「僕には、資格なんて無いんだ……」
 今まで何をして来たのだろうかと、振り返る。
 アスカに、レイに、迷惑を掛け通して来た。
 この街に着いた時、父と再会した時、心配して、面倒を見てくれたのは誰だっただろうか?
 ──綾波レイだ。
 過去のことから開放されるよう、今を色付けてくれたのは誰だっただろうか?
 ──惣流アスカだ。
 なのに自分は何をしていた?、父からはレイを頼むと頼まれていたのに何をしていた?、アスカの相手をするぐらいが、今の自分に出来ることだと分かっていたのに、何をしていた?
 ──他人と、遊び回っていただけだった。
 そんな自分に、何を言う資格があるだろうか?、何を思う資格があるだろうか?、父は守ろうとした、多くの人を……、アスカを、レイを。
 二人は何をした?、トウジを救ってくれた、そんな父に逆らってまで。
 なのに自分は何をしていた?
 ──目を背けていただけだった。
 あの暗闇の恐怖、死の寸前で感じた絶望感から逃れるために、振り返ってしまうのを恐れて、逃げ回っていただけだった。
「父さんの言う通りじゃないか!、僕は……」
 ──戦わぬ者に、用は無い。
「僕は……」
 戦えないだなんて、そんなの嘘だ、シンジは自分の心を偽ることができなかった。
 知っているはずだったのに、自分に出来る事を、足掻いてでも、成し遂げようとするべきだったのに。
 ──アスカが、どんなに伝わらなくても、気持ちを伝えようとしてくれていたように。
 どれ程虚しくても、みじめでも、逃げ出さずに、全てを受け入れ、堪えていたように、自分にも出来たはずなのに。
 ……そんなシンジの思いとは裏腹に。
 時はなだれを起こして滑り始めた。


 二日ぶりに学校へと顔を出した綾波レイは、いそいそと出て行くクラスメートに首を傾げた。
「あ、レイちゃん」
 比較的仲の好い女の子に話しかけられる。
「レイちゃんも行くでしょう?、駅」
「駅?、なにかあるの?」
「知らないの?」
「うん」
「鈴原君、今日、行っちゃうんだってさ」
「行っちゃう?」
「チルドレンをやめて、普通の学生になるんだって、大阪に引っ越すって」
「そうなの!?」
「うん、だからみんな、見送りに行こうって……」
 可哀想だったよねぇっと続ける。
「やめちゃうことないと思うんだけどサ、碇君だって続けてるんだし」
「そうね……」
「それともあれかな?、碇君ってさ、やっぱりお父さんが偉いからって、続けさせてもらえてるのかな?」
「え?」
「あ、ううん、ちょっと思っただけ」
 ズルイなぁって、と、そう聞こえた。
「ちょ、ちょっと待って!」
「先に行くねぇ」
 逃げられた、とレイは感じた。
 ──危険な兆候。
 今までが今までだったから、感じられたのかもしれない、一方、当のトウジは、そんなこととは無縁の状態にあった。
 ──駅構内。
 出勤のラッシュアワーを過ぎているからか、人気ひとけは少ない、ここから各駅に乗って第三新東京駅へ向かい、そこから大阪へ向かうと言う。
「すまんのぉ、見送りさせてしもうて」
 トウジの言葉に、ヒカリはううんとかぶりを振った。
 ──憑き物が落ちた。
 そんな表現がぴったりとくるトウジの様子に、戸惑いながらも……
「でもなにも、街を出て行くことはないのに……」
「もう、やれることはあらへんさかいなぁ……」
 ぎゅうっと拳を握り、次に開いて空へとかざした。
 指の間から見えるまぶしい光に目を細める。
「わし……、頭悪いし、力がのうなったら、なんも手伝えることあらへんやろ」
「手伝う?」
「あ、なんでもあらへんわ」
 何の事だろうかと訝しむ、しかし問い詰めることは出来なかった。
 それだけ、穏やかな表情をしていたからだ。
「鈴原は……」
「ん?」
「いいの?、一人で大阪に行くんでしょう?、妹さんとか」
「あいつは……、しっかりしとるさかい、おとんとおじいの傍の方がええやろ、元々なぁ……、大阪の家、おかんの想い出があるさかいに、逃げ出して来た様なもんやったから」
「だから帰るの?」
「そや、ハルカにはまだきついやろうけど、わしはもう大丈夫やさかい」
 そうやと、一つ訊ねた。
「シンジはどないしとる?、謝りたかったんやけどな、あいつに、惣流にも……」
「アスカにも?、碇君に謝るって、どうして……」
 胸の鼓動を高鳴らせる、しかしトウジの返答は、ヒカリの想像からは外れていた。
「あいつらには、手間ばっかりかけさせてしもたし」
「手間?」
「そうや、シンジには色んなこと教えてもろたわ、力のことかてそうや、けど、わしに出来たんは、その力で、惣流を痛めつける事だけやった」
「鈴原っ!?」
 ヒカリは驚いた、事の顛末は聞いていたのだが、まさかトウジが全て覚えているとは思っていなかったのだ。
「で、でもあれは!、鈴原じゃなくて、使徒がやったことだって!」
「そんなん、嘘に決まっとる」
 前を見て、自分を見ている。
「小難しいことは分からん、そやけど、あの時」
 使徒に汚染された時。
「引きずり出されたんは、わしの本音やった」
「そんな……」
「そやけど、後悔はしとらんのや、隠しとったもん、全部さらけ出してぶつけることが出来た、すっきりしとる」
