かちゃかちゃと食器の音が虚しく響く。
 後は咀嚼と、飲み下す音だけ、この日の夕食も、最悪の雰囲気に包まれていた。
 アスカはミートボールに、オムレツに、チリ味のチキンソテーの乗った皿を見下ろし、見つめていた。
 それでも時折堪え切れなくなって、正面に座るシンジの表情を盗み見てもいた。
「ごめんなさい」
 今日も身の無い会話を始める。
「アタシがもっと上手くやれてれば」
 口惜しげな言葉に対する返事は冷たい。
「謝らないでよ」
「でも」
「謝らないでよ!」
 ガシャンと、箸をテーブルに叩き置く。
「お願いだから……」
 苦しげなシンジに、アスカは身を竦ませたまま、動きを止めた。
 やはり悪いのは自分だと、責めたい気持ちを、シンジは必死に堪えてくれているのだと、優しいのだと。
 ──あの時の殺意がある限り、その考えは真実になる。
 だがシンジが本当に堪えているものは、違っていた。
(どうしてっ、謝ったりするんだよ!)
 その度に責められている様な気分になるのだ。
 あなたの代わりを上手く勤められませんでした、ごめんなさい、それは僕がいなかったのが悪いってことなの?、僕が逃げ出したのがいけなかったってことなの?
 元々、アスカは巻き込まれたに過ぎない、誰に?、自分にだ。
 罪悪感を感じることは無いのだ、アスカは良くやってくれたから、ちゃんと父の暴挙を止めてくれた、なのに!
(謝らないでよ……)
 どうして僕を責めるのと喚きたくなる。
 落ち込んでいる姿を見せつけられると、まるで自分が彼女を傷つけたように思えてならない、いや、事実そうなのだから救い難い。
(僕がやらなくちゃいけなかったのに……)
 脅えから、エヴァから逃げて、アスカに押し付けて。
 彼女に責められて、それを彼女のせいにして。
 ──そんな自分に嫌悪を抱いて。
 底無しの悪循環へとはまりこむ、彼女に責められて、彼女のせいにして、彼女に責められて、彼女のせいにして……、その先にあるのが自壊だとしても、やめられない。
(でも、僕に何が出来るって言うんだよ……)
 笑っている事しか、出来ないのだろうか?


 霧島マナは、非常に居心地の悪い思いをしていた。
「碇なんかと付き合うからだよ」
 ムサシの言葉が腹立たしい、それでも言い返すことができなかった。
 大変なことが起こっていた時、遊び惚けていたのは、事実だったから。
 あれ以来、シンジは登校して来ない、聞けばアスカもだという、何をしているのだろうか?
 気になる、行ってみたいと思う、だが二人で退廃的に慰め合っているのだとすれば?、そんな場面に出くわすなど、お断わりだ。
 実際のところ、シンジとアスカは、互いを慰め合ったりはしていなかった、むしろ状態は逆にある。
 お互いを意識し、ピリピリとしたものを張り詰めさせていた、別の部屋に閉じ篭っていながら、隣の物音に過敏に反応し、トイレへと立つ動きだけでも、どこかへ出ていってしまうのではないかと、同時に沸き起こる期待と不安に、胸を掻き乱されていた。
 居なくなってくれれば、気が抜ける、どこかに行ってしまうのではないかと、切なくなる。
 何かとても簡単な事なのに、それがお互いに上手くできない、そんなもどかしさが大きな裂け目となって、二人の間を引き裂いていた。


「とにかく、もう自縛霊も同然なのよね」
 そう語ったのはミサトであった。
「ひっさしぶりの家だからゆっくりしようと思ったんだけどさぁ」
「それでせっかく休みを貰ったっていうのに、出て来たの?」
 発令所である。
 オペレーターも混ざって、五人でひとつくつろいでいた。
「でも気分は分かりますよ」
 こぼしたのはマコトである。
「友達を殺され掛けて、それを止めてくれたのがアスカちゃんでしょう?、でも命令を出したのは自分の父親で……」
「シンジ君、怒鳴り込んだって、本当なんですか?」
 マヤの問いには、リツコが答えた。
「本当よ」
「凄いですね……」
「でも遊び惚けてたくせにって言い返されて、逃げ帰るしかなかったみたい」
「そんなのってないですよぉ」
 プンプンと。
「そんな言い方って!」
「通常待機のチルドレンには、非常事態の連絡なんて行きませんからね」
「そうッスよ、そんなこと言ったら、シンジ君と同じように遊んでた連中なんて、どうなるんですか」
 シゲルは訴えた。
「みんな気持ちは似たようなもんッスよ」
「でも、司令の対応は見事だわ」
 言葉とは裏腹に、リツコの態度は忌ま忌ましげだった。
「そうまで痛い所を突かれると、誰にも批難なんてできなくなるもの、できるのはあの時、あの場に居て、どうにか出来たアスカだけよ、そうでしょう?」
 一瞬、沈黙に囚われる、しかしミサトが破った。
「そのアスカが、シンジ君を苦しめてるのも、事実なのよね」
「どういうことですか?」
「アスカが無茶をするしかなかったのは?、無茶をするように仕向けたのは?」
「あ……」
「その責任の全てが、自分の父親に……、いいえ、脱落した自分にある、どうもそう考えてるみたいなのよね」
「さすがに、良く分かるのね……」
 前は何も分からないと言っていたくせにと皮肉る。
「気持ちが通じ合って来た?」
「そんなところかもね」
 肩をすくめる。
「とにかく、自分の心の中でケリをつけたがる子だからさぁ、もてあましてるみたいなのよ、答えを出せなくて」
「何をッスか?」
「本当は責めてもらいたいのよ、そうすればごめんって謝れるでしょう?、でもアスカが謝るからそれもできない、穏便に済ませることができない、ううん、それ以上に慣れてないのかもしれないわね」
「謝られることにですか?」
「違うわ」
 重々しく口にする。
「許すことに、よ」


