「南極、そこにあったものはまるで樹のようだったとも、生殖器のようであったとも伝えられている」
 精神的な圧迫感に堪えつつ、ゲンドウは語る。
「他に表現する適当な言葉が見つからなかった、そそり立つモノ、アダム、そしてその傍には繋がるモノがあった、女性器にも似たそれからは、一本の管が枝のように伸び出していた、学者連中は端子と呼んだ」
「端子……」
「それは機械を一切受け付けなかった、だが人、心のあるものは誰しもが同じような恐怖心を抱いた、Rei……、いや、ユイを素地に作られた子供たちは、この端子に触れ、情報を引き出すためのパーツとして利用された」
「クローンを!?」
「その技術が、『生体部品』の発展を促し、MAGIへと繋がっているのだとすれば君はどうする?」
「!?」
「MAGI、その頭脳には記憶素子として用いられた『予備体』から引き出された情報が詰め込まれている、十六人の子供たちの脳から移植された情報によって成り立っているのだ」
 母さんが、とリツコは呻いた。
「母さんが……」
 くり返す、が、ゲンドウは違うと口にした。
「彼女はそれを知らなかった」
「え……」
「知ったが故に、自殺した」
「!」
「彼女は堪え切れなかったのだな、知らなかったとは言え己がなにをしていたのか、なにを扱っていたのか、その真実に、犠牲を伴う研究政界に」
 木は大きく育って部屋を埋めた、硝子の割れる音、円筒管が破壊されたのだ、こぼれ落ちた素体は枝によって抱き留められた。
「わかるか」
 だが木の成長は、ゲンドウの持つ槍を恐れて、避けるようにしていた。
「今目の前で起こっていることが、あの地で起きた現象だ」
「セカンドインパクト……」
「そうだ、シンジに突き刺したものは『へその緒』だ」
「へその……」
 ピンと来る。
「リリスと、エヴァ……」
「そうだ、あのへその緒の枯れたものだ」
「どうして……、いいえ、還元現象なのね」
「その通りだ、管を通して人という存在が母へと還元しようとしている、この逆さの木は三次元世界における具象的な光景に過ぎん、シンジは世界に還ろうとしてる」
「本当は……、本当はこの黒き月の中心で行われるはずのことを、ここで!」
「そうだ」
 腕が疲れたのか、やや穂先が下がってしまっていた、握り直し、構え直す。
「最悪、セカンドインパクト……、いや、サードインパクトによって使徒の侵攻は終わることになる」
「不可能です!、アダムもないのに」
「エヴァの素体がある」
「!?」
「それに……、セカンドインパクトを起こしたのは、解放された魂の霊的エネルギーだ、人が抱えている『エヴァ』とは、それだけの大きさがある」
「そんな……、そんな」
「だが」
 ゲンドウは成長速度の落ち方に目を細くした。
「俺は、ユイを信じている」


 ──男だったらシンジ、女だったら……
 先程から、しつこく聞こえる声があった。
 ──俺は、ユイを……
 父さん、と涙する。
 伝わって来る、心が、嘆きが、振動となってその波長が、共振を起こす。
 ──彼の手には音叉があるから。
 シンジは背中に温もりを感じていた、欲しかったもの、幼い頃に憧れたもの、母の温もり。
(母さん……)
 振り向いて、抱きつきたくなる。
 ……その胸に顔を埋めてしまいたくなる。
 ──そんな資格は、失ったのに。
『シンジ……』
 甘く、やさしい声だった。
 封じていた記憶が開放される。
 母の胸に抱かれて眠った、母と手を繋いで歩いた、母と共に笑い合った。
 そんなひとつひとつが思い出されて……
「うっ、あ……」
『泣かないの……』
「でもっ、でも僕は!」
『泣かないで……』
「僕は母さんに酷いことをしたんだ!」
『でも』
 大きな心に満たされる。
『シンジは、大好きだって、言ってくれたじゃない……』
 ──お母さん!
 ──大好き!
 ──お母さんも、シンジが……
「あああああ!」
 鼻頭が熱くなり、嗚咽がこぼれ、涙が止まらなくなる。
「僕は!、僕は寂しくて!、だから!」
『わたしのことを忘れようとしたの?』
「忘れなくちゃ、辛かったんだ!、だって」
『そう……』
「だって!、諦めなくちゃ生きていられなかったから!」
 母が死に、父に捨てられ、世界は灰色に閉ざされた。
 重く立ち込める雲、陽の日差しのない世界。
 冷笑と、罵声と、嘲りの中で、淡い思い出は逃げ込む場所にも成りえなかった。
 比べるだけ、辛くなるだけの『記録』、だから捨てた。
 ──憧れないですむように。
『それが、シンジの罪?』
「そうだ!」
『それが、シンジの悩み?』
「そうだよ!」
『だったら』
 ──許してあげる。
 今度こそ、シンジは我を忘れて泣きじゃくった。
 振り返り、抱きついて、お願いだからと母に甘えた。


 ──ドクン!


