──ウォオオオオ、オオオオオーン……


 ジオフロント全体を揺るがす咆哮は、天井都市をも震わせた。
 大地が、ビルが、細かに震える。
 音ではない『声』に、みな立ち止まり、それが幻聴でないことを、顔を見合わせて確認し合った。


 ──母をないがしろにしてまで、我を貫き通して、幸せを得て。
 それを振り返らずに居られるほど、薄情に生きることなどできるのだろうか?


「やれやれ」
 そう言って肩をすくめたのは加持リョウジである、彼は総司令執務室を訊ねていた。
 決して一職員がしてはならない、総司令の机に尻を引っ掛けて座るという真似をしていた。
「初号機の、いえ、エヴァの覚醒、旧世代の神の再誕、委員会にはどうお話しするつもりで?」
 激昂したのはコウゾウであった。
「なにを……」
 お前がシンジ君を唆したのは、掴んでいるだぞ!
 そう叫ぼうとして、ゲンドウに目で制される。
 ──碇ユイは、古代に存在した人類の生き残りであった、レイと同じである。
 そして人類は、彼女達と同じ『シリーズ』の生き残りより生まれ落ちた、言わば子孫であった、彼女達は先祖、祖先と言えるのだ。
 同じ『モノ』として作られた、違いのない存在なのだから。
 十三年前、『母たる者』の死に際の声を聞き、子供達は目覚めた、そして、エヴァも。
 ──エヴァは太古の人々が作り出した兵器である。
 そのような科学力を持った彼らでも、人で無いものに魂を宿すことはできなかった、だから、レイのようなシリーズを完成させたのだ。
 直接が無理なら、後から組み込めばいいと、だが、そのために……
 ──2003年。
「知っていますか?」
 芦の湖、湖畔。
「ユイに、レイ……、この名前は、誤変換から付けられたものなんですよ」
 日差しがまぶしい。
「裏死怪文書かね」
「はい」
 碇ユイは、乳母車の中の子供の手を摘まんで、遊んでいた、傍らにいるのはコウゾウだった。
「そんなものを信じる、わたしには分からんよ」
 風が吹き付けて来る。
「ですが、わたしは生き証人ですから」
 ふんとコウゾウは鼻を鳴らした。
「人を惑わすのは、彼らの常套手段だろう?、君の記憶とやらが、作られたものでないと、誰が証明するのかね」
「レイがしてくれますわ」
「あの子が、か……」
 後にゼロと呼ばれることになる機体から回収された『生命体』、それは今、ジオフロント地下の施設にて、培養液に似た物に浸されていた。
『碇ユイ』の体細胞から抽出されたものを組み入れられて、いずれ『ヒト』らしくなるだろう。
「人でないもの、ヒトとしての価値を持たぬもの、何もないもの……、知っていますか?、ただ一つということは、ゼロにも等しいのだということを」
「何が言いたいのかね?」
「生まれた時、いえ、『出現』した時から、わたしには命の価値なんてありませんでした……、ただそれだけのために存在するモノ、それ以外に価値の無いもの、故に『唯』、そして『零』と」
「翻訳されたか……」
「はい」
 重い沈黙、だが、それはコウゾウの一人よがりなものに過ぎなかった。
 ユイは微笑み、子供のふくよかな、りんごのようなほっぺをさすってやっていた。
 幸せそうに。
 それを横目に見て、コウゾウは、ノースリーブの脇に、ユイの胸を見付けてしまった。
 無防備さに、目を逸らす。
(それが、証明というのでは、な)
 動物が惹かれるのは、同じ種の生き物だけだ、だからこの欲情が、君を肯定する答えである。
 ……そんな言い訳をしてみたところで、卑しいだけのことだろう。
「だが……」
 コウゾウは背を向けて湖を眺めた。
 波に陽光が反射している。
 青に踊る白。
「価値を得るために、エヴァを作るというのでは、少々、悲し過ぎはしないかね?」
「……かもしれません」
 けれどと言った。
「臆病なのかも……、この手で、幸せを掴んだんです、もう、手放すことなんて、わたしには」
 無理なんですと、彼女は告げた。


