「……なに話してるんだろ?」
 耳をすませてみても、風呂の換気扇とボイラーが動いている音が邪魔で、聞こえない。
 シンジは諦めて、ちゃぽんと湯船の湯をすくい、顔を洗った。
「ふぅ……」
 体を沈めるように尻を動かし、顔の下半分を湯に浸ける。
 そんなシンジからは、レイやアスカ、ミサト、リツコと言った面々が抱いているような懸念など、欠けらも感じ取ることができない。
 かと言って、力を得る前の卑屈なシンジとも違う、どこか気楽な印象を受ける。
 ──だが内心では違っていた。
「……」
 悩んではいる、力が戻らない以上、自分にはもうできることは何も無い。
 最後の賭けだと乗ったエヴァも失われ、今度こそ本当にただの傍観者へと追いやられてしまった。
 ──母をあのようにあしらったのに。
 シンジを苦しめているのはその一点に尽きた、ある意味において答えは出た、しかしそれに沿った行いをするには、自分の立場があやふや過ぎる。
(リツコさんたちが期待してくれている内が華か)
 それもやがては失望に取って代わるだろう。
 そうなれば、どうなるか?
(早く帰って来てよ、父さん……)
 他に頼れる術がないから。
 シンジは父のことを思って呼んだ。


「さて」
 ネルフ本部、集められたのはナンバーズに区分される子供たちの内、実務に着いていない者、全てであった。
 その数は五百を越える、圧倒的に日本人が多いのは仕方のないことであろうが、実際には、ミサトは外国勢にこそ緊張を覚えていた。
 数ではないのだ。
 ATフィールドの有無のみが、ナンバーズの置いては格差を生む。
 シンジ、トウジの二人は、だからと言ってその力を誇示しようとはしなかった、厳密に言えば、鈴原トウジは行おうとしたのだが、それでも彼は『安全』だった。
 仲間に振るうなど、考えもしない『生物』だった。
 だが訪日したナンバーズは違っている、皆が皆、剣呑な社会で生まれ育った子供たちだ、何をするかはわからない。
(渚君のような子が必要になるわけね)
 一瞬だけアスカに目を向ける。
 そしてそのことを気取られる前に、ミサトは会議を再開させた。
「ここ数日で、この街やネルフについては理解してもらえたと思うけど」
 扇状の会議室だ、奥の席ほど段が上がって高くなる、ミサトが立っているのは扇の柄元になる壇上である、背後のスクリーンには、スケジュールのようなものが表示されていた。
「これが今後ネルフで行われることになる、『事業』内容よ」
 様々な兵器の開発、能力の実験、そして『実戦』。
 地下への探索行など、さまざまだ。
「基本的に、誰が、どの計画に参加するかは、自由に決められるわ」
 ざわっと、『新人』側がざわついた。
 手を上げたのは少女だった。
「好き勝手にして良いってことですか?」
 ミサトは軽い調子で答えた。
「そうよ」
「そんな適当な」
「適当ってわけじゃないんだけどね」
 苦笑して告げる。
「あなたたちが登録を受けた場所じゃどうだったかは知らないけどね、これが本部のスタンスなのよ」
「スタンス?」
「だってそうでしょう?」
 にこりと笑う。
「あたしたちには、あなたたちを管理することなんてできないのよ、せいぜい上手く付き合っていくのがやっとね」
 またどよめきが起こった、それだけ、そんな発想を持って接してもらったことがなかったのだろう。
「あたしたちは、あなたたちが人間であるということを知ってるわ、だからそこに期待するしかないのよ、あたしたちがあなたたちの尊厳を尊重している限り、あなたたちもあたしたちの主権を侵害しない、違う?」
 要は互いに傷つけ合うことがないように、上手く折り合っていこうというのだ。
「じゃあ、『ノーマル』を傷つけたりしない限り、能力も勝手に使って良いと?」
「ここでは、そういうことになっているわ」
 驚きについては、ミサトは心中で苦いものを抱いた、それは彼らの過酷とも言える環境について、事前に知っていたからである。
 諸外国では、能力の使用については、酷く厳しい制限が設けられていた、許可なく使用することは、それがどんなに些細なことであれ、発砲以上に大きく取り立たされるのだ。
 しかし、彼らを檻に入れて反省を促すことはできない、これは彼らが反抗するのではなく、皆ができないものだとして、思い込みからさせようとしないからだった。
 結果、違反者には厳罰処分が下される、それも実刑判決のみだ。
 百叩きによって背骨を骨折し、頚椎を折って死亡した例もある。
「良いですか」
 ミサトは一応とばかりに念を押した。
「わたしたちには、あなたたちの能力が何に根差す、どういうものなのか、どうして発現し、何の目的で得られたものなのか、はっきりとしたことはわかっていません」
 嘘だ、少なくとも、限りなく騙しに近かった。
「ただ言えることは、あなたたちが力を使い引き起こした結果については、あなたたち自身が自らを罰し、戒めなければいけないということ、わたしたちには、どこまでが良くて、どこからが許されないのか、そのガイドラインを策定することはできないの、その基準は、あなたたち自身が、力を使いながら見付けるしかありません」
 でなければと続ける。
「未来への『発展性』が閉ざされてしまうから」
 誰かが訊ねた。
「発展性って?」
「単純に言えば、進歩ってことね、わたしたち『大人』が足枷になってあなたたちを引き止めるのは、わたしたちが面倒見てあげなければならないと言う、極めて傲慢な発想からよ、そうでしょう?」
 今まで、誰もが胸中でくすぶらせていた疑念だっただけに、素直に口にするミサトに対して、怪訝そうな目が集中した。
「だからあなたたちを引き止める、自分達の手に負える存在にとどめようとする、でもね」
 わざとおどけた。
「本部での考え方は違うのよ、大半の人間はあなたたちがどこまで行くのかを見たがってるの」
 場が一瞬静まり返った。
「そう……、力を得たあなたたちは、わたしたちだけでは見ることがかなわないはずの世界、百年後、千年後の世界を、今ここに作り出せるだけの可能性を秘めているわ、それをくすぶらせることこそ、酷い損失だと思わない?」
 ミサトは日本勢へと視線を向けた。
「ここでは秘密なんてあってなきがごとしよ、もちろん隠したいことは隠してるけど」
 意味ありげに笑ってから、また新人へと顔を向ける。
「エヴァ能力者には無意味なことだしね、あたしたちは諦めているわ、だから罰則も無し、あるのは倫理観と道徳心に基づいた行動をお願いするって言う気持ちだけよ」
「ボスを気取って虐めやったり、こそこそ隠れて情けない真似だけはするなってことね?」
「そうよ」
 ミサトはアスカに頷いた。


