マンションの玄関口にある、わずかな段差を跳ねるようにして飛び下りて、気楽な格好に着替えたアスカが去って行った。
「どこに行くんだろう?」
「さあ?」
 首を傾げたのはあの少女だった。
 マンション前に停められているワゴンの中だ、人数は『四人』、少年ふたりに、少女がひとりに、加持である。
「買い出しだな」
「買い出し?」
「ああ、コンビニエンスストアが近くにある、そこで何か買って来るつもりなんだろう」
 ふうんと少女は納得できないものを見せた。
「同棲か……、楽しそう」
「そうでもないさ」
「そ?」
「ああ、なにしろ葛城部長が一緒だからなぁ」
 ああ、それはと、アスカに言い寄った少年が、何とも言い難いものに口元を歪めた。
「加持さんの彼女と一緒とは……」
「そういう言い方はするなよ」
「でも本当のことでしょう?」
「まあな」
 加持は苦笑いを浮かべて護魔化した。
 どうも気安さが募って来る。
「しかしまさか、君達が来ることになるとはなぁ……」
「『上』の意向ですよ、あなたが頼りないから……」
 加持は子供たちが居るというのに煙草をくわえた。
「もっとはっきり言ってくれて良いんだぞ?、信用ができなくなったってな」
 すっとその首に手が伸びた、小さくて細い指、少女だった。
「殺して欲しい?」
 ぞっとするような冷たさが染み入って来る。
「また今度な」
「つまんなぁい……」
「まだやりたいことがあるんでね」
 すると今度は、腕が伸びて来た、シートごと抱きしめるようにである。
「だったら、殺して欲しいな、ベッドの上で」
 こらっと、少年、リックは、彼女の頭をコツンと小突いた。
「やめないか、マサラ」
「ブー」
「お前はまだ子供だろうが」
「だから今が良いんじゃない」
 屁理屈を言う。
「今だったら、オジさんの『ソチン』でも子宮ごりごりでスッゴイのぉって感じじゃない?、大きくなっちゃったらそんなの味わえ」
 ぐえっと続いたのは、顎を下から突き上げられて、舌を噛んだからである。
「はにすんのよぉ!」
「どこでそんなことを覚えた!」
 舌を出して訴えるマサラを、リックは本気で怒鳴り付けた。
 一方、全く無視してムスッとしていた残る一人が、隙を見て加持に問いかけた。
「わからないんだが」
「なんだい?、ゴリアテくん」
 彼、ゴリアテは僅かに顔をしかめたが、ことさら訴えはしなかった。
 ゴリアテとは、当然のごとくあだ名である、本名は別にあるのだが、彼は正させようとはしなかった。
「なぜ、監視する?」
 彼は話の続行を望んだ。
「碇シンジについては了解した、だが、力を失ったというのなら、なぜ監視する必要があるんだ?」
 言外に、なぜ失ったことを教えるのかとも問いかける、加持はその両方に対して返事をした。
「わからないか?、いずれはわかることだし、こっちのチルドレンはみんなが知ってることでもある……、君たちのようなのは、教えておかないとタチが悪いからな、そういうことだよ」
 煙草の先をつまんで擦り消す。
「掻き回されると困ることが多いのさ」
「例えば例えば、アスカって娘とのらぁぶぅ〜?」
「違うよ」
 マサラの言葉を反射的に否定してしまったものの、加持はいやっと思い直した。
「それもあるかもしれないな……、なにしろアスカは、いまやナンバーズ最強の存在だ」
「だがATフィールドは使えない」
「そうかな?」
 加持は意味ありげに笑みを浮かべた。
「ATフィールド、君たちのそれは言うほど完璧かい?」
「……」
「アスカの能力は、技術部の調査じゃ粒子の加減速にあるらしい……、ATフィールドが最強とされるのは、物理法則を無効化できるからだが、無限に加速させた粒子同士をぶつけた時に、何が起こるか知っているかな?」
「ばっくはつぅ!」
「正解だ」
 二本目の煙草に火を点ける。
「さて、その最大効果範囲の設定が無制限の力を前に、君たちのATフィールドはどの程度の効力を発揮できるのか……、ATフィールドは位相の差が障壁のように見えているって説もあるんだ、だが膨大なエネルギーはそれを飛び越えて影響を及ぼすことができるんだ、これは使徒戦で実証されてる」
「大出力の攻撃によるATフィールドの一点突破か」
「資料は見たけど、あれは失敗したはずですよ」
「だが試算結果は成功を示していた」
 話を続ける。
「仮にATフィールドを貫くことができなかったとしても、君たちは使徒とは違って、ATフィールドを継続展開することができない、焦土と化した、数十キロ、数百キロに渡って溶解している大地の上に取り残されて、生き延びることができるかな?」
 三人は息を呑んで押し黙った。
 明確に結果がわかったからだ。
「そういうことだよ」
 二本目を消す。
「だがな、そんなアスカですらも、監視名目でシンジ君との同居を依頼されて、あそこに居るんだ」
 むぅっとマサラが頬を膨らませた。
「アスカだってぇ、やーらしいんだからぁ、もう!」
「おいおい」
「話の腰を折るな、加持さん、監視っていうのは?」
