──三十分前。
 暗闇の中を、バギーが走る。
「しっかしさぁ、巡回なんて、意味あんのかね」
「そりゃ……、使徒に対する備えってやつだろ?」
「けどその使徒を倒してくれるエヴァは無いんだぜ?、もし使徒が出て来たってさ……」

 ──二十分前。
 病室、頭を下げるミサト。
「ごめんね、レイ」
 いきなりの謝罪。
「あなたがシンジ君に惹かれてるってことは、十分わかっていたわ、けど同じくらい、惹かれ合うこともないだろうなって、分かるから」
 角が立つどころではない言い草に、レイは噛みつく。
「勝手に決め付けないでよ……、だったら、アスカはどうなんですか?、アスカならってことなんですか?」
 かぶりを振る。
「それもないわね、あの子たちは、引き合うような関係じゃないから」
 顔をしかめる。
「どういうことですか?」
 ミサトは愚痴のようにこぼした。
「人はね、何かを求めて生きていく生き物だって、そういうことよ」
「……」
「でもみんな同じものを求めているから、衝突したり、いがみ合ったり、憎しみ合うの、傷つけ合いたくなくても、結果的に、ね……」
「シンジクンと、アスカも、そうだっていうんですか?、同じものを取り合ってるって」
「そうね……」
「ミサトさんには分かるんですか?、二人が何を取り合ってるのかって」
 ──溜め息ひとつ。
「幸せよ」

 ──十分前。
 墓の前。
「母さん」

 ──そして今。
「アタシ、先に行くから、シンジのこと、お願いします」


「また……、人が死んだのね」
 ミサトは静かに黙祷を捧げた。
 発令所の中に、重苦しい空気が沈痛に漂う。
 一人、二人ではない、大勢が一瞬で蒸発した。
 その名前がずらりと表示される。
 ミサトは愚痴った。
「使徒の驚異を、甘く見るから……」
 慣れていく自分を感じる、そのことに反吐が出る。
 これ以上死者を増やさないように務めるのが自分の仕事だが、そのために必要なこともまた、人を死地へ追いやることなのだ。
 どこまでも愚かしい。
 ミサトは瞼を開いて黙祷を切り上げた、その時にはもう、自分を省みることはやめていた。
「状況は?」
「セカンドが到着、現在、エヴァの発進準備を急いでいます」
「目標は?」
「形状だけは確認できていますが……」
 主モニターに表示する。
 あるのかないのか分からない腕、足。
 浮遊する風船人形のような形状。
 ふざけた仮面。
 熱気に揺らぐ景色の中を、悠然と進み……、ノイズと共に映像は途切れた。
「武器……、武装については未知数か……」
「しかしその破壊力は、先日の初号機のものに匹敵していると」
「01に?」
「はい」
 遺跡の一部をえぐり取るように溶解せしめた01による爆熱攻撃、上下の階層を繋げてしまうほどのあれに匹敵しうる攻撃を行うと言う。
「02に……、アスカに防げるの?、あれが」
 マヤの手元を覗いているリツコへと振る。
「どうなの?」
「……以前なら、無理だったでしょうね」
 この間のことで、アスカの『認識力』の幅が広がったから……、リツコはそんな風に説明した。
「あの程度の攻撃なら、受け流せるはずよ」
「あの程度ねぇ……」
「不可解なのは、あの力を使えばこの『城』を瞬時に破壊できるはずなのに、限定した対象への攻撃方法として用いているってことね、何を遠慮しているのか」
 リツコは気付かれないように、ゲンドウへと目線を送った、間違いなく、リリスが関係しているはずだから。
「こちらの準備は?」
「万端とは言い難いけど、整えておいたわ」
「ありがと、アスカ」
 声をかける、チャンネルは常にオープンの状態だ。
「聞いてた?」
『ええ』
「使徒の攻撃については、堪えられるはずだけど、不確かだから、なるべくなら避けて」
『了解』
「あと、一応武器を用意しておいたわ、あなたの力ほどあてになるかどうかは分からないけど……」
『今、技術部の連中が並べてくれてるわ、無いよりはマシよ、適当に持ってく』


 アスカはウィンドウを流れていく情報を、懸命に目を動かして取り込んでいた、上から下へ、そしてまた上から下へと、忙しく眼球を動かして。
 それぞれの武器に関するレクチャーを忙しなく受けている、この点、想像力と記憶力には、実に凄まじいものがあった。
 兵器のことなど知らないというのに、読んで理解できるのだから。
 そうして集中していられるのも、優秀な『指揮官セコンド』がついているからこそだ、本人では分からない情報を、発令所で処理してくれている。
 戦っていると、アドレナリンの分泌に伴い、前しか見えなくなる、テンションが跳ね上がって、視野狭窄に陥るのだ。
 そうならないように、冷戦に判断してくれる第三者は、どうしても戦いには必要になる。
 そしてセコンドを成している発令所では、もっとも地の利に富んだ場所の選定が急がれていた。