 ──回収されたエヴァンゲリオン01は、ケージにて厳重に拘束されていた。
 その胸、赤いコアの前には、やぐらが組まれ、大量の機材が据え置かれている。
 リツコは発令所にて、情報に目を通し、呻きを発した。
「これが、シンクロドライブユニットの、正体?」
 うげぇっと、口元を押さえて机の下に顔を入れたのはマヤだった。
 赤い玉。
 その中に、シンジとおぼしき影が見えた。
 脳があり、脳幹があり、そして神経の束が手足の形に伸びている。
 その先は、葉脈となって、四方に広がっていた。
 骨も、内臓も、皮も無い。
 人の形が、失われていた。
「これが、シンジ君だっていうの?」
 ミサトは貧血からか、膝を震わせていた。
「どういうことよ、リツコ!」
「……同化したのよ」
「同化!?」
「そうよ、脳と、接続に必要な最低限の神経、つまり、『ガソリン』である魂を存在させておくために必要な、最小限のものだけが、残されている……」
「シンジ君は、どうなったのよ!」
「生きてはいるわ、生きているだけで、死んではいないだけで……」
 リツコの言葉もたどたどしい。
 目元も引きつっている、さしもの彼女も、辛いらしい。
「エネルギーを、供給するためには、魂が発する命の力が必要だった……、それはエヴァと呼ばれるものだけど、それを散じてしまわないように、封じておくための器が、必要だった」
 それがレイシリーズなのだが、リツコにはそこまでは分からない。
「その器は、鎖でも良かった、人と、肉体、あるいは『友人』、けれど、究極、こんな風に……」
 繋ぎ止めておくのは、何も社会でなくて良い。
 場所は世界でなくていい、エヴァの中で良いのだ。
「魂の牢獄」
「そんなこと聞きたいんじゃないわよ!」
 ミサトは喚いた。
「シンジ君は?、助かるの!?」
「そんなこと、わたしに分かるわけ、ないでしょう?」
 親友の濁った目に、ミサトは険を収めようと、息を吐いた。
「そう……」
「……」
「なら、せめて調査だけは進めておいて、あの子達には、わたしから説明しておくわ」
「ごめんなさい……」
「謝られたって、うれしかないわよ」


 ──2004年。
 彼らは、エヴァンゲリオンの前に居た。
(女々しいと分かっていても)
 ゲンドウは妻の肩に腕を回していた、本当は背中から抱きしめてやりたい、いや……
 しがみつきたい程だった、この温もりが、明日には消えてしまうかもしれないのだから。
「わたしを、シンジを置いていくなよ」
「分かっています」
 彼女は小さく微笑むと、ゲンドウを見上げて、体を預けた。
「でも……、もし、万が一、わたしが消えてしまっても」
「ユイ!」
「わたしを追いかけないで下さいね、わたしを連れ戻して下さいね……」
 彼女は知っていた、そこに幸せがないことを。
 進んだ先には、良いことなど何もないことを。
 だから、今が一番なのだと……
「ユイ……」
 そして今。
 ゲンドウは、一人きりとなって、暗い部屋の中に篭っていた。
 彼の目には、ここがまだ建設途中だった頃の風景が、虚像となって重なっていた。
 彼女は追いかけないでくれと言った、先にあるのは地獄だから。
 連れ戻してくれと言った、この場所へ。
『生きてさえいれば、どんな場所だって天国になりますわ、だって生きているんですもの』
 その言葉に込められた想いの深さは、計り知れない。
(だが生きていることが、苦痛であり、地獄でもあることがあるのだ、何故それを分かってはくれなかった)
 いや、違うなと思い直す。
 机の上に、橋を作っている手に、力を込める。
『幸せは、誰かに与えもらうものでも、奪い取るものでもなくて、この手に受け止めて、胸にしまい込むものだって』
 こぼれてしまった。
 この手から。
 大切な何かが。
 ……そして、こぼれたものは、汲み直せはしないのだ。
 掴み直すしかない。
 そして壊れてしまったものを捨て、新たな何かを作り出す他ないのだ。
(君の言う通りだな)
 うすら笑いを張り付ける。
(何かを掴んで、生きていくしかないと言うなら)
 血まみれになろうとも。
(わたしは、君をこの腕に抱くためだけに生きる、そのためには迷いはせんよ、ユイ)



[BACK][TOP][NEXT]


新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。