 三本目。
「ああ……、シンジ君の『復活劇』についての詳しいことは、一応伏せられているんだがな」
 もったいつける。
「君たちの力の根源が、生命の根幹、あるいは根源的なものから来ているのは、オカルト的だが間違いがない、それを失ったシンジ君は、一時的な避難として、まずはエヴァに寄生した」
「寄生……」
「エヴァに食われた、同化したって説もあるけどな、俺はそう思ってる、そして今度は食ったのさ、エヴァを、エヴァンゲリオンを」
「エヴァンゲリオンを?」
 ああと加持は頷いた。
「エヴァンゲリオンという巨大なエネルギーの塊を成分分解して、エヴァと名付けられた魂を形成している原始エネルギーに転換したのさ、つまりシンジ君は、その身の内に、エヴァンゲリオンを内包しているってことになる……」
 マサラが首を傾げ、後の二人はそれぞれの顔つきで押し黙った。
 リックは深刻さから青ざめ、ゴリアテは思案するためか目線を横に向けている。
「わかるかい?」
 加持は話をまとめようと口を開いた。
「初号機、01はまるで生きているように振る舞ったことがある、人が乗っていないのにだ、シンジ君を迎えるために自ら動いた、それが自らが『完全体』になるための儀式だったとすれば?」
「……エヴァを組み込まれたサードは、サードを組み込まれたエヴァと同様に、最強であるかもしれない?」
「アスカが張り付けられているのは、シンジ君が覚醒した場合に備えてのことなのさ」
「その力を使って、何をしでかすかわからないからということか」
 いいやと加持はかぶりを振った。
「その点については心配ないさ……、彼は君たちよりも信用があるからな」
「信用?」
「そうだ、彼は力を持っていた間も最強だった、あの渚カヲル、フィフスでさえも手が出せないほどの存在だった」
 ──フィフス。
 その番号は、彼らにとっても特別なものであるらしい、顔色が変わる。
「だけどな、それでも彼は人間であり続けた、得に力に固執することも、誇示することもなく、自然体であり続けた、そういう実績があるのさ」
「だから、変わらない、と?」
「問題は……、その力が大き過ぎた時だよ、そう、シンジ君自身ですらも、制御が利かない状態に陥った時のことが懸念されてるのさ」
 生身であっても最強であった少年が、常にエヴァに乗った状態で存在することになったとすれば?
 一体誰が、手を出せると言うのだろうか?
「だからの、セカンドなんですか?」
「そういう一面もあるってことだよ、都合の良い便利な道具なのさ、彼女はね」


 自分がどんな風に評価されているのか、そんなことに気付きもしないで、アスカはのんびりとコンビニの棚を物色し始めた。
 それもそのはずで、こんなにも陰のある生活を始めてもう四年にもなる。
 四六時中思い悩んでいては胃がもたない。
 そのくらいには、アスカも気を抜く術を覚えていた。
 だが。
 レイはそうもいかなかった。
「悩んでたって、切りがないんじゃない?」
 今度はリツコの部屋に居つき、うだうだと帰宅の時間を引き伸ばしていた。
「それで解決するわけでもないでしょう?」
 だがミサトと違って、リツコの意見は辛辣だった。
 椅子に腰掛け、冷たい視線を送り、マグカップに口をつけている。
 その全てが、邪魔よとレイに訴えていた。
「家に帰って、掃除でもしてなさい?、どうせまた散らかし放題なんでしょう?」
「うう……」
「シンジ君との関係がどうのこうのの前に、シンジ君に好かれる自分になるべきよ、恋愛対象から外されたら、それこそどうするの」
「うう」
「悩む順番ってものが間違っているのよ」
 それにと調子に乗り掛けて、リツコは慌てて口を噤んだ。
 恋愛は理屈ではないのだし、感情任せが非常に正しい。
 だが、リツコには、好きという気持ちは限度を越えた時に愛に変わるのだという、誰が聞いても顔をしかめたくなるような、理屈めいた言葉以上に、その感覚を説明することができなかった。
 だからこそ、言い過ぎるのを控えたのだ。
(シンジ君とアスカとの間には絆があるわ、それがどんなに狂ったものでも、でもあなたとの間にはそれがない……、繋がりが)
 つまりは、いま好きだと感じている感情が途切れたなら、すべてはそこで終わってしまうものなのだ、まだ。
(それ以上のものに……、アスカが抱いてるものに対抗できるくらい強くて、固いものに育てるには、ここで落ち込んでたってしかたがないのよ)
 いくらリツコでも、接し方がわからなくなったからと言って離れていては、疎遠になるだけだということくらいは、わかっている。
 こちらがうずくまっている間にも、相手の時間は流れているのだ。
(特に、シンジ君の周りの流れは、時々恐ろしいほど早くなるのよね)
 でも今は何事もなく、穏やかな流れであって欲しいと、リツコは願わずには居られなかった。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。