惣流アスカは、点滴台を手に持って、レイの病室を訊ねていた。
こんなにも元気だというのに、じっとしてなどいられない。
とにかく、今は安静に、興奮するのは良くないと、誰もあれからどうなったのか、詳しいことを教えてくれない。
しかし、アスカはこう思うのだ。
(その方が気になって、落ちつかないっての!)
精神的な健康をというのなら、教えて欲しいものだと思う、その方がずっと落ち着けるから。
だが、教えてくれない、それはすなわち……
(気が気じゃいられないほど、酷いことになってるってことなの?)
その不安から、レイに確認してもらおうと思って来たのだが……
「力が、上手く使えなくて……」
レイまであたしと同じなのかと落胆して、アスカはこぼした。
「変なのよねぇ、両腕、首もだけど、切り落とされた感じがあって」
ほらっと見せる。
首に、そして袖をまくったそこに、奇麗なみみず腫れが浮かんでいた。
レイはなんとなしに、病人服の袖口からこぼされた脇肉、胸肉から目を背けた。
「そう……」
「どうなってんだか」
気付かないアスカである。
そうしていた所にやって来たのがミサトで、そのミサトからの言葉が、今は会わせられない、なのだ。
キレないはずがなかった。
「……」
今頃、必死にごまかしているんだろうなと、リツコは暗澹たる気持ちで落ち込んでいた。
自室に篭りきり、鍵をかけ、誰も立ち入れないようにしている、モニターには、司令から直々に渡されたパスワードによって開かれたファイルが表示されていた。
(こんなことを……)
信じられるだろうか?
碇ユイの真実と、それに付随する幾つかの実験と、観察。
特に、『エヴァンゲリオン』から剥離した『検体』を培養し、あるいは遺伝子補完を行い、人の形へと整えた過程は、彼女を打ちのめすに十分だった。
長く、綾波レイと、歩んで来たがために。
(01から偶然サルベージされたユイという人の協力もあって、レイはこの世に形作られた)
そのことは良い。
そこにはユイという人形が、やがて自立し、恋をし、そして決意をもって死に準じるまでの物語もまた、載せられていた。
──これが、レイに重なって来るのだ。
(あなたはなにをしようというんですか、碇さん)
それらは全て、シンジをサルベージするためにと渡されたものだった、大昔に01の起動実験で死んだユイをサルベージしようとして、失敗した時のものだった。
──2010年。
完成した発令所には、まだ灯はともされてはいなかった。
「ようやくの完成ね」
その場に居たのは、リツコと、その母である人だった。
赤木ナオコと言う。
「MAGI−カスパー、MAGI−バルタザール、MAGI−メルキオール」
「おめでとう、母さん」
これでノーベル賞も夢じゃないわねとからかった、もちろん、この発明が世間に公表されるはずがないことを承知しての冗談である。
「所詮は、発掘された遺物からの再生品よ、まあ、オリジナリティは出したけど」
片目をつむる。
「科学者としてのわたし、母としてのわたし、そして女としてのわたし、その三つのパーソナルを込めたわ」
込めたというが、基本は彼女のクローン脳である、それに催眠暗示を行って、意識が偏るように誘導したのだ。
階下から話し声が聞こえた、見下ろせばゲンドウと冬月だった。
目を細くする。
「わたし、碇さんって、苦手、恐くて」
「あら……、あの人は優しい人よ?、見せ方が下手なだけで」
リツコは冷めた目を向けた、あの男と母が逢い引きしているのを見たことがあったからだ、それも、この場所だった。
二人きりで居て、座っているゲンドウに、母が迫って唇を押し付けていた、あの時の母の恍惚とした表情と、対照的に何も感じていないゲンドウの目が……
「好きなの?、あの人のこと」
「そうね」
母はためらうことも恥じ入ることもなく告げた。
「ユイさんにも、頼まれているから」
「ユイさん……、ああ、碇さんの奥さんだった人」
「ええ、あの人には……、最後まで勝てなかったわ」
それはおかしいと思ったが、リツコは黙って聞くことにした。