 ──遠吠えのような音が聞こえて来る。
 シンジは顔を上げて、それが何かを考え、思い至った。
「警報だ……」
 初めてのことだった、地上に警報が流れるなどとは。
 シンジは首をめぐらせて、歩き出した、真っ直ぐに墓地の出口へと。
 そしてそこに停められている車の横に立ち、声をかけた。
「アスカは、もう、行ったんですか?」
 ウィンドウが下ろされる。
「勘が良いんだな……、気付かれてるなとは思ってたけど」
「こんな場所、後を着けられてたら、嫌でも目に入りますよ、わざとですか?」
「まあ、そんなところだな」
 乗らないかい?、と誘いをかける。
「エアコンは良いぞ?、まさに人類の至宝ってやつだな」
「ミサトさんみたいなこと言うんですね……」
「昔、一緒に暮らしてたんだよ、だからかな?」
 ウィンドウを閉じ、続きが訊きたければ乗るようにと誘惑する。
 シンジは仕方なしに従った。
 シートベルトもかけないままで、サイドブレーキを下ろし、ギアを入れる。
 軽い振動と共に動き出す、その時の荷重の掛かり方が、どこかミサトと同じ感じだなと、シンジは思った。
 この人達には、自分の知らない、大きな繋がりがあるのかもしれない。
「ミサトさんと、暮らしてたんですか……」
 シートベルトをつける。
「だから、アスカなんですか?」
「なんだって?」
「アスカって、変なところでミサトさんに似てるから」
 加持はぷっと吹き出した。
「そうなのか……、いや、それは知らないけどな」
 エアコンに話を戻す。
「昔暮らしてたのは、狭いアパートだったよ、七、八年前だな、生活が苦しくてね、置いてたのは小さな扇風機だけだった」
 想い出に目を細めて懐かしがる。
「これがまた、年中つけっぱなしだったもんだから、モーターが熱で焼けちまって、動いたり動かなかったり……」
 ぷっと吹き出す。
「しまいには、氷を袋に詰め込んで、モーターの上においてみたりな、結局蹴飛ばして潰しちまったが」
「……」
「ネルフに入ったのは、一番安定してたからさ、この時代、どんな会社でもすぐに潰れちまうからな」
 世界的に言えば、日本だけが異常なほど安定している、保険が成立するような国は実に少ないのだ。
 それもこれも、第三新東京市と、その地下に対して、多額の投資が行われて来たからなのだが……
「それがいつのまにやら、こんな感じさ」
 皮肉を浮かべる、その顔にシンジは少し困った。
 そう言われても、どういうことなのか、想像ができなかったからだ。
 付き合いが無いだけに、こんなと言われても、分からない。
「俺とアスカとの関係を疑ってるんなら……」
「どうでも良いですよ、そんなこと」
「おいおい……」
 シンジは加持から目を背けた。
 いつか吐いた自分の言葉が、自分に返る、『信じてくれるのは、信じようとしてくれる人だけ』、今の自分には、アスカの好きという言葉を、素直に受け入れられる余裕が無い。
 どんなに言葉を紡がれたとしても、それを信じ切ることはできない。
 こんな気持ちは、初めてだった。
 信じたいのに、信じられない、いまアスカに好きだと告白されたなら、一体どんな態度を取ってしまうだろうか?
 ──加持さんはどうしたのさ?
 きっと傷つけてしまうと思う、そして自分も傷つくのだ。
 傷つけてしまったと。
 ならば触れ合わなければ良いと思う、触れ合うことこそが間違いなのだと思える、なのに……
(僕はアスカを捨て切れないんだな……)
 信じて欲しいと願っている人から、信じられないと投げ返された時、どれほど心苦しくなるものか?
 誰よりもそのことを知っているから……、思い知らされて来たから。
 とても君の言うことなんて信じられないよと、言い放てない、だからシンジには、話題ごと切り捨てる以外、方法を見付けることができなかった、しかし。
 通路を歩く者がいた、苦しげに、お腹を押さえて。
 ──綾波レイだ。
 苦悶の表情を汗が彩る、顔色は蒼白を通り越していた。
 トウジに食らった一撃は、体の表面よりも内部により大きなダメージを残してくれた、内臓が破裂しなかったのが不思議なくらいだ。
 恐らく、『圧迫』によるものだろう、衝撃による破壊ではなく、圧力による破裂を狙ったのだ、03は。
 安静にしていればどうということはない、だが彼女は無理をして病院を抜け出し、本部格納庫を目指していた。
 ──脳裏に浮かんでいるのは、ミサトの言葉だった。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。