的に延び、シンジと二人きりになれるような時間が取れなくなってしまっていた。
 だがシンジにも言い分はあった、先日忠告された言葉に、シンジはシンジなりに引っ掛かりを覚えていたのだ。
 誘う側は勇気をもって誘っているのだし、期待もしている、なのにつれないから撤退している。
 シンジはこんな風になっても好意を向けてくれる彼女たちに対して、悪いことをしていたのだなぁと思い直していた、だから積極的とまではいかないまでも、皆に付き合い、学校帰りに遊びに出るくらいのことはしていた、その時間も十分にあったから。
 拘束されることが無くなったので余裕が生まれたのだ。
「力を取ったらただの人、か、でも碇君って全然変わんないよねぇ」
 そうかな?、と複雑にシンジ、まあ、だからこそみんな付き合ってくれるのだろうと思っていた。
 全ては平穏に、そして何事も無く。
 シンジは少しだけ気が楽になるのを感じていた。
 ──それも教室に入るまでのことであったが。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。