リツコの願いは、実にささやかなものではあったが、彼女自身、それがそう長くは続かないことを知っていた。
なによりも、ここは『遺物』発掘の最前線組織である、発掘はいずれ再開されるし、使徒との戦闘も、いずれまた行われることだろう。
今の状態は、あくまでも小康状態にすぎないのだ。
そして、後は彼女自身の業務にあった。
(情けない話ね、平和を願っていながらも、自らの手で平穏を破壊しようとしているんだから……)
時々、憂鬱な気分になる。
シンジを調べることは、単なる善意からのことではない。
エヴァが消え、シンジが残った。
しかしエネルギーの総量を計算すると、合わないのだ。
エヴァには、人の命が込められていた、碇ユイである。
01の異常なほどの能力が、『二人分』の魂が、相乗効果によって生み出していた、発露であったのだとすれば?
シンジが母の魂を喰らい、蘇ったというのなら、エヴァがなぜ枯れる必要があったのか?
シンジが取り込んだとしか思えないのだ。
リツコがデータを飽きることなく取っているのは、その証明を行うためであった、証拠固めである。
今のところ、何も出て来てはいないのだが……
「ふぅ……」
キーを叩く手を止める。
「わたしもヤキが回ったものね……、ただの思い込みかもしれないのに、それを必死で証明しようとしてるだなんて」
昔なら、あり得ないことだとして、表層から判断できる答えだけを、レポートには記載していたかもしれない。
実際、リツコの脳裏には、もう一つの解答が正解なのではないかという考えもちらついていた。
エヴァ01は、長きの眠りによって、その生体機関が枯れ落ちていた。
だが、それを碇ユイ……、『Rei Series』と呼ばれる生体ユニットが、なんとか保持し続けていたのだとしたら?
シンジが母の命を貰い受けて回帰したことによって、今度はエヴァが『割りを食った』形になったのかもしれない。
機関部を失い、『生命活動』に支障が生じたのかもしれない。
今、必死になって、『こうでなくてはならない』と作り上げようとしている解答よりも、誰が耳にしても、そちらの方が真実であると感じるだろうとはわかっていた。
今の作業は、捏造しようとしているだけなのではないかと、感じている。
──それでもだ。
リツコは、無意識の内に吸っていた煙草を持った手で、前髪を掻き上げた。
(わたしの直感が叫んでるのよ、この証明を、解を確立しておかないと、いつか大変なことになる気がするって)
ちらりと、モニターの隅にある時計へと目をやった、夕食を取るのを忘れていた。
(あの子、ちゃんと家に帰ったんでしょうね……)
ふと、追い出してしまったレイのことを思い出し、リツコはまたも憂鬱になった。
いくら切羽詰まっていたと言っても、少し邪険にし過ぎたかもしれない。
自己嫌悪、もっとちゃんと話を訊いてやっておいた方がよかったのかもしれない。
リツコは、そんな今更な後悔の念を抱いて、そしてまたいつもこうだと反省し、底無しの陰鬱な世界へとはまり込んで行った。
「あれ?」
エプロンを付けるのは、服を汚したくないからだ。
食器を洗うだけでも、洗剤は跳ねるしズボンにもつく、それが制服であったなら後で困ることになるから、エプロンを着けるのは、半ば習慣化した行為となってしまっていた。
……そんな格好で迎えに出たシンジであったのだが、どういうことかと首を傾げた。
出かけた時には一人であったはずのアスカが、帰って来た時には伴を連れていたからである。
レイである。
妙に体を小さくしている、居心地が悪そうにしていて落ち着かない。
どうしたのかとシンジは目でアスカに問いかけた、アスカはそっとかぶりを振った、ここでは話せないという意思表示である。
(なんだろ?)
