ノックの音に、シンジは雑誌から顔を上げた。
「どうぞ」
 扉が開く、てっきり看護婦だろうと思って来たが、訪問者はリツコであった。
「あ、リツコさん……」
 リツコは微笑むと、手で制した。
「いいわ、そのままゆっくりしていて」
「はい」
「ごめんなさいね、お見舞いが遅れて」
「いえ……」
 微妙なニュアンスを嗅ぎ取ったのか、シンジはその点について、深い理由を訊ねなかった。
「さっきまで、ミサトさんたち、来てたんですよ?」
「知ってるわ、だからずらしたの」
 あの子たちが居ると、のんびりできないからと、リツコは笑い、シンジの傍に椅子を置いて、腰かけた。
「ちょっと、体、見せてくれる?」
「はい……」
 シンジは服の前をはだけて見せた。
「奇麗なものね……」
 軽く手先で、押すようにして触診し、筋肉の具合を確かめる。
「いいわ、ありがとう」
 着直しながら、シンジは訊ねた。
「僕は……、どうなったんですか?」
 さあと、リツコは正直に話した。
「相変わらず、確実なことはさっぱりよ、憶測だらけで……、だからもう、考えるのはやめたの」
「え?」
 シンジは意外な顔をした。
「やめたって……、どうして」
「だって……、これまでもそうだったでしょう?、どれだけ推測を積み重ねて推論を立てても、その度に裏切られて来たわ、だから、これからは目の前にある事象を追いかけることにしたの、自分の中にある常識で理解しようだなんて、思わないでね」
「……」
「……所詮、科学なんてものは、傲慢な人間が、理解できないものはないと口にするために立てた、枠組みに過ぎなかったということね、この世界にある不思議なことを、全て非科学的だと切り捨てるための」
「はぁ……」
「わたしはね、その非科学的な部分を、探求することに決めたのよ」
 目が輝いていた、思わずシンジは、一体なにがあったのだろうかと、訝った。
 あまりにも、変わってしまったように見えたからだ。
「それで、あの……」
 シンジは、話題を変えることにした。
「父さんは……」
「碇さんなら、南極よ?」
「南極?」
「ええ、白き月のあった場所にね……」
「……」
「国連が……、査察団を派遣したのよ、それは今までも何度かあってね?、碇さんは、その度に同行しているわ、今度のもそうね」
「そうなんですか……」
 落ち込みとは違う落胆に、リツコは妙だなと意識を持った。
「どうしたの?」
「え?、はぁ……」
「そんなに、お父さんに会いたかったの?」
 シンジは小さく迷いを見せたが、やがてはいと、はっきりと告げた。
「父さんと……、話したいことができたんです」
 好奇心から、リツコは訊ねた。
「話したいことって?」
「母さんのことです」
 リツコの目に、科学者らしい、冷えたものがすっと宿った。
「お母さんの……」
「はい……、ここのこと、エヴァのこと、母さんのこと……」
 そして。
「レイのこと」
「レイ?」
「はい……、みんな、話してみたいなって、思ったんです、父さんと」


 ……遠い目をして語るシンジに、リツコはかける言葉を失った。
 そこには何か犯し難いものがあったからだ。
 シンジの脳裏を占めていたのは、あの場所で見た、母のものとおぼしき記憶の残照、光景だった。
 どこまでが現実で、どこからが夢想だったのか分からない、第一、本当の母がどんな人だったのか?、今ではすっかり、分からなくなってしまっていた。
 あの場で感じさせられたように、自分本位の、とても酷い人であったのだろうか?
 それとも、人並みに、相反するものに、折り合いを付けていた人だったのか?
 父は母を、どのように見ていたのだろうか?、どのように感じて、信じて、今を生きているのだろうか?
 わりといい加減に、父や母を、そんな人なんだと決め付けていたのだと気がついた、本当はどんな人なのか?、シンジは何も知らなかった。
 知っていたのは、子供の前だからと、父と、母として振る舞っていた姿、それだけだったと気がついた。
 人の本当の姿など、誰にも分かるものではない、人は他人の前では、自分を演じてしまうものだからだ。
 目前に居る他人に好かれる、自分の姿を。
 リツコは、父さんはどんな人ですかと訊ねられ、分からないと答えておいた。


