「まったくもう……」
 ぶちぶちと完全に口癖になってしまった言葉を呟く。
 頬を膨らませている辺り、まだカワイ子ぶる余裕は失われていないらしいが……
 アスカである。
「なんや、また喧嘩しとるんか」
「喧嘩じゃないわよ!」
 休憩室に怒鳴り声がこだまする。
 手に持っていたカップからコーヒーが跳ねた、正直、喧嘩であればまだ良いのかもしれない、そこには決着があるからだ。
 終わりが見えているのなら、精神衛生上どうとでも収まりをつけられるのだが……
(分かってるわよ)
 悪いのは自分なのだ、シンジが本気で誰かと付き合う事など無いと勝手に思い込み、放置して来た。
 そのツケがここに来て回って来ている。
 アスカのこと、レイのこと、エヴァのこと、黒き月のこと。
 全てから解放された今、シンジには余りあるほどの暇がある。
 それを女に使うのは自然な流れかもしれない。
 いや、むしろそうであるべきなのだろう、時間ばかりがあり、何もすることがない、以前のように篭りがちになってゲームにのめり込んでいるよりも、今の状態の方が健全なはずだった。
 そして、その相手役を務めるには、自分には余りにも暇が無い。
 相手が自分ではないということ、その不満は我が侭にすぎない、だから不完全燃焼を起こして八つ当たりしてしまう。
「いつもことや言うてもなぁ」
 トウジはそんなアスカに呆れた目を向けていた。
「ええかげんにせぇよ?」
「なによぉ?、やる気?」
「わしはシンジのことは知らん……、言うか、嫌いや」
 トウジははっきりと言い切った。
「惣流のことは好きやで?」
「え……」
「あ、あほぉ!、そういう意味やないわい!」
 引いたアスカに、真っ赤になって喚き叫ぶ。
「嫌いやない言う意味じゃ!」
「あ、ああ……、そう、ああびっくりした」
 本気で胸を撫で下ろしている。
「いきなりなに言い出すんだって思ったわ」
「うるさいわ」
 それはそれとして、トウジは真面目な顔を作った。
「惣流も綾波も嫌いやない……、けど、シンジは好かんかった、今でもや、そやけど」
 アスカは黙って聞き続けた。
「そやけど、感謝はしとるんや」
「感謝?」
「そや、こんなわしでもシンジは嫌な奴や思わんと、力を貸してくれた、おかげで」
 ぎゅっと拳を握り締める。
「わしは強ぉなれた」
「鈴原……」
 アスカの目には、トウジの拳が歪んで見えた、それは錯覚などではなかった。
 握り込まれた『空間』が凝縮されて、球状の歪みを生んでいる。
「後一息や……」
 アスカは見とれた。
「後一息で、わしは……」
 苦笑して、トウジは気が早いなとかぶりを振った。
「あかんわ、焦ってしもたら、今までと同じことになるしな」
「……そうね」
「ちょっと、3号機見て来るわ」
 アスカの顔を見もせずに出ていく、それを待って、アスカはふうっと息を吐いた。
 いつの間にか、呼吸を止めてしまっていた。
「カッコイイじゃない」
 トウジ横顔と、その後の背中に男らしさを感じて、素直に認める。
「シンジが居なかったら……、惚れてたかもね」
 カヲルとてそうだ、悪くはない、最初は嫌な奴だが、成長し、良い男へと変わっていく過程に見惚れたものがあった、それは事実だ。
 変わろうとするその姿勢には、どこか胸を高鳴らせるものがあるのかもしれない、それに比べればシンジはどうだろうか?、凛々しさとは遠くかけ離れた所に居る、人に見せるどころか、隠そうとさえする。
 トウジやカヲルが、無意識の内に雰囲気を身に纏っているのに対して、シンジは意識的にそれらのものを抑え込もうとしている、もちろん、人目を引かないためにだ。
 ──だからこそ、捨て置けないのだとアスカは目を伏せた。


 カッコイイ男というのは、女が虜にされてしまうようなものを持っている、例えば今のトウジがそうだった。
 これまでの醜態をくり返さない、その思いでエヴァを見ている、熱く。
 その視線が自分に向けられたなら?
