サードチルドレン、碇シンジ。
 その能力については未知数である。
 過去、幾つかの『症例』を発現させるものの、全て定着させることなく、紛失に近い形で失っている。
 また、彼は抹消されたフォースチルドレンに対して、エヴァ能力に関しての講釈を行っていたが、これは異常なことだった。
 説明を行うためには、それなりの理解と、知識が必要になるはずである、だが彼は、なんらの基盤も持たずに、解説してみせていたのだ。
 そのインスピレーションというだけでは、到底説明できない発想は、一体どこから得たものなのだろうか?
 カチャリとキーが押されて、次の項が表示された、テキストの持ち主は赤木リツコ、読んでいるのはコウゾウだった。
 ここは彼の私室である。
「ふぅむ……」
 のめり込むようにして読みふっていた彼であったが、一応の疑問に区切りが付いたところで体を起こし、目元を揉んだ。
(彼女もまた、か……)
 苦いものが込み上げる。
 コウゾウの脳裏には、赤木ナオコという女性の顔が浮かんでいた、それは苦い記憶でもあった。
 ──彼女は死んでしまった、自殺であった。
 辛くなって死んだのではない、むしろ、狂気に取り付かれて死んだのだ。
 ジオフロント、ネルフ本部、このピラミッドで、唯一外の景色を拝めるのは、あの鬱陶しいだけの男が棲み付いている部屋だけである。
 コウゾウは、襟首を引っ張り、シャツをよれさせた、窓が欲しいなと感じた、ついでに風もだ。
 エアコンでは、不快さが増すだけである、歳老いた体には、冷風の持つ腐ったような匂いが、とても辛いものだった。


 ──赤木ナオコは、E計画よりも、むしろ後にネルフとなるはずの組織が使う予定になっていた、システム開発に携わっていた人間であった。
 それだけに、彼女は自らの手を離れて行われている工事や開発に、どこか我慢のならないものを感じていた、だからだろう、確かめたのは。
「綾波レイ……、過去の経歴は、抹消済み?」
 本部施設の通路で、偶然碇ゲンドウに連れられている子供を見掛けた、ここに立ち入る事のできる人間は、何かしらの理由を持つ者だけに限られている。
 IDの発行は、実に厳重に管理されていて、胡散臭げな子供などが、立ち入りを許可されるような事はまずあり得ない。
 もしあるのだとすれば、それは身元がはっきりとしている場合だけである、そこで彼女は、IDの発行に基づいて、MAGIにデータが打ち込まれているものと思い、こうして確かめていたのだが……
「抹消だなんて、どうして……」
 彼女は真っ先に、ゲンドウのことを思い浮かべた、彼なら子供を実験台にするくらいのことはやりかねない。
 ──だがしかし、それは早計と言うものだった。


 ──南極。
 ここにはいくつもの船が浮かんでいた。
「国連も、こうなると儚いものだな」
 戦艦らしき船の最上階にある展望室で、後ろ手に手を組み、景色を眺めていたゲンドウに対して、無造作に話しかけた者が居た。
「アレクか」
「ああ」
 アレクという男は、真っ直ぐに海を見つめたままで、ゲンドウに並んだ。
「赤い海か」
「ああ」
 そこには、真っ赤な海が広がっていた、所々には奇妙な柱が立っている。
 ──塩の柱だった。
「まるで血の赤だな」
 その感傷とおぼしきアレクの言葉を、ゲンドウは鼻でせせら笑った。
「セカンドインパクト、いや、白き月が消滅したために、地殻に穴が空いている、それだけのことだ」
 海底火山どころではなく、活発な活動が行われていると言うのだ。
「その内、地殻が再構成されれば、元に戻る」
「……サルベージも、命がけだな」
 アレクは密かに嘆息し、金色の髪に手ぐしを入れた。
 惣流・アレクサンデル・ジークフリード。
 彼はアスカの、父親である。
 某国にあるという名門貴族の家柄に生まれながら、惣流家に婿入りしたという変わり者だった。
「残っていると思うか?、あれが」
「無ければそれでも良い、だが、反応がある以上、無視はできん」
「十六年もの間、全く反応が無かったというのに」
 やはりあれかと、横目をくれた。
「シンジ君、お前の息子のせいか?」
 にやりと口の端が吊り上がる。
「他に考えられるか?」
「お前は……」
 ゲンドウは体をやや斜めにし、アレクの怒りに抗った。
「おぞましいか?、俺が、ユイが」
 アレクは口を閉ざして必死に堪えた。
「ふん、今更だな」
 ゲンドウはそんなアレクに、一瞥をくれただけで見限った。