「……」
 綾波レイ。
 彼女は以前のシンジのように、部屋を暗くして、寝転がっていた。
 人間、煮詰まると、このような空気に浸りたくなることもある、窓の外、道路からの車の音、隣の部屋のテレビの声。
 置いていかれているのではなく、自ら殻の中に閉じこもり、一人でいようとする感覚。
 それをレイは、心のどこかで楽しんでいた。
「……背徳的ぃ」
 あははと笑って、腕を顔の上に置く。
 汗で少しべとついていた。
 乾いた笑いがとても虚しい気持ちにさせた。
 ──あの。
 病院で。
 シンジの部屋を引き揚げた一行は、そのまま病棟を出たところで、別れようとした。
 ミサトは発令所へ、コダマは森へ、アスカは駅へ。
 そしてレイは、アスカとミサトに気付かれぬよう、わざとトイレと言って遅れ、一人になって、コダマの後を追いかけた。
「ん?」
 コダマは、素直に返事をして、振り返った。
「なに?」
 レイは戸惑った、その態度が、あまりにも普通であったからだ、しかし……
「ふうん?」
 嫌な覗き込み方だった。
「シンジ君がらみ?」
「……」
「ま、そうでしょうね、他に用なんてあるわけないし」
 ちょっと良いかとコダマに誘われ、レイは森の奥へと入ることになった。


 ──夜の森は、無気味な静けさによって彩られていた。
 静寂も行き過ぎれば聴覚を狂わせる、それが三半規管にまで影響したか、レイは何故か真っ直ぐに歩くことができず、おぼつかない足取りを披露してしまっていた。
「どこまで……、行くんですか?」
 恐くなって、コダマに訊ねた。
「ん〜〜〜、もうちょっとね」
 建物から離れ過ぎていた。
 ジオフロントには、当然のごとく月明かりなどは届かない、灯は星と間違う天井ビルの明かりのみだ。
「ん、とぉ〜ちゃくぅ」
 不安になっていたレイも、彼女がどこに向かうつもりだったのか、知ってようやく納得した。
 地下湖の湖畔、草原の上に、屋外テントが張られていた。
「これって……」
「あたしの別荘」
 まま、どうぞとコダマが勧めたのは、無断で伐採した木で作ったものらしいテーブルセットだった。
 大きめの、丸太を半分に切ったものを並べた机に、切り株を加工したらしい椅子。
 テーブルの上には、ショップで売っている飯盒はんごうセットの、鉄カップが放置されていた。
 中身は乾いてしまったのか、茶色い液体がこびりついていた。
「うえ……」
 レイは、ちょっとだけ舌を出して、気持ち悪さを我慢した。
 あろうことか、いついれたのか分からないお茶をポットから注いで、ゆすぎ、捨て、そして当たり前のように、お茶をいれ直して、呑んだからだ。
 コダマが。
「なんてことするんですか……」
「ん〜〜〜?、死にゃしないって」
「そうかもしれませんけど……」
「けど、なに?」
 あたしはね、とコダマ。
「実用本位、楽で問題無かったら、それで良いのよ」
 レイは好きにはなれそうにないと思ったのか、素直に気楽ですねと揶揄をした。
 コダマと向かい合った場所に腰を下ろす。
「飲む?」
「いりません」
 出されたお茶は頂くのが礼儀じゃない?、とコダマは愚痴った。
「ほんと、あいそ悪いんだから」
「良くなんてできません」
「シンジ君が好きだから?」
「……」
「図星……、とは違うみたいね」
 じゃあなんだろうと、コダマは首を捻った。
「あたし、何かした?」
「してません……」
「ん〜〜〜?」
「聞きたいことがあるんです」
 レイは心なし、居住まいを正して、口を開いた。



[BACK][TOP][NEXT]


新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。