 相槌を打つかのような態度が目立ったからか、アスカは新参者からの注目を受けた。
「あれって誰?」
「セカンドだよ」
「あれがかぁ……」
「惣流アスカ、噂じゃ核爆発を起こせるって話だけど……」
 まだATフィールドについての理解が薄いのか、彼らはそんなアスカの能力を酷く恐れた。
 実際には、ATフィールドは上手く使えば破壊力に関係無く無効化することができる、根本的に、熱量や破壊力がどうのこうのと言った問題でないからだ。
 次元の断層と言ってもいい。
 すべてはそこに消失する。
 アスカは視線を感じながらも、颯爽と歩いて室外に出た、羨望の眼差しと言ったものには慣れがあるからこそ出来た演技でもあった。
 しかし、気楽な人間はいるもので……
「アスカさん?」
 わざとらしく立ちはだかったのは、アメリカから来た少年だった。
「えっと……、アスカで好いわ、リック」
「ありがとう」
 にこりと笑う、そんな笑顔に、アスカはネームプレートから適当に推察した愛称が、さほど外れていなかったのだなと感じ取った。
「それで、なんの用?」
「用、ってほどのことじゃないよ、ただ誘ってみようと思ってね」
「誘う?、どこに?」
「決まってるだろう?、と言っても、決められるほどまだ街を知らないんでね、案内してもらえないかなと思ってさ」
 どうだろうと、嫌味にならない程度に訊ねる、そんな彼に珍しく即答しなかったのには訳があった。
(どっちだろ?)
 父についてアメリカに行ったことがある、その時の様子などを覚えていた。
 誰だかわからない人間に案内を頼む者はいない、フレンドリーに、誰からも名を知られている人間に、物を頼むのは至極当たり前の行為である。
 そしてそれがこれから同僚となる人間からの申し出とあれば、こちらは受けるのが当たり前だ。
 信頼関係は、積極的に築くものだからである。
 お互いにだ。
 だから悩んだのだ、下心があるのかどうか、それが今ひとつ見えなかった。
「どうかな?」
 ──胡散臭い笑い方。
 そう反射的に思い浮かべて、アスカはその笑顔が、いつかどこかで見た誰かのものだと思いついた。
(そっか……、生徒会長だ)
 前生徒会長の作り笑いに通じるものがあると気が付いた時、アスカは笑顔を浮かべていた。
「先約があるから、悪いわね」



[BACK][TOP][NEXT]


新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。