──正直、ミサトには困惑するしかなかった。
 レイの話は、つまるところ、相手がなにを考えているかわからない、それが恐いというものでしかない。
 そこに力だのなんだのを持ち込むからこそ、話がわかりづらくなるだけのことで、要点だけを抽出すれば、さほど深刻になる必要のないことなのだ。
「ってわけでさぁ」
 ミサトは実験が終わった後の研究室を訪れて、リツコに指示を仰ぐことにした。
「とりあえず帰らせたんだけど、正直どう答えたら良いもんだかわからなくってねぇ」
 リツコは話を一通り聞いて、意外ねとミサトの態度をそう評価した。
「あなたなら、こう、ずばーっとか、びしーっとか言って、当たって砕けろ的に焚き付けると思ったけど」
 からかわないでよとミサト。
「あたしって、そんなに単純?」
「時々羨ましくなるくらいにね」
「あ、そう」
 ぷうっと膨れる。
「でもねぇ、あたしだって、レイがどのくらい深刻になってるかはわかるつもりよ?、それを考えもしないで、ありきたりな意見で片付けるなんてできないわ」
 リツコはそうねと同意した。
 下手な慰めは逆上を誘いかねない、そうなれば真面目に取り合ってもらえないのだと、自分の殻に閉じこもりかねない。
 それでは事態が重くなる。
「でも、本当はどうしようもないことじゃない?、だって所詮は、程度の差の問題でしかないんだから」
「程度の差?」
「そうよ、立場が変われば、見方が変わる、そうなれば常識や観念、道徳、倫理、全ての基準が『シフト』するわ、それはむしろ必然だもの」
 あっと、ミサトは一つ合点がいった、リツコのこの頃の態度についての疑問が、ひとつ氷解したからである。
(流されるしかないってことか……)
 わかろう、相手を理解しようという行為は、別段傲慢な行為ではない。
 また無駄になることでもない。
 だが今まさに変わろうとしている相手のことを、全て理解しようとするのは無理なことだ、理解とはすなわち道理立てて、分析すると言う行為なのだから。
 変革の途にあれば、そこには都合によって発生する、矛盾や歪みが相当数ある。
 それらが折り合いを付けて落ち着く迄には、時間がかかることだろう、そして決着がついた頃に、その人個人の人格や個性が確定される、その中途では、先日こうであったことが、今日はこう変わっているというのも珍しくは無い。
 シンジはまさに、今はその成長の過程にある、今は付き合うしかない、シンジがどんな生き方を選ぶのか、今は見守る以外にどうにもならない。
 それがリツコの選んだ道なのだなと、ミサトは読んだ。
「でもそれをレイにわかれってのは無理な話よ?」
「そうね」
 リツコはミサトの言葉に溜め息を吐いた。
「酷なようだけど、あの子にも他に目を向けられるだけの、いい加減さがあれば良かったのよ」
「レイのこと?」
 ええとリツコは肯定した。
「シンジ君にアプローチした子は沢山居たわ、でもそのほとんどは脈無しと見て、自分に合った人を探すことにした」
 どうしてそう、論理めいた評価を下すのだろうかと思ったが、話の腰を折ることになるので、ミサトは黙った。
「レイもそれに倣えればね……、シンジ君との関係を大事にするのもいいけど、他に気楽に付き合える友達がいることも悪いことじゃないわ、そうでしょう?」
 そうねぇとミサト。
「堅いのよね、ああ見えて……、他の子の誘いに付き合うと、シンジ君にふられちゃうと思ってる」
「それこそ思い込みに過ぎないかもしれないわ」
「シンジ君は気にしない?」
「あるいは気にするかもしれないわ、怒らないでよ、わからないことだもの」
「あのねぇ……」
「だって、あのシンジ君よ?、気にならない素振りをするでしょうね、けどわたしたちには、それが本当の気持ちから来る態度なのか、それとも演技なのか区別が付かない」
「……」
「自意識過剰は、シンジ君ばかりじゃないということね」
 肩を揉む。
「それよりも、気になるのは、レイの気持ちね」
「レイの?」
 きょとんとするミサトに、説明を入れる。
「わたしの見立てじゃ、レイはシンジ君に恋をしているわけじゃないわ」
「へ?」
「初めて出逢った時から、意識するしかない状況が続いたから、今更離れることができなくなってるだけだってこと、それを好きって理由に置き換えるのは簡単だけど、でも愛してるっていうのは好きって感情の先にある、理屈を越えたものなんでしょう?」
 ミサトには、「さあ?」と答えることしかできなかった。
「あたしには、そこまでの経験は無いから」
「わたしだってそうよ」
 三十路女が、揃って深く溜め息を吐く。
「結局、どうとでも取れるってことになるのね」
「そうね」
 待つことができればね、と答える。
「わたしたちにとってシンジ君は大事な子よ?、でもそれ以上でもそれ以下でもないわ」
「だから見守っていられるって言うんでしょう?」
