レイの話は、簡単に済んだ。
 それに対するコダマの返答もまた、単純に終わった。
「余計なお世話ね」
 コップに口をつけながら、握っている人差し指を伸ばして、レイを指した。
「いいことを教えてあげましょうか?、そんなに不安?、あたしが、シンジ君が、変わっていってしまうのが」
 レイは肯定の意味を込めて沈黙した。
「でもね、それって、『置いていかれてる』あなたが焦ってるだけでしょう?、それをなに?、足引っ張ろうっての?」
「足?」
「だってそうじゃない」
 コダマはコップを下に置いた。
「あたし達は、先を見てる、先を見て、変わっていこうとしているの、なのに、自分が着いていけないからって、勝手に異常者扱いして、引き止めようとしてる、おかしいのはあたし達で、自分は良いことをしようとして、心配してるんだってね?」
「そんな……」
「恩着せがましいよね?、好意を表に出して、邪険にできないようにして、ま、シンジ君なら耳を貸してくれたでしょうけど、生憎あたしは、訊きやしないよ」
 別れ際、コダマはレイに、一つの例え話をプレゼントした。
「あたしね、算数、好きだったんだ、だって算数って、最終形のはっきりしてる、パズルみたいなものじゃない?、だから楽しくて、どんどん教科書の問題を解いていってたわけよ、でもね?、学校じゃ、授業時間ってのがあって、はい、そこまでよ、次は社会ですぅ、理科ですよってね、ノッてるとこなのに、打ち切られるのよ、つまんないじゃない?、そういうのって」
 帰り道、ずっとその話に込められた意味を読み取ろうとした、いや、読み取るまでもないことだったのかもしれない。
 みんなと同じに、みんなと一緒に、遅れてる子のことも考えて、自分勝手はいけませんよ。
 それは一見、優しさから来るものに見えるかもしれないが、実は本質をはぐらかしているだけのものである。
 気遣う優しさは大切だ、しかし、だからと言って、楽しいことにのめり込んではいけないという、理由にはならない。
 楽しみを追求する身勝手を持ち合わせても、遅れている者に手を差し伸べることを忘れなければ、それでいいだけのことなのだ。
(結局、管理側の都合に過ぎないし、置いていかれることになってる人間の、ヒガミにすぎない?)
 そうは思いたくなかったが、確かに心のどこかには、いつの間にか同じものを見て、同じことを感じられなくなってしまったシンジに対して、寂しさを感じてしまっている自分が居た。
 ──シンジのことを思うなら?
 それは見守るべきだろう、どこまで行くのか、どこへ行くのか。
 引き止めることとは、話が違う。
 シンジはそれを、喜びと感じているのかもしれないのだから。
 ──飛翔と捉えて。
「イタイよ……」
 孤独が酷く、身に染みる。
 シンジのことが分かっていない、それどころの話では無かった。
 根本的に、身勝手で、都合の良い解釈を行って、シンジのことをおとしめていただけなのだから。
 ──変わらない。
 クラスで、事ある毎に、シンジを蔑み、そして反省している人達と。
 その自覚が、今のレイを苦しめていた。
 ── 一番近いと思っていた。
 それが実は、一番近くに引き止めていたというだけのことだった。
 これは辛い、解釈だった。


「……正直、意外ね」
 葛城邸。
 シンジの病状が確認できたからか、久方振りに、気の抜けた空気が漂っていた。
 キャミソールに、パンツ一枚で、あぐらを組んでいるミサトがいる。
 風呂上がりだからだろう、吹き出した汗に、キャミソールは重く垂れて、胸に引っ掛かっていた。
「てっきり、シンジ君に付き添うって、病院に残るかと思ったんだけど」
 見た先には、似たような格好をしているアスカが居た。
 Tシャツに、ランニングパンツと、ミサトよりは、部屋着の体裁を保っている。
「あんた、アタシをなんだと思ってんのよ」
 アスカは剣呑な目を向けた。
「そんな恥ずかしいこと、やるわけないじゃない」
「そう?」
「だって、今までは、スイッチが切れてたわけでしょう?」
「スイッチ?」
「そうよ、それが入ったら、後は元気になるだけじゃない、なら、ゆっくりと充電させてやった方が、いいじゃない」
