辛いなと自嘲したのはゲンドウだった。
(ユイ……)
 邂逅する。
「あの……、あなた」
 このところ体調が優れないと訴えていた妻に、ゲンドウは逆らう事ができなかった。
 セカンドインパクトの後においても、比較的生活には余裕があった、それは『裏』の事情があったからだ、これはユイにも分かっていたが、不安には勝てなかった。
 そんなわけで、ゲンドウはユイを連れ回すことを諦めた、どこかに家を用意するから、待っていてくれないかと頼もうとして……、先の言葉をつむがれてしまった。
「なんだ?」
「わたし……」
 不安げに、俯いて、彼女は口にした。
「できたみたいなんです、子供が……」
 そうか、それだけを口にするのがやっとだった。
 続けて、ならば家を持つかと口にできたのは、上出来だった。
 彼女は本当に、顔をほころばせて、喜んでくれたから。
 ──二人の子に対する称賛であると受け取って。
 だが事実は違った、違っていた。
 反射的に、自宅で療養していてくれと頼もうとしたのを、混乱しながら口走ってしまっただけだったのだ。
 ゲンドウには親になるつもりなど無かった。
(いつも唐突だったな、君は……)
 とある興信所で働いていた、実際にはボディーガードなどの仕事のために、『コワモテ』ということで雇われているだけだったのだが。
 その時に受けた仕事は、碇ユイという人物に対する調査であった、何故自分がという疑問はもっとなものだった。
 所長が、これはまずい仕事かもしれないと、失ってもさして痛くない人物に仕事を割り振った、それが真相だった。
 早い段階で気付いていたが、ゲンドウは引き受けた、厄介ごとを押し付けられるのはいつもの事だったからだ、この仕事が、彼がゼーレと関ることになる、きっかけとなる事件を与えた。
 ごく普通の女子大生、碇ユイ、その素行調査は、非常につまらないものだった。
 途中、彼女が痴漢に間違わなければ、今の自分は無かっただろう。
 駆け付けて来た彼女の護衛にのされて、連行された、その先で素性を調べ上げられ、誤解は解けた。
 ──誤解ですまなかったのは、興信所であった。
 調査対象に気付かれたあげく、痴漢と間違われ、捕まり、素性を明かし、揚げ句守秘義務も守らずに、依頼主のことまで話すとは何事かと、締め上げられた。
 クビ、それがゲンドウへのお達しだった。
「……」
 ゲンドウはぼんやりと、アパートの一室に佇んでいた、壁際の窓から夕日を見て、後何日もつかと、財布の中身について考えていた、その時だった。
「あっ」
 下で、小さな驚きが聞こえた。
「六分儀さん!」
 手を振っていたのは、メモを手に、どこかを探して、訊ねて来たらしい彼女だった。
 ──碇ユイ。
 何故ここにと驚いている間に、彼女は小走りに行ってしまった、おい?、どういうことだ?、考えている間に安い階段がカンカンと鳴り、玄関に人が立ったのが分かった。
(まさか、彼女なのか?)
 明かにそうだった、呼吸を整えている、小さく『ファイト』と聞こえた。
 ──ごめんなさいと、彼女は言った。
 クビになったと聞いて、わたしのせいで、そんな見当違いなことを言う彼女につい笑ってしまった、彼女も笑った、よかった、怖い人かと思ってたんですと言ってくれた。
 その後は……、こまかいところは覚えていない。
「この顔だからな、もてたことなどないよ」
「わたしも、男の人とはお付合いしたことがなくて」
「そうか……」
「はい、いつも護衛のみなさんがついて下さっているんですけど、それを考えると、寄り道なんて迷惑かけるのは、悪いなぁと思って」
 そんなものかと納得した覚えはある。
「付き合ってみたいと思ったことはないのか?」
「ありますけど……、好い人が居なくて」
「大学に行っていれば、出逢う機会などいくらでもありそうなものだがな……、向こうからも寄って来るだろう?」
「でもすぐにみんなが、背後関係とか、怪しい事を言い出しますから……」
 そこにあるのは、寂しさだった。
「あの男は、こうで、ああでって……、おかげで夢を見る事もできなくて」
「災難だな、それは」
「そうかもしれません」
 あの、とユイは問いかけた。
「六分儀さんは、どうなんですか?」
「俺が、なんだ?」
「ええと、誰かと知り合うような、きっかけって、ありますか?」
 ないなとゲンドウは苦笑した。
「君の時と同じだよ、君の時は確かに不審者そのものだったが……」
 小さくなる彼女に、慌てて続ける。
「ボディーガードとして歩いていても、不審者に間違われることが多かったよ、そんな奴だ、『ロマンス』なんて期待できないさ」
「諦めていらっしゃるんですか?」
「ああ……」
 口を滑らせる。
「俺にだって夢はあったさ、誰かと腕を組んで歩いてみたかった、女の膝の上で寝てみたかった、いや、これは一度だけソープ……、失礼、『その手』の店でやらせてもらったよ、膝の上に頭を置かせてもらった、腕で腿を抱き締めて、枕の代わりにさせてもらった、笑われたがね、こんなことを頼まれたのは初めてだって」
 自嘲する。
「あれ以来、確かにいい大人がそんなことを口にするなど、恥ずかしいことだなと……」
「そんなことありません!」
 あ、ご、ごめんなさい、ユイは大声を出してしまった事を恥じて、身を小さくした。
 上目づかいにゲンドウを見る、するとどうだろうか?