「それほどまでに、俺達の計画がおぞましいというのなら、いい加減にお前の娘を引き上げたらどうだ?」
 動揺する。
「なにを言う……」
「昔、聞いたのだろう?、ユイの話を、真実を」
 またもアレクは口を噤んだ、その頭の中では、異常とも思える、酷過ぎる想像が働いていた。
 ──人類数十億からなる、過当競争。
 その意味合いは重要であった、最悪、人以外の種が黒き月の深淵にある『何か』と接触することになるかもしれないのだから。
 その場合、人類は、月によって死を宣告されてしまう可能性がある。
 それも、逃れることのできない、絶対の死をもたらされて。
 そのことが妄想でないとの証拠は、既に必要以上に出揃っていた。
「人と、エヴァか……」
 アレクの心配は、人が能力者を、人外のものとして認識しないかというところにあった。
 能力者とは、あくまで人類の亜種に当たる存在である、ヒトは既に、生体としてのバランスを極め尽くしていた、これ以上進歩はしても、進化をすることはもはやない。
 エヴァ能力は、そんなヒト族における、表面的な変化であるに過ぎなかった、人は誰しもがこの能力に目覚める可能性を有しているのだから。
 だが、だからと言っても、人はそうは考えない、自らが抱く劣等感故に、多くは能力者達を人ではないと判断し、虐殺する可能性があった、いや、既に中近東では、悪魔の子として、毎日火にくべられ、あるいは縛り上げられた上で、焼夷弾によって処分されている子供たちが存在しているのだ。
 事実を知った時の人々の狂気は、計り知れない。
 しかしだ。
「月は、『勇者』を待っている」
「……」
「その者が来ぬのなら、来るように仕向けるだろう、かつてユイの居た世界に、『悪魔』が溢れ出たように」
「だからこその、戦いか?」
「そうだ、もはや時間はない、我々は白き月に触れてしまった、黒き月は、そこに至ることができる人種が育ったことを察知している、もはや、護魔化すことはできんのだ」
 だがとアレクは反論した。
「誰が認める?」
「……」
「人は、エヴァ能力者数千万人のことよりも、数十億の人類のことを考えろと、数の論理で押し通して、『そこ』に立とうとするだろう、それをどうするつもりなんだ?」
 もし、そのようなことになってしまった場合、人類に残された道は、死すべき定めのみとなる。
 アレクはそのことも知っていた。
「なぁ?、お前の焦りも、そこから来ているんだろう?、能力者は、力を持つとは言え、人間だ、人間の延長に居る者達だ、だからこそ、俺達ノーマルも、月には同じ存在として許容される事になるだろう、だが、逆はどうなる?、取るに足りない、平凡な人類の一人が、月に接触したのなら?、月はどのような判定を下す?」
 そんなことは、決まっていた。
「月は……、やり直しを選択するだろうな、種を撒くところからだ、そのための地均しとして、ノーマルと共に、同じ種であるエヴァリアンまでも、抹殺の対象とするだろう、俺にだって、それくらいのことは分かっているさ、だからこそ、お前達は……、お前と、老人達が、委員会などという怪しげな団体を、組織したのだということも、分かっているつもりだ、しかしな!」
 それ以上は、口にする事もない話だった、いずれは誰かに気付かれるだろう、その時、もっとも進歩した人類を王として頂くことができなければ、人という種は、自滅の道を歩むことになるだけだ。
 可能性を論じているだけの暇はもはやなく、衆人に耳を貸していられるゆとりすらも失われている。
「何もかもが、遅過ぎる、そして、速過ぎる」
「だが、俺達には希望がある」
「それがシンジ君だというのか!」
 あまりにも不憫だと、アレクは自分の想像に胸を傷めた。
 もし、それらのことが現実化した時、シンジは一体、どのような立場に置かれるのだろうか?
 理解を得ることができなければ、どのような目で、見られる事になるのだろうか?
 必死に、真実を知るが故に、必死に、罵られながらも、自分を排斥しようとする人達のために、戦って、戦って、戦い抜いて……
 最悪の事態を避けようとする人々によって、引き裂かれてしまうことにもなりかねない状況で……
 心を保つことは、可能であろうか?
「自分の息子なんだぞ……」
 呻く、しかしそれすらも、ゲンドウを揺さぶることはできなかった。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。