 ミサトは口元をやらしく歪めた。
「それもまた、醍醐味か……」
「ん?、醍醐味?」
「そうよ、恋愛の」
「あのねぇ……」
 突っ伏すアスカを、ミサトはさらにからかった。
「だって、そうじゃない?、ああ〜ん、愛しのシンジさまぁ、早く帰ってきてぇん、ってね?」
「この酔っぱらいが……」
 対抗するために、予備としてミサトが置いていた缶に手を出した。
「こら!、未成年が」
「今更なに言ってんのよ」
「もったいないって言ってんの!」
「今度買って返せば良いんでしょう?」
「んじゃ、ボトルセットよろしくぅ」
「……」
 ノンアルコールの安物にしてやろうと心に誓った。
「でも……」
 アスカは、少々ちらかった室内を、見渡した。
「こういうのも、たまにはいいもんね」
「ん?」
 不思議そうにするミサトに、苦笑して話す。
「男のいない生活ってこと、気ぃ抜いちゃってさ、楽ぅにね」
 でもと、ミサトもまた、苦笑した。
「それはそれで、寂しいもんよ?」
「そう?」
「張りとか、緊張感とかね……、そういうのがどこかにないとね、人間、ダレ始めたら、切りがないんだから」
「それって」
 アスカは身を乗り出して訊ねた。
「ミサトのこと?」
「ばぁか」
 その額を、つんと指で押し返す。
「あたしは良いのよ、他に気を張ってなきゃなんないことが、あるんだから」
「だから、家ぐらいは、だらけてたいって?」
「そういうこと」
「じゃあ」
 事のついでにと、アスカは訊ねた。
「じゃあ、どうしてシンジを、引き取ったりしたの?」
「……」
「苦労するだけなの、分かってるじゃない」
「……」
 ミサトは、答えようとしなかった。
 あるいは、答えられる問題では無かったからかも、知れなかったが。


「あ、センパぁイ♪」
 ハートを散らしたような声に、リツコは僅かに引きつった。
 中々に騒々しくなっている、本部の一角にある、ナンバーズのための実験室である。
 百メートル四方の部屋だ、壁は対爆仕様になっている、もともと本部の建材は、爆発力に強い耐性を持っているのだが、それを更に強化したのだ。
 ここには、横須賀から上陸した各国のチルドレンが寄せ集められていた、髪の色、目の色、肌の色、あまりにも多彩で、世界には、これだけの人種がいるのだなと、感動すらもさせられる。
「検診の方は、どうなったの?」
「もう、全員終わっちゃいましたぁ、今は、明日からのスケジュールの確認をしているところです」
 リツコは周囲の、引き気味の視線に気がついた。
 きっと二人っきりであったなら、腕に組み付いての言葉になり、そしてこの人は彼女の頭を撫で、耳の裏を撫で、そして顎先を持ち上げと、コンボを決めていたに違いない、と。
 リツコは誤解だと叫びたくなって、必死に堪えた、伊吹マヤは誰にでもこうであるし、この明るさが売りなのに、と。
 実は、その開かれた性格に引っ掛かり、肩透かしを食らわされた男性が、かなりの数にのぼっている、リツコは密かに、発令所の二人の青年も、その口なのではないのかと疑っていた。
「で」
 こほんと咳。
「エヴァについての、測定結果はどうなったの?」
 これには、さすがのマヤも、態度を改めた。
「さすがです、みんな……」
 これをと差し出されたレポートに、リツコは目を丸くした。
「このデータ、本当なの?」
「はい……、でも、あり得ません、全員がATフィールドの展開に成功するなんて……」
「……事実は、事実として受け入れるしかないわ」
「分かってますけど」
 ぷっとふくれる。
「一応、手ほどきしたの、あたしなんですよぉ?」
「マヤが?」
「はい、前にシンジ君が言ってたこと思い出しながら、適当に、そうしたらみんながみんな、成功しちゃって」
 ふうむとリツコは考え込むような素振りを見せた。
 まさかと、ある考えにいきついてしまう。
(ここに来たから?、この月に)
 何かが、触発されたのだろうか?
 リツコはひとつ、また仕事が増えたなと、嘆息した。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。