 それは恋愛と同じであった、仲睦まじいカップルを見付けると、その雰囲気に毒されて、自分が成り代わりたいと望み始める。
 決意が見え、頼りがいのある雰囲気を漂わせている、だが振り返ってはくれない、だからこそ想いは募るのだろう。
 今、トウジを見つめている者は非常に多い。
 ──だがシンジは違う。
 シンジはそのようなものを持っていない、何も身に付けていない、それどころかまるで逆なのだとアスカは感じていた。
 アスカの記憶に棲みつくシンジは、いつも顎を引き、上目づかいに、何かを言いたそうにしていた。
 何も言わず、何も言えず、何かを口にする事を許されず、ぎゅっと口をつぐみ、そして顔を伏せ、目を逸らす。
 全てを胸の内に溜め込んで。
 いつも、いつもだ。
 誰にも気付かれること無く、そうして想いを溜め込まれていた、消化することなく、鬱積させていた。
 そして積もった想いは、ついには自己破壊願望へと変質していった。
 溢れた想いは、飽和して、感情の揺らぎを無くしてしまった。
 袋と同じだ、詰め込まれ過ぎた袋の中では、物は動く事が出来なくなる、固まる、シンジの心は固まっていた。
 誰かが見ていてやらなければ、誰かがかまってやらなければ、シンジは誰にも、何も明かさないままに、いつか来る『その日』まで、平然と、ごく普通に暮らしている振りをするだろう、事実、シンジはそうしようとしていた。
 それがとても辛いのだ。
 その日とは、死ぬ日のことだ、戦いで、あるいは寿命で、だがその時自分は何を思っているだろうか?
 幸せに逝ってくれた、往生してくれた、良かったと思っているだろうか?
 それとも何故、どうしてと見つからない答えに、自分のせいなのかと恐怖に脅えているのだろうか?
 何一つ、ヒントですらも残さないシンジの生き方は、寂し過ぎる。
(怖いのよ、シンジは)
 心の中では責めているのかもしれない、本当は許してくれているのかもしれない、どちらなのか、それすらも分からない、確証を得られない、本心を掴めない。
 アスカはケージ内を見下ろすボックスから、3号機とトウジを一度に眺めた。
「アスカ」
 そんなアスカに、レイが話しかけた。
「そろそろ第一次試験開始だって」
「そう……」
「あたし達は何かあった時のためにエヴァで待機」
 レイは上目づかいに問いかけた。
「大丈夫だよね?」
「なによあんたまで……」
「だって……」
「今日の実験は、S機関の存在の確認だけでしょう?」
 呆れた口調でレイに言う。
「S機関は、あんたが普通に使ってるもんじゃない、大丈夫よ」
「そうだと良いんだけど……」
「なによ?」
 レイは戸惑いながら口にした。
「ううん」
 ふるふると首を振る。
「コダマさんがさ……、気になる事を言ってたから」
「気になること?」
「うん……」
 とつとつと語る。
 話しかけたのはレイからだったが、主導権を掴んだのはコダマであった。
『綾波レイさん、か』
『な、なんですか?』
『あなた、普通の人じゃないでしょ?』
『へ?』
 レイは青ざめたと口にした、自分の秘密を知られているのではないかと感じたからだ。
『ん〜、まあそう思うだけなんだけどね』
『……』
『だから感じてるんじゃないのかなぁって思っただけ』
『感じてる?』
『そうよ』
 にやりと笑った。
『雰囲気が悪くなったって感じない?、この中……、まるでどこに行ったのって、どうして戻って来てくれないのって嘆いてるみたい、風が……』
『風って……』
『『後少し』だったのにって、もう後少しで『逢える』のに、どうしてどこかへ行ってしまったのって、嘆いてる』
 その時、レイは寒気を感じた。
 神がかっている様な、恍惚とした表情を見たからだ。
「あたしには分かんないんだけど」
 でもとアスカに説明する。
「似たようなことなら……、ね」
「なんのこと?」
「シンジクンが居なくなったってだけで、なんだかみんな調子狂ってる感じがしない?、前とどこか違う感じがして……」
「それは仕方ないじゃない」
「でもみんながみんな、調子を狂わせるなんて、そんなの、どこでどんな風なことになるか分かんないじゃない」
「でもだからって、何か起こってもシンジのせいには……」
「ならないのは分かってるけど」
 ブザーが鳴った、それはフォースチルドレンへの、3号機搭乗命令で……
 二人は目を下に向けた。
「急ごう?」
「ええ」
 二人はエヴァの元へと向かった。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。