 その日、シンジはとうとう息詰まって、牢獄のような葛城邱から抜け出した。
 様子を窺うアスカの気配に気付きながらも、無視をした、これ以上は気が変になってしまいそうだったからだ。
 自分勝手に、感情を吐き出したい、父を、アスカを責めたい、もっとやり方はあったはずだと、僕のせいにしないでよ、と。
 だが使徒への恐怖から、ネルフを敬遠していた自分がいたのも事実なのだ、だからこそ、僕には何も言う資格が無いのだと、アスカに肩代わりさせてしまったのだと、偽善的な思考を働かせもしていた。
 ──あるいは、自分のせいにしてしまって、断罪してしまう方が、楽であるから。
 風が吹く、虚しく、荒涼としたこの『墓場』に。
 丘一面に、金属の棒が並べられている、その一つ一つが墓標なのだ、セカンドインパクトで死んでしまった人達の。
 何億人も死んだのだ、何十億人も死んだのだ。
 世界中の墓場は埋め尽くされて、どこもこのように簡素化されてしまっている、場所が無いから。
 新たな死亡者もまた、この片隅に場所を借り受けていた。
 ──そこにあるのは、碇ユイの墓標であった。
 シンジは冷めた目をして見下ろしていた、遺体も何も埋まっていない、しかし想いは確かにここに眠る。
 ──数年前。
 シンジは一度だけ、父とこの墓の前に来ていた。
 アスカが変わってしまって、しばらくしての事だった。
『全ては心の中にある』
『心ってなに?』
『想い出が形をなしたものだ、それを魂と呼ぶのだと、ユイはわたしに教えてくれた』
『魂……』
『シンジ』
『なに……』
『人は人を理解することは永久にできない』
『え……』
『相手の気持ちなど、想いなど、完全に知ることはできない、自分の良いように捉え、思い、想像し、納得するだけだ』
『そんなことないよ!』
『いつかそれが分かる時が来る、必ずな……』
 シンジは拳を握り締めた。
「父さん……」
 呻く。
(父さんの言う通りだよ、僕には父さんが理解できない……)
 アスカがそうだった、どうしてそんな風に僕を嫌うのと分からなかった、だが父の言葉を思い出した時、酷く納得できたものだった。
 理解しようとするだけ、分かってもらおうと務めるだけ、無駄なのだと。
 分かってくれる人は分かってくれるし、理解してもくれる、だから、訴えるだけ無駄なのだと知った。
 ──中学から高校までの、空虚な自分が思い出される。
 校舎裏でレイに心配されたこと、リツコに、ミサトに、その全てが、そんな考えを否定してくれた、だから、今では父の考えは間違いだったのだと思い直し始めていた、なのに。
 その父によって、真っ正面から否定された。
 もう、何を信じていいのかすら分からない、何を思えばいいのかも、伝えればいいのかも分からない。
「想いが魂なんだって、父さんは言ったじゃないか」
 なら。
「嫌な思いなんてして、どうするんだよ……」
 そんな想い出を汚すような真似、傷つけるような真似をすれば、嫌な記憶は傷となって残るのに、心を壊して、何が嬉しいのかが分からない。
「それとも父さんは、人が死んだって、なんとも思わないっていうの?」
 ──僕には無理だよ。
 立ったまま、俯く、嗚咽がこぼれる、涙が頬をつたい、流れ落ちる。
 その様子を、遠くから眺めている二人が居た。
 広大な敷地の外、横付けにされている車には見覚えがある。
 加持の車だった。
「……」
 加持は黙って車を降り、煙草に火を点け、くゆらせた。
 ふうと煙を吹き出し、空を見上げる。
 彼女、アスカ一人のために、車内の空間を明け渡し……
 アスカは、自分の前では決して見せてくれなかった姿に、一抹の寂しさを感じてはいたが、同時に、決して小さくは無い、感動もまた覚えていた。
(シンジが、泣いてる……)
 あんなに激しく。
 決して弱さを見せようとしなかったシンジが、心をさらけ出し始めている。
 案じるべきか、喜ぶべきことなのか?
 この変化をどう捉えるべきか?
 アスカは悩まずには居られなかった。
 ──だからこそ。
 ノックの音に顔を向ける。
「加持さん……」
「仕事だ、アスカ」
「仕事?」
「ああ」
 ドアを開け、乗り込んで来る、ダッシュボードに放り込まれたのは携帯電話だ。
「使徒が出た」
 アスカはギュウッと唇を噛んだ。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。