死んだ人間は、もう何もできないが、生きている人間は、これからどうとでもできるはずなのだ、なのに母は、勝てないと言う……
「あの人ね……、きっと、死ぬことが分かってたのよ、だから、あの人のことをお願いしますって、言って逝ったわ」
「母さんに?」
「ええ……、わたしが碇さんに惹かれてたのは、所員ならみんな知っていたことだもの」
そこまで露骨な母というのは思い浮かばなくて、リツコは戸惑うしかなかった。
「そう……」
「お母さんができなかったわたしが、あなたにする話じゃないでしょうけどね」
自嘲する。
「他の人だったら、嫌だけど、わたしなら良いって、許してくれたの、その理由がね」
苦笑する。
「幸せがなにか、知っている人だから、ですって」
「え……」
──人を傷つけてまで、幸せを得ようとすれば、どうなるか……、わたしを押しのけてあの人を手に入れても、きっとあの人はわたしに負い目を感じて、潰れていく、あなたはそれが分かっている人だから、不幸な結果に落ち着くのが分かっていて、どうして……、そう考える人だから。
目を伏せる。
「買いかぶりよって、言ったんだけどね……、ただ人目が恐いとか、それだけだって、でもそれもあの子にしてみれば、今を大事にしているからでしょう?、不幸せは恐いものだからって、そうなるの、ぼけた子だった、でも、だからこそ分からなかった」
ゲンドウ達が去っていく、それを目で追う。
「いつも明るかったから、あの子がどれだけのものを隠していたのか、分からなかった」
そして今のリツコは思う。
(忘れてたわ、ずっと)
そんな話しをしたことなどと。
(あの時の母さんの台詞は、このことを言っていたのね……)
そしてその母は、もう居ない。
──それから間もなくして、赤木ナオコは死んだ、自殺だった。
どのような経緯からのことなのか、それは誰にも分からない、彼女が一人、胸に秘して逝ったからだ。
だが……
しめやかな葬儀の場に、ここに居てはならないはずの人物が居た、碇ゲンドウである。
喪服姿の男達の中に埋もれていた、あるいは彼だけは察していたのかもしれない。
本当のことを……
この日はネルフの正式な公開が行われるはずだった、それなのに、ここへと顔を出したのだ。
いくらスケジュール的に間に合うとは言え、縁起の問題もある。
この行動は、彼に対して非常に不利に働いた。
リツコは幾度も皮肉る言葉にさらされた、やはり関係があったのではないかと、愛人だったのであろうと、そして、その娘である自分も……
どうでも良かった、だから無視した、実際、ゲンドウが優遇してくれていると言うこともあったから、言い返せはしなかった。
一時はもうかまわないでくれと、ゲンドウを恨みもしたが、今となっては感謝していた。
もしゲンドウのことが無かったら、自分は母と比較されて、排斥されていたに違いないから。
妬みの元に。
だが、それもこうなれば、ことによる。
まさかそんな感謝の念が、仇になって返って来ようとは……
もしかすると、今までのことは、全て深みにはめるための罠だったのではないか?
そんな風に勘繰ってもしまう。
──けれど。
(それでも)
他人に任せるよりはマシだと思った、あの子達のことを、何も分かってやっていない連中に預けるよりは、この手でと。
問題は……、他にもある、碇ユイを、綾波レイを、この世に引きずり『堕ろした』連中がいるはずなのだ、それはゲンドウが関るよりもずっと前より居た、誰かのはずだ。
まだある、果たしてゲンドウ達はどういうつもりでレイを再誕させたのか?、やむなくだったのか、あるいは利用するために?
命令を実行しただけなのか、それとも利用してレイをこの世に還したのか。
今はまだ、彼女に分かることは、何も無い。
──そして。
立ち入りを制限されたエヴァンゲリオンのケージに、碇ゲンドウの姿があった。
「ユイ……」
ぽつりと呟く。
「君は、シンジを、どう愛してやる?」
──グゥンと……
エヴァの喉が、低く唸るように、音を立てた。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。