「これは由々しき問題ね」
そう口にしたのはリツコであった。
ここ数日の学校の様子をモニターした報告書に目を通しての感想である。
「シンジ君は決して除名された分けじゃないのよ?、場合によっては復帰もあり得るのに、こんな」
「分かってるけどさぁ……」
ミサトは拗ねてしまっていた、それはそうだろう、畑違いのリツコのところに、何故そんな報告書が回っているのか、今ひとつ得心がいかない。
ついでに叱られることにも納得がいかない。
結果、丸椅子の上に足を揃えて開き気味にし、爪先を両手で持ってふてくされていた。
「昔はさぁ……、シンジ君って知り合いの子供って感じだったじゃない?、だから分かんなかったのよね、あんなにとっつき難いなんてさ」
「今更ね」
「あんたには分かんないわよ……、ふっつーなのよ、何もかもが、自然に応対してくれるの、その上で言葉の一つ一つが嫌味にならないよう気をつけてる、だから取っかかりが見つかんないのよね、当たり障りが無さ過ぎてさ」
「それがあの子の処世術ってわけね」
「ええ、上手く言えないんだけどさ」
足は乗せたままで、頭を掻いた、ぼりぼりとだ。
「ほら……、なんとかしてやりたいって気持ち、あるじゃない?、でもそうさせてはくれないのよね、それがさぁ……、なんだかあたしが悪いみたいな気持ちになってくんのよ」
「あなたが?」
「関係無いってことは分かってるし、別にあたしのせいでも無いんだけどさ、でも何もしてやれない自分が歯痒いって言うか」
「それが?」
「え?」
「それがどうしたの?」
リツコは本気で呆れていた。
「そんなこと、別に悩むようなことじゃないでしょう?」
「そう?」
「そうよ、だってそれは……」
リツコは続きの言葉を呑み込んだ。
──それはあなたが、シンジ君に負い目を持っているからじゃない。
先日の、シンジを見捨てようとしたこと。
そういったことが心の中で尾を引いて、せめてこのような時くらいはと手を差し伸べてやりたくなってしまっている。
それだけだ。
「ちょっとリツコ、どったの?」
「いえ……、なんでもないわ」
「そう?」
ミサトはあえて、言葉の先を促さなかった。
たとえどんな説明を受けたところで、やることは一つであるからだ。
シンジのケア。
相談相手。
「んで、そんなことを忠告するためにわざわざ呼んだわけ?」
リツコは表情を一変させた。
「例の計画の実行、決まったわ」
ミサトもつられる。
「そう……、いつ?」
「一週間後よ」
「そんなに早く?」
「最初のコンタクトを行うだけだから……」
「分かったわ」
授業中だというのに、シンジは学校の屋上に寝転がっていた、屋上に出る昇降口の屋根の上にである。
やる気が削がれてしまったからだ、人の噂も七十五日、だがそんなに待てるほどシンジの神経は太くはなかった。
とにかくうるさいのだ、どうして他人のことなのに口出ししたがるのだろうかと思う、関係無いじゃないか、放っておいてくれよと喚きたくなる。
自分達がどうなろうが、そっちの人生には関りの無い事だろうがと。
だがそれをすれば、途端に悪者にされてしまうことを、シンジは『経験上』から知ってしまっていた。
黙すしかないのだ。
何も言えない、言うわけにはいかない。
何を言われても堪えるしかない。
それは苦痛そのものだった。
「あ、居たぁ!」
昇降口の扉付近からの声だった。
誰かがぴょんぴょんと跳ねている。
「霧島さん?」
「マナって、呼んで、ってばぁ!」
途切れ途切れなのは、跳び上がる度に口にしているからだった。
「ちょっとシンジ君!、手ぇ貸して、手!」
「え?、上るの?」
「そこはシンジ君だけの場所じゃないでしょう?」
マナはシンジの手を借りると、壁を蹴るようにして一気に引き上げてもらった。
「てへへ、ごめん」
「いいけどさ」
ちょっと勢いを間違えて、シンジは引っ張り上げたまま後ろへ倒れてしまった、マナもまた間違えて、シンジの上に覆い被さってしまっていた。
暫くじっと見つめ合う。
「あのさ……」
「え?」
「何やってんの?」
「え!?、ああっ、ごめんねぇ!」
ばっと離れる、案外純情であるらしい。
シンジは体を起こすと埃を払った。