 悪い事をしたとは思っていないと、トウジは語った。
「惣流には、付き合わせてしもて、悪い事をしたと思っとる、そやけど、あんな思い……、劣等感いうんやろか?、抱えて生きていくより、よほど楽になれたわ」
 いつもより饒舌なクラスメートに呆気に取られる、その内容にもだ。
「そう……」
「おう、そやから、わしは大阪に帰らなあかんのや、親の転勤に付きおうておかんのおった家から逃げ出して来てしもうた、あそこからやり直さな……」
 その続きは語られなかったが、ヒカリにはなんとなく察しが付いた。
 アスカがそうであるように、シンジがそうであるように。
 過去のトラウマから逃れるためには、向かい合って、戦いを始めるしかないのだ。
「無理しとったんやなぁ」
「え?」
「そう思うんや、今は」
 照れて、後頭部を掻いた。
「ハルカに嫌われてたんも分かるわ、弱いとこ知られとうなくて、強う見せようとして、無理して、わしは強いんやっちゅうもんばっかり、上積みしようとしとったから……、『土台』がもろかったんや、そやから危なっかしゅうて、頼ってもらえんかったんやなぁ」
「……鈴原は、十分頼り甲斐あると思うけど」
「そう言うてもらえると嬉しいけどな」
 あかんのや、と首を振った。
「自分で分かるんや、自分の一番弱いとこ、まともに見ようとせんと、自分は『やれる』人間やっちゅう証明みたいなもんが欲しゅうて、みんなに頼らせようとしとった……、ほんまに強い言うんは、惣流みたいな奴のこっちゃ」
「アスカ……、強いもんね」
「そうや、自分が積み重ねて来たもん、自分で崩して、土台から作り直しとる……、わしにも、あんなことが出来るんやろうか」
 まぶしいものを見るような目に嫉妬を覚える。
 明らかにこの人は恋をしているなと感じた、まるで、いつか胸を張って、並び立てることが出来るんだろうかと、羨望を抱いている様な声音に聞こえたから。
 ──胸が痛い。
「鈴原……」
「わしはもう、ナンバーズでも、チルドレンでもない」
「うん……」
「ただのガキや、そういうところから、やり直してくつもりや」
「うん」
「ありがとうな、心配してくれて」
「鈴原!」
 トウジの目が丸くなる、ヒカリの『頭』が顔の半分を隠す、触れた唇の感触よりも、ぶつかった歯の痛みが鮮烈に残った。
 一瞬の襲撃、「お……」、自分は何を言おうとしたのだろうか?、駆け、逃げていく彼女に、さ迷う手をどうしたいと思ったのだろうか?
 その答えを見つけられぬままに、彼女が視界から消えるのを見送ってしまった。
 ……クラスの誰かが来るまでの間、ぼんやりとその場に立ち尽くしてしまっていた。


 駅から飛び出した時、数人の知り合いとすれ違ったような気がする、しかしそれも後になってそう思っただけのことだった。
 ──今になって、アスカの気持ちが分かる気がする。
 どうしてアスカほどの子が、シンジに?、そう思っていた、昔のことがあるから?、それにしてもこだわりの強さが分からなかった。
 悪いと思っているのなら、謝れば済むことだ、好きになる必要などないはずなのに……
 違うのだ、と感じられた。
 振り向いてくれない人だから、他の誰かを向いている人だから、どんなに気持ちを伝えても、ちゃんと伝わっているか、信じてもらえているのか分からなくて……
 ──不安になるから。
 だから振り向いてもらいたいのだと、ヒカリはそのことを理解した。
 心から通じ合っていなければ、本当に気持ちを受け入れてもらえたのか、相手の胸の内の全てを信じ切ることなどは出来ない、不安で不安でたまらない、だからアスカは、シンジに振り向いてもらいたいのだろうと思う。
 ──こんなにも切ない気持ちを、伝えないまま、隠していくなど、辛過ぎる。
 どんな気持ちかは、関係無い、お願いだからあたしを見て!、そうしてくれないと安心して、気持ちを伝えることができないから。
 ヒカリは駆けながら、いつしか涙を滲ませていた、そうなのだ、『あの人』はもう遠くを見ている、『わたし』の頭の上を素通りし、遥か遠くの何かを見ている。
 もう、手の届く人ではない、引き止めることなど、出来もしない。
 好きと自覚した時には、失恋していた、そんなことはドラマの中だけの話だと思っていたが、現実にあることなのだなぁと、ヒカリは僅かに残された、冷静な部分で考えてしまい、おかしくなって、笑っていた。
 ──笑いながら、泣いて、感情の爆発を、暴走の形で表していた。
(でも……)
 ヒカリは足を遅くし、ようやく立ち止まった。
(碇君は、どうして他の人達とばかり付き合うの?)
 あんなにもアスカが、レイが、好きだと伝えているのに、どうしてそんな気持ちを無視するのだろうか?
 シンジは意地悪だ、と思ってしまう、受け入れてやれば、みんな幸せになれるのに、どうしてと。
 シンジ自身、幸せになる方法は、分かっているはずなのに……
「どうして……」
 シンジの考えが理解できない。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。