振り返りもせずに去っていくアスカの背中を見送って、彼はちえっと呟きを洩らした。
「笑うなよ」
 振り返り、小柄な少女を睨み付ける、が、効果は非常に薄かった。
「ふられちゃった?」
「まあね」
「残念だったな」
 今度は大きな少年がやって来た、二メートルはある体躯に、頭が乗っかっている。
 少年だとわかるのは、顔に幼さが見えるからだ。
「見せ過ぎたな、下心を」
 肩をすくめる。
「そうだね、でも、意識してもらわないことには意味が無いよ」
「でもでもぉ、なんにも思ってなかった人から、そんないきなりってのも、パターンなんじゃなぁい?」
 そんな意見に苦笑する。
「そんな僕らしくないやり方は、遠慮させてもらうよ」
「そう?」
 ざぁんねんと、指を咥える。
「あ、じゃああれはぁ?、あの人、用事ってどこに行くのかなぁ?」
「さあ?、それは……」
 にんまりとする。
「後、着けてみようか?」
「それは……」
 いけないよ、普通はそう続くのだろうが。
「面白そうだね」
 うんっと、彼女は笑顔の華を咲かせて、頷いた。


「あ、シンジ!」
 やっほーと呼び止める声に足を止め、振り返り、シンジはアスカを見付けて首を捻った。
「アスカ、なに?」
「なにじゃないでしょうが」
 歩み寄って、シンジの鼻をつまはじく。
「声かけたら悪いってぇの?」
「別に、そうじゃないけど……」
「顔見たら、一応声をかけるっ、挨拶をする!、人間社会の基本でしょうが」
 そっかなぁと首を捻るシンジにアスカは呆れて溜め息を洩らした。
「あんた、そういうとこ直した方がいいわよ?、人見掛けてもまあいいやって無視するの」
「そう?」
「そうよ!、こっちにしてみればね、気がついてるくせに無視するなんてって怒りたくなるの!」
 シンジは顎を引くようにして言い返した。
「でもさ……、用事もないのに呼び止められたら、腹が立たない?」
「そりゃ友達でもなんでもなかったらそうだけど」
 あんたとアタシは、こういう関係でしょうがと腕を組んだ。
 困惑しつつ、引っ張られる。
「どこに行くのさ?」
「別にぃ?、あんたこそどこに行こうとしてたのよ?」
「帰ろうと思ってただけだけど?」
「じゃあ方向も一緒じゃない」
「いてっ」
 組んだ腕をそのままキメられてシンジは呻いた。
「痛いって!」
「声をかけた、ちょうど家に帰るとこだった、ほら!、じゃあ一緒に帰ろうかってことになる、人の付き合いってのは、そういうとこから馴れ合ってくのよ!」
 わかってるよぉとぼやいたが、本当にわかっていれば先のようには訊ねないはずだ。
 アスカは再び溜め息を洩らしたが、それはシンジへ向けたものではなく、レイ達に向けたものだった。


 レイ達の懸念もわからないではないのだが、たまにシンジの考え方には、このような抜けている部分が見え隠れする。
 だいぶ自分のせいだという気分は抜けたが、それでも完全にではない、やはり過去に色々と酷い目に合わせてしまったからこそ、そのような部分に、傷として残っているのではないかと思えてしまう。
(顔を会わせると、ううん、目を合わせると、なにを言われるかわからないからって、自然と避けようとする、声をかけるなんて面倒だって思ってる、シンジのって、それが習慣化したまま残ってるのよね、きっと)
 その被害をレイも被っているのかもしれないと考えると、アスカはフォローすべきなのかもしれないと、妙な罪悪感を抱いてしまった。
「どうしたの?」
 隣りからの声に顔を上げる。
「ううん……、ちょっとね」
「ふうん?」
 気の無い返事、電車の中だ、並んで腰かけている二人。
 アスカはそのまま、窓の外の夕日を眺めようとするシンジの腿をつねった。
「いてっ!、またぁ?」
「そうよ」
 ふんと鼻息を吹いて、膝の上に両肘をついて支えを作り、顎を落とした。
「こういう時は、話してみてよ、一緒に悩んで上げたいんだ、くらい言うもんなの!」
 う〜んとシンジは、顔の下半分に手を当てて唸りを発した。
「でも、そんなの……」
「アンタらしくない?」
「ってのもあるけど」
 やっぱりなぁと口にする。
「アスカ」
「なに?」
「好きだよ?」
「はぁ?」
 アスカは照れるのでもなく、きょとんとした。
「なによ、急に」
「いや……」
 やっぱりなぁと、また言った。


「なんなのよっ、もう!」
 跳びかかられて、布団はバスンと悲鳴を上げた。
 ベッドの上に倒れ込み、アスカは両腕を伸ばして顔をしかめた、コツンと手先が壁に当たって、気持ちが良い感じでの伸びをできなかったからである。
「もう!」
 もぞもぞと動いて、今度こそのびのびと腕を伸ばす、結局腰を変に曲げることになってしまった、上半身はベッドに対してまっすぐに、腰から下はベッドの下へと落とすような形になって。
 ──なにがやっぱりなのか?
 まったく理解できなかった。
 だがアスカが理解できないのも無理はなかった。
「……」
 シンジは電気も点けないままに、椅子に腰掛けると、そのまま壁を見つめ始めた。
 脳裏に、好きだと告げた時の、アスカの顔が思い出される。
 ──やっぱりなぁ。
 アスカはその言葉を、何か納得するものだとして捉えていたが、それ自体が謝りだった。
 やっぱりなぁ、シンジはその言葉の中に、母に対して行った仕打ちのことを滲ませていた。
 何を口にしても、自分の中には、あのように母にも暴力を振るう、自分勝手な自分が居る、潜んでいる。
 そんな自分の言葉に、どれだけの誠意が込められるのか?、それを相手に伝えることはできるのだろうか?
 シンジはそれを試したのだ、やっぱりなぁとは、やはり今はだめだなと、それを確認しただけだった。
 どうしても、二の次になってしまうのだ。
 どんな悩みも。
「はぁ……」
 溜め息を吐く。
(好き……、か、前の僕なら、照れて、赤くなってただろうな)
 それが例え冗談から発したものであったとしても、どもってしまい、さらりと告げるなど、とてもできなかっただろう。
 だからこそ、アスカには冗談だとして受け取られてしまったのだと、シンジは思った。
「僕の中にある僕が処理しきれてないって感じだ」
 だからエヴァもうまく『立ち上がらない』のだろうかと思う。
「一つずつ、処理していきたいのに」
 その始まりに来るはずの父が今は居ない。
 シンジはそのもどかしさの中に、気分が萎えるのを感じて、うなだれた。
 一方、収まりがつかないアスカは、適当に着替えて出かけることにした。
「シンジー!」
「ん〜〜〜?」
「ちょっとコンビニ行って来るけど、なにかいるー?」
 ん〜〜〜?、っと悩む声に続いて、コーラと聞こえた。
「んじゃあ、何か作っといてよね、お腹空いたからぁ」
 しぶしぶ、わかったようっと、返事が戻った。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。