かつて形而上学というものにのめり込んだ女が居た。
 彼女が残した論文は、興味深いの一言で片付けられてしまわれるような代物だった。
 酷く非現実的で、あまり真剣には取り合われない類のものだった。
 だが、その論文は、このような形で現実化していた。


「何事だ!」
「西地区を巡回中の車両からの通報ですっ、巨人が出たと!」
「なんだと!?」
 警察署では、慌ただしく人が飛び出していた。
「ここのところ姿を見せなかったというのに」
「しかし、どういう能力者なんでしょうね」
「知るか!」
 署長とおぼしき男は吐き捨てた。


「そう、魂から発せられる巨大な波動が生み出す領域、これをATフィールドと呼ぶ、でもこれは正確ではないよ、人は誰しもがATフィールドを持っている、誰にも犯されざる心の壁、それが人の形を整えている」
 巨人の拳が、足元の建物を打ち砕いた。
「ならば逆もまたしかりさ、心の形が人の形を決定付ける、それを利用したのが君の能力、変異能力だ」
 目のない顔で、そのエヴァはカヲルを見上げた。
 赤い唇を剥いて、グキョグキョと笑う。
『つまらない話を』
「そうかい?」
『力の発現など、些細なことにすぎない』
「そうかな?」
『本質は、なぜそのような形での発現したかだ、炎、氷、水、風、土……、根源は同じでありながら、違う『表現』をそれぞれに行う』
「身に付けたものは、願望の現れ?」
『本質的な、差などは無い』
 エヴァは背中に、鴉のような翼を広げた。
『あるのは、根源たる欲の本能』
 一つの羽ばたきで、一瞬にして飛翔した。


 巨人が空を飛び、その前に相対して、少年が浮かんでいる。
 その情景を真下から見上げて、人々は恐れ、足を震わせた。
 だが、そのことに驚いているのは、なにも彼らだけではなかった。
「これは……」
 擬似会議場には、老人ばかりでなく、碇ゲンドウまでもが招集を受けて、集っていた。
「随分な騒ぎになっているようですな」
 そんな具合に揶揄したゲンドウを睨み付け、老人は口にした。
「エヴァンゲリオンを肉体の究極体とするのなら、エヴァは精神の究極体だ、その二つが融合することによって、神が誕生する」
「お前の息子のようにな」
「……」
「だが、神へと至る道は一つではない、これもまた、神の一つの形だということだ」
「紛い物の神、ですか」
「真の神ではない、だが紛い物でも無かろう、精神が極限の領域に達すれば、自ずとそれに見合った肉体を必要とすることになる、三次元界において、その最善の形はエヴァンゲリオンになるということだ」
「では、どうなさいますか?」
 その言葉に秘められた意味は明白だった。
「……見届けよう」
「……」
「我らが選びし神の子と、自ら神の道を昇りし者との、戦いを」


 ──ガン、ガン、ガン!
 干渉光が空に散る。
 何万トンを越える衝撃を、渚カヲルは手のひらでもって受け流している、もちろんATフィールドが介在しているのだが。
 翼で羽ばたく巨人は異様だった、羽ばたきによって軌道を変えているのだが、その重量を支えるためにはまったく用いていないのだ。
 滑空もしていないと言うのに、落ちない。
 浮くことには用いていないらしい、ただ、方向転換などに伴う荷重や慣性を制御するためにだけ、翼をつけているようだった。
(まるででたらめだね)
 大地を背にして浮かびながら、カヲルは逆光に黒く姿を染めた敵を睨み据えた。
 重力の制御を行っていると言うのなら、すべてを行ってもよいはずなのだ、事実カヲルはそうしている。
 質量差をものともせずに、攻撃に堪えていられるのも、物理的な破壊の衝撃を、重力制御によって無効化しているからなのだ。
(認識や、想像力、発想、知識の豊かさがその能力の上限を決める)
 カヲルは『足元』を蹴り付けると、エヴァの頬をかすめて飛んだ。
 背後に回り込んで、逆に空を背にした。
「君の力は、食らうにはあまりにも強過ぎるからね」
 まずはと広げた両手から、次々と光弾を放った。


「あれか」
 夜空に走る青い光に、パトカーの中から男性が苦り切った言葉を吐いた。
 灰色の空に、白い物体が浮かんでいる、それをより際立たせているのは金色の干渉光だが、それは青い光が走り出すと共に消え去った。
「しかし、なにと戦ってるんだ?」
「あそこの地区では、いつものことでしょう」
「口答えするな」
 ごんっと、助手席の婦警の頭を小突く。
「痛いですよ!」
「文句を言わずに前を見てろ!」
「なんですか、もう」
「いいか!」
 彼は銃を抜いて脅しにかかった。
「こっちに赴任して来たばかりのお前は知らんだろうがな、ここじゃ連中はチルドレンなんて高級なスタンドじゃないんだよ、能力なんてのは銃やナイフと同じだ、殺されたくなかったら、襲われないよう気を張ってろ!」
 しかし、幾ら怒鳴ってもその危険性はまるで伝わっていないだろう。
 既に何人もの殉職者を知っている彼にとっては、彼女も対して長く付き合いたい存在ではなかった。
 先の言葉も老婆心からのことではなく、ただ、パートナーが死んだ場合、自分の評価が下がるとの、その程度の気持ちから出た言葉であった。


「ATフィールドは心の壁だよ、そうだろう?、絶対の自分をもつ者こそがこの戦いの勝者となる」
 カヲルにはATフィールドがあり、エヴァにはない、それだけでもう、勝敗は決していた。
『……』
 しかし、エヴァは負けを認めることなく、一つのビルの屋上に降り立った。
 ギシリとビルが重みに負けて歪む、ぱらぱらと外壁が剥がれて落ちる。
 エヴァは見上げ、カヲルは見下ろし、二人は同時に過去の言葉を反芻した。
 ──そうやって、見下していれば良い。
 それはいつかの言葉だった。
 あの子をおとしめた時の言葉だった。
「偉ぶり、力を取り上げ、這いつくばっていろと知らしめていればいい、お前もいつかは知るだろう」
「そうかい?」
「情けない奴だ、所詮はお前も、同じだよ」
「どこがだい?、負け犬の遠吠えは……」
「同じだよ、力を振りかざし、知らしめなければ己れを保てない、どこが違う?」
「……何を言おうとも、説得力に欠けるね」
 冷笑。
「僕が君とぶつからないのは、君が人を傷つけていないからだ、僕にはいつでも君から力を取り上げる用意がある」
 エヴァはいやらしい口を開いた。
『お前は言っていたな、負け犬の遠吠えだと』
「そうだね」
『今でも、思っているのか?』
 カヲルはゆっくりと、一度だけかぶりを振った。
「必死になる者ほど、前しか見えなくなる、僕も同じだったよ」
『……』
「僕もたくさんの人を傷つけながら、自らの証を立て続けていた、今は清算の時なのさ」
『なら、なぜくり返す?』
「間に合わないから」
『……』
「多少の罪を背負おうとも、苦しむことになろうとも、『大いなる災厄』を止めるためには、誰かが咎人にならなければいけないのさ」
『そのために、この力が欲しいか?』
「必要なのさ、より前に、より先に進むために……、追い付くために」
『ならば持っていくが良い』
 エヴァはうすら笑いを浮かべた。
『より、大きく苦しむために』



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。