 その時、全てのチルドレンが胸を押えてうずくまった。
「痛い!」
「なんだよ、これ!」
「痛いよぉ……」
 苦しい、だが、怖くは無い。
 むしろ……
「なにか……」


 そしてそれは、アスカやレイも感じ取っていた。
「なにか……、起こってる」


「シンジ君が!」
 リツコは悲鳴のような声を放った。
(裏返っていく!?)
 女性器のように縦に割れている木のうろから見えていたシンジの体が、刺し貫かれている穴から、四方に向かって『剥け』だした。
 じわり、じわりと広がって、ひっくり返ろうと、裏返ろうとしている。
「見ろ!」
 ゲンドウは叫んだ。
「事象が逆転しようとしている!、三次元の壁、物理現象によって人の目より隠されて来た非物理現象が、こちらの世界へ進出しようとしている!」
「こちらの世界へ!?」
「ああ!、わかるか!、霊、精神、非科学と呼ばれていたものは常に物質界の裏に一体となって存在していた、シンジと言う物理現象が反転して、その姿を晒そうとしているのだ!」
「エヴァ……」
「アダムより生まれしものはエヴァ、錬金術だな、これは!」
 リツコはゲンドウの横顔にぞっとした。
 部屋のライトか壁の反射光によるものか、真っ赤の色合いの中にゾッとするよう笑みを浮かべていた。
(まるで……、まるで)
 ゲンドウ自身が馬鹿にしていた、独善的な科学者のようではないかと、恐怖する。
(妻も、息子も捧げて、なにを成そうというの!?)
 シンジをアダムに見立てて、エヴァという名のエネルギーを抽出しようとしているのだと気付く。
 それは剥き出しのエネルギーだ、裏の世界にあったからこそ安定していたもの、もしこの扱いを誤れば、暴走を引き起こし、サードインパクトは免れえまいというのに……
(己の命すらも賭けて!)
「さあ、シンジ!」
 ゲンドウは槍を掲げた。
「お前は、『どこ』へ向かうつもりだ!」
 今日、幾度目かの驚愕に目を見開く。
 ──グ、ルル……
 聞き慣れた、声。
 裏がって行く、内壁が、臓物が、骨がひっくり返って、外へと開かれ、背中へと回り込んでいく。
 そして代わりに、内側より、新たな『皮』が引きずり出されて行く、裏返りながら、シンジだった者はそれを纏い、『大きく』なって行く。
「あ、ああ、あ……」
 リツコは恐ろしくなって後ずさった。
「エヴァン、ゲリオン?」
 バキバキと木の幹にひび割れが走った。
 裂けて、倒れていく、床を這っていた枝の葉が、『それ』の第一歩に舞い上がった。
 ──ズシン!
 装甲は……、無い、だが昆虫めいた殻のようなものが、初号機そっくりの外骨格となって、要所要所を覆っていた。
 生まれたばかりのその肉体は、血とおぼしき液体を滴らせ、ふやけていた。
 ぶるりと身震いをする、振り払われたものがゲンドウをリツコを襲った。
「きゃあ!」
 反射的に身を庇う、しかしゲンドウは動じずに受けた。
 顔の半分を汚されても、睨み上げたまま、凝視し続けていた、構えた槍を動かさそうともしないで。
 ただ、結果を見据えている。
 やがて皮膚を濡らす液体が乾燥を始めた、それにしたがって殻が堅く固まっていく。
 ──ズシャン!
 生まれ落ちたばかりで、まだ慣れないのか、倒れて腹這いになった。
 おかしな具合に床に這いつくばって、首を傾げるように曲げている。
 顎を視点に顔を起こす、そして大きな目に、小さな存在を映し込んだ。
 正面に立っている、ちっぽけな存在を見た。
(焦点が、合わさっていく?)
 リツコはそう感じた。
『ウッ、ウォ……、ウォオオオオーーーン……』
 余韻の残る咆哮を上げる。
 体をのけぞらせて声を震わせる、その音にリツコとゲンドウは後ずさりを余儀なくされた。
「空間が!?」
 歪んでいく。
 エヴァの向こう側の空間が、渦を巻くように狂っていく。
 揺らいだ向こう側に何かが見える、景色のようだ。
 ここではない、世界のどこか。
(エヴァが!)
 シンジ君が、とは言えなかった。
 新たに誕生したエヴァンゲリオンは、液体のように歪められながら吸い上げられた、歪みの向こう側へと右腕を、顔を、足を取られ、『呑み込まれ』ていく。
「行くぞ」
「え!?」
「もうここに用は無い」
 強引に腕を取られて引っ張られる。
 エヴァの居なくなった空間には、その空間の穴を埋めるためか、非常に強い風が吹き荒れた、完膚なきまでに部屋は破壊され、木の葉や枝が舞い散った。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。