真っ青な空の下、シンジは足を投げ出し、マナはその隣にぺたんと腰を下ろして座った、遠くか見れば空の明るさに、二人は黒い影としか映らない。
心の内とは裏腹に、実にのどかな光景で……
「いい天気だねぇ……」
「そうだね」
「こんな日はお昼寝が一番ね」
「そうかもね」
「知ってる?、お日さまを浴びるとビタミンDが出来るんだよ?、人間って牛乳飲んでるだけじゃ骨って育たないんだって」
「ふうん……」
「もう!」
マナはぷうっと頬を膨らませた。
「せっかく探しに来て上げたのにっ、それが女の子に取る態度かなぁ?」
「……ごめん」
「そりゃさ、あたしも悪かったとは思ってるんだよ?、ムサシに話しちゃったりして、シンジ君……」
マナはちゃんと頭を下げた。
「ごめんね、ほんとに」
「いいよ、謝らないでよ」
「でも……」
「謝られたからって、僕にはどうにも出来ないよ」
「それってあたしのこと?、それとも……」
「アスカは関係無いよ!」
つい怒鳴ってしまったが、シンジはびくりとすくみ上がったマナに気がつき、自己嫌悪に陥った。
「ごめん……」
シンジは慣れた調子で、昂ぶった感情を消沈して見せた。
「お願いだから……、僕にかまわないで」
「どうして?」
「じゃあさ」
シンジは冷めた目を向けた。
「僕にどうしろって言うんだよ」
「どう、って……」
「ずるいよ、卑怯だよ!、お前が悪いんだって僕に言えっていうの?、それで謝らせろっていうの?、そんなのないよ……」
「シンジ君……」
マナは胸に痛みを感じた、自分がいかに残酷な追い込みを掛けたのか、気付いたからだ。
周りの状況と追い詰められていくシンジを見れば、それは自分のせいだと思わずにはいられない。
謝罪することで気持ちは楽になる、だからシンジの望むことがあればしてやりたいと思える。
だがそれは我が侭だ。
自分勝手な自己満足だ。
そして相手には、それをやらせたと言う後悔と、自責の念を与えてしまうことになる、自分を嫌いにさせてしまう、マナはようやくそのことに考え至った。
──これはアスカと同じであると。
悔恨から解放されるためには、それ相応の罰を与え続けて貰うしかない、このような仕打ちに会う事も、仕方が無いのだと自虐に浸り続けることで、楽になれる。
だがそのためには、謝罪する相手に断罪し続けてもらうしかないのだ、そんな酷い人間になってくれと願うしかない。
──好きな人に。
それは間違っているし、酷過ぎる。
(シンジ君には……、分かってるんだ)
だから誰も責めない、何も言い返さない。
嫌な事を積み重ねないために、嫌な事が生み出されないよう、口篭る。
そんな具体的なところにまで分析が進んだわけではなかったが、マナは直感的にシンジの心境を見抜いてしまった。
「お願いだから、僕を一人にし……」
ドンッと衝撃、それはマナが飛び付き、押し倒した音だった。
「ねぇ、聞いた聞いた?、ウワサ」
「あれ?、碇君と霧島がってやつ」
「そうそう」
そんな噂が駆け巡るのが速いのも、やはり『デバガメ』が多いからなのだろう。
「まっっっっったくもう!」
そんな話が耳に入れば、アスカの機嫌が悪くなるのも当然だった。
「あいつっ、ぜんっぜん懲りてないじゃない!」
「懲りるって、なに?」
「うっ」
冷静なレイの突っ込みに言葉を失う。
「シンジ君は前からあんなもんだったと思うけどぉ?」
「あんたねぇ!、平気なの!?」
「平気じゃないけど、あたしは言える立場じゃないしぃ?」
「なに拗ねてんのよ?」
「あたしだって、アスカにしてみりゃ、ちょっと目ぇ離した隙にシンジクンが作ってた女ってことになるんじゃないのぉ?」
何だか妙にふてくされている。
「ちょっとぉ?、どうしたってのよ?」
「ぷーんだ」
なによなによという気分である。
(同棲は始めるわまたそうやって噂立ててもらって目立つわ)
なによりもシンジとアスカの仲が公認になっていくのが腹立たしい。
(シンジクンもぉ、なぁんで難しいところにばっかり行くかなぁ?)
おかげで変な噂や妙な人間関係ばかりが生まれる。
(そういやあの人どうしたのかな?、コダマさん)
レイはクラスメートの姉のことを思い出した。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。