「そう……、レイももう一歩だけ離れることができれば、少しは客観的になれるんでしょうけど」
「無理よ……、むしろあの子は『核心』に近いもの」
 中心にねと、ミサトは言い直した、先の言葉は、レイを傷つけるものだと思い直したからである。
 んっと伸びをする。
「あ〜あ、結局、こういうのは当事者同士でないと片付かないってことか」
「どうするの?、シンジ君に頼む?」
 ん〜んとミサトは否定した。
「その前に、ひとつクッションを入れてみるわ」
 アスカね、と、リツコは誰のことだか推察した。


「だからってねぇ」
 それがアスカの答えであった。
「あたしに訊かれても困るんですけど?」
 ごみんっとミサトは手を合わせて拝み倒した。
 自宅だ、キッチンのテーブル、向かい合って二人は座っていた、シンジは今風呂である。
 二人きりになるのを待って切り出したミサトだったのだが、実際にはシンジが気を利かせたのが真実だった。
 そわそわとし、アスカへとちらちらと目を向けていれば、自然と気がつこうというものだ。
「あたしにどうしろってのよ?」
「もちろん、なんとかはあたしがするけど」
 判断材料が欲しいのだとミサトは縋った。
「乏しいのよね、どう答えてあげるべきなのか、その材料が」
「……」
「その点、アスカは上手くやってるじゃない?」
 アスカは呑気過ぎると吐息を洩らした。
「あのねぇ……」
 額から前髪へと手櫛を差し込み、陰のさした顔を上げる。
「そんな余裕、あると思うの?」
「……ないの?」
「意外そうにしないでよ」
 苦笑いを浮かべる。
「あたしだって、レイと同じよ、シンジのことが本当に好きなのかって訊ねられたら、絶対どもると思う、だって、好きとか嫌いとか以前に、シンジには悪いことしたなぁって気持ちがあるもん、これは絶対に消えないわ」
「アスカ……」
「でもね、それもあるけど、確かにシンジを他の奴に取られたくないって気持ちもあるのよ、それをどういう理由なんだって訊ねられたら、好きだからって理由以外に、答えようがないじゃない?」
 言葉が見つからないのではない。
 適当な言葉が無いのだ、妥当な表現が存在しない。
 自分がなんとかしてやりたいと思う、甘えるなら自分だけにしろと勝手を言いたくなる、頼るならわたしを選べと言いつけたくなる。
 そんな身勝手な発想、独占欲の原因を、完全に説明することなど不可能だ。
 好きだから、その一言で片付けてしまう以外に、答えられない。
「恋してるとか、愛してるとか訊ねられたら、首を捻るしかないわ、好きかどうかってんなら、好きだけど、どの程度って頭についたら、このくらいって両手を広げるなんて、無理な話よ」
 ミサトはここに来て、ようやくアスカとレイが抱えている問題の深刻さを知るに至った。
 アスカの言うように、異性に対して、何かしらの強い意識を抱いてしまうことがあれば、それは良くも悪くも、相手を無視できない理由になる。
 突っかかってしまうのはそのためだろう、いじめてしまうのも無視できないからだ、かまいたくなる、どんな反応が返って来るのか、どうしても確かめてしまいたくなる。
 それが互いの気持ちの確認に繋がるから。
 そして長く、その状態が維持されれば、やがては第二次成長期などを経て、好意や好感として根付くことになるかもしれない、だがレイもアスカも、素直にそう変わっていくことができない歳になってしまっていた。
 変化していく感情を素直に自覚するには、無理な歳になってしまっていた、どうしても理屈が必要になるのだ、必要以上に感情に振り回されないための、言い訳が。
(根が深いのね)
 同時に、二人は賢し過ぎた、気楽に生きられないほど……、そして頭が悪いと評されるほど、単純にはなれない性格を持っていた。
 その結果が、今の追い詰められた心境に繋がっている。
「ま」
 アスカはことさら、冗談めかして口にした。
「あたしはねぇ、大丈夫だけど、シンジは好きよ?、でもレイみたいに悩んでるあたしをシンジが好きになってくれるかって言うと、なってくれないってわかってるから」
「そう?」
「そんなあたしは見たくない、どう?、あいつの言いそうな言葉じゃない?」
 ミサトが予備として置いていたビール缶を奪い、栓を開ける。
「それがわかってるから、あたしはあたしをやめない程度で、シンジを好きでいようってスタンスを決められるの、レイもそれがわかればねぇ……」
 缶に口付け、んくっと喉をひとつ動かす。
 そんなアスカに目を細めて、ミサトはミサトなりに感想を抱いた。
 スタンスを決めていると言うけれど、見る限り、それが守れているようには見えないのだ。
(アスカだって、追い詰められてる……)
 結局、元凶をどうにかするしか無いのかもしれない。
 だがそれこそが、とても難しいことだった。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。