まさか自分が原因であるとも思わず、シンジはどうぞと促した、他に触れ方がわからなかったからだ。
(なんだかなぁ……)
目の前を通り過ぎて行くレイの様子は、やはりおかしなものだった、こちらを見ようとしないのだ。
──心中、複雑なレイである。
会いたい気持ちと、避けたい気持ちと、会いたくない気持ちと、話したい気持ち、それらが足したり引かれたりして、プラスとマイナスの間を行ったり来たりと、くり返していた。
「ま、呑みなさいよ」
レイは何も考えずに、示された通りに座り、出されたものに口を付けた。
「にが……」
「そりゃビールだからねぇ」
ミサトのだけど、と心の中で付け足した。
「ま、なに悩んでんのか、『知らない』けどさ」
いけしゃあしゃあと言い放つ。
「こういう時には、呑むもんでしょ?」
「そうなの?」
「多分ね」
アタシ、まだ高校生だしぃと、舌を出す。
そんな二人に、ますます首を傾げてから、シンジはおつまみが居るんだろうなと、キッチンに消えた。
「『レイ』さん」
ネルフが用意した宿舎の廊下で、そう呼び掛けられ、立ち止まったのはゴリアテだった。
「どうでしたか?、セカンドの様子は、見てきたんでしょう?」
下卑た笑いを張りつかせて寄って来る男が一人、しかしそれに追随する二人の顔は、酷く苦いものを張り付けていた。
──彼らもまたナンバーズである。
しかし力の格差というものがあるのだろう、ゴリアテが居なければどのような上下関係が構築され、どのような類のグループが形成されることになるのか、考えるまでもなくわかりそうな雰囲気だった。
「レイノルズ」
ゴリアテは無表情なままに口にした、あまりそういった軽口を叩くなと、忠告の意味合いを込めてである。
ゴリアテにとって、レイノルズは決して必要な人材ではない、しかしレイノルズは、自分こそがこの集団のナンバー2であると自負していた。
──勘違いもはなはだしい、と誰もが思っている。
ゴリアテももちろんだったが、それでも排斥するほどの理由もないので、放置していた、それがまた、彼の思い込みを、激しく増長させているのだが……
レイノルズは肩をすくめると、へいへいとまともに取り合わずに、受け流すようにした、真剣さが足りていないのは、ゴリアテの失脚を待ちわびているからである。
この目の前の男さえ居なくなれば、天下が回って来ると思い込んでいるらしい。
単純な男だった、それだけに始末が悪い。
誰にもわからないように、ゴリアテは顔をしかめた、『レイ』という名がどれだけの禁忌であるのか、それすらも理解していないからだ。
「こんなところで、なにをしている」
そのような憤懣をおくびにも出さずに問いかける。
「ネルフの監視に目を付けられるぞ」
ああと、レイノルズは肩をすくめた。
「あんな連中、なにが恐いもんかね」
「……」
「ナンバーズも混ざってますがね、うざいし、なんならシメましょうか?」
ぎらりと目に剣呑な光をちらつかせる。
シメる、彼らにとってのその言葉の意味は、知らしめてやるの短縮ではない。
もっと危うい意味である。
「……手は出すな」
「なんでです?、あんな連中……」
「事情が変わった」
無駄だろうなと思いながらも、彼は言い含めた。
「聞いていた話とは随分と違う、詳しく掴めるまで、騒ぎは起こすな」
チッと舌打ちが洩らされた、明らかに面倒だとの反抗である。
(危険だな)
わかってしまう、この男の頭の中では、この都市においても自分はナンバー2なのだろう。
『リーダー』以上に、注意しなければならない相手などいないはずで、なのに大人しく振る舞っていなくてはならない。
そのストレスに堪えられるだけの『オツム』のない男である。
何かしでかすだろう、そしてそれを押さえられるだけの『器量』が自分には無い。
(どうしたものか……)
彼は縋るような雰囲気を持っている二人と目を合わせて、視線で命じた、見張っておけと、目を離すなと。
(それにしても)
宿舎の屋上に、一人で登る。
そこは柵によって幾つかのパーティションに区切られていた、給水塔でもあるタンクのある場所、くつろぐためのスペース、それに洗濯物などを干す竿が並べられている区画。
彼は大きく股を開くようにして立つと、そんな柵の外、屋上の縁に立つ女へと問いかけた。
「おまえだな、呼んだのは」
ボーイッシュな女だった、着ているものは黒のシャツにショートパンツである。
ジーンズかもしれないが、闇のためによくわからない。
そして皮製らしい上着を羽織り、袖をまくっていた、手にはグローブをはめている。
──風が吹いた。
揺らぎとなって、彼女の傍を取り巻いている、それが『視認』できる異常な光景に息を呑まされる前に、彼はさらに驚かされた。
「なんだ!?」
この男には珍しく動揺を見せる。
突風と共に、巨大な物体が建物の下から舞い上がり、女の直前に静止した、それはまるで、鳥のような形状をしていた、揚げ句に目が眩むほどに輝いていた。
大きく開かれた翼は、幾重にも別れた枝のようでもあった、一体どこから?、怪物は明らかに建物よりも大きい、下に隠れることなどできるはずがない、一体今までどうやって鳴りを潜めていたのか?
彼は言葉を発しようとして、顎ががくがくと動いていたことに気がついた。
半開きのまま、時折ガチン、ガチンと、激しく下顎が上顎にぶつかっている、それは全身が硬直し、どこからも力が抜けない証だった。
汗が酷く吹き出していた、肝が極限まで冷えていた、恐怖、彼はそれを感じた。
それと同時に、彼の、『Rei』という名前の由来でもあるものが、警告音を発して喚いた。
(使徒!、まさか!?)
ゆっくりと女が振り返る、明らかに使徒を従えている、威風堂々とした態度でである。
──彼女は笑った。
その顔は、洞木コダマのものであった。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。