 ──夕日を背に、優しい目をして、微笑んでいた。
 ユイはまた赤くなって顔を背けた、慌てて言葉を紡ぐ。
「人は……、寂しさを忘れることで生きていけるって、わたしは教えられました、なら、忘れ方も人それぞれだと思います、悲しいのは……、忘れ方が分かっているのに、怖がって、逃げることだと思います」
「そうかもしれないな……」
 ところでと、ゲンドウはようやく本題を訊ねた。
「君は、どうして今日、ここに?」
「え?、……あっ!」
 本気で忘れていたのか、彼女は慌てて姿勢を正した。
「あの!、わたしのせいで、お仕事クビになったって聞いて」
「君のせいではないさ」
「……お優しいんですね」
「……社交辞令だ、本当は途方にくれているのさ」
「だったら」
 わたしがお世話になっているところで、働いてみませんかと彼女は言った。
「頼んでみたんです、どうにかしてくださいって」
「しかしだね」
 困惑する。
「考えてみなさい、依頼主クライアントは君を誘拐するために素行調査を頼んだのかもしれないんだよ?、ならわたしは共犯ということになる、そんな人間を……」
「それなら大丈夫です」
 にこっと笑って口にした。
「もう、潰したって、言われましたから」
 ……恐ろしい言葉を聞いた気がする。
「そうか」
「はい」
 ……彼女のための専属の護衛に回されたのは、余程気に入られたからなのだろう、だから、その後の展開は、とても自然なものだったのかもしれない。
 二人になると、はいどうぞと、揃えた膝を叩いて呼ばれた、恥ずかしくてムスッとしたが、笑われただけだった。
 結局魅力に負けて、膝の世話になって、よくくつろいだ。
 そんな風に、仲睦まじく……、だが。
 ──そこに、子供などと言うヴィジョンは無かったのだ。
 少なくともゲンドウには、子供などと言うものに対する、夢や希望などは欠けらも無かった、自分自身に諦めを付けているような人間が、何を描いて、何を託すことがあるというのか?
 果たせなかった夢、あるいは未来への希望、未だ飢えていると言うのに、満たされぬまま、親に、父親になって落ちつけと強要された。
 子供のことを考えろと言われた。
 諦めたものを、諦めるしかなかったものを、子供にだけは同じ想いをさせないようにしましょうね、と、諦めさせられた。
 ──これから、取り戻せると思っていたのに。
(君は、いつも、勝手だよ)
 勝手に人に夢を見させて。
 勝手に押し付けて。
 勝手に逝ってしまった。
 付き合い切れないと感じた。
 こんなにも欲しい物が分かっているのに、どうしてくさったままで生きていく様な真似ができるというのか?
 ──親にはなれない。
 自分は未だ、『六分儀ゲンドウ』から変われずにいた。
 だからシンジを預けた、こんな男より、まだ親らしい真似ができる人間を探して。
 ──その結果については、多少後悔をしているが。
(わたしは親にはなれんよ、ユイ……、わたしは未だ、温もりを求める子供のままだ)
 だからこそここに居るのだ。
 いつか、いつの日か、彼女を取り戻す、そのために。
「来たか」
 ゲンドウは面会を求める連絡に、連れて来いと返事を出した。


 せっかく諦めていたものを、彼女は残酷にも教えてしまった。
 一度知ってしまった快楽を捨てるためには、一体どれだけの苦痛が伴うものなのか?
 ──到底、諦め切れるものではない。
 どれ程の犠牲を払おうとも、取り戻したいものがある。
 皮肉にも、彼を責めるために訪れたのは、誰よりもそのことについて、一番よく共感できたかもしれない息子であった。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。