「ふうむ……」
 マサラの病室を訊ねたリックとゴリアテは、思わぬ話を聞かされて、大きく唸らされることとなってしまった。
「あいつ、変よ、絶対、化け物よ、あんなのもう人間じゃない、悪魔よ」
 マサラはベッドの上で、膝を抱えて、がたがたと震え続けていた。
 引き寄せたシーツをぎゅっと握って、離そうとしない、手が固まってしまっているのかもしれない。
 顔は蒼白で、血色は完全に失われていた、紫色になった唇はひび割れ、目元は隈が酷く浮き上がり、眼球は完全に血走っていた。
 眠れてもいないらしい。
 二人はお大事にとありきたりな言葉を告げて、病室を出ることにした。
 いたたまれなくなったからである。
「どう思う?」
 リックは溜め息交じりにゴリアテに答えた。
「その質問がマサラについてのものなら、もうだめだろうね」
「……そうだな」
「うん、僕たちの能力は、自分に対する絶対の確信から発生するものだ、不安や恐怖、そして疑い持った時、発現しなくなるものだ」
「マサラは恐れた」
「それが二つ目の答えだよ、能力の発現が『第一段階』だと仮定するなら、もしかするとシンジ君は『第二段階』に入ったのかもしれない」
「俺たちも、同じようになる可能性がある」
「……」
 渋面を形作る。
「人によっては……、絶大な力を誇るだろうね、喜ぶかもしれないけど」
「だがマサラは恐れた」
「詳しい資料を開示してくれないから、わからないけど、これは一種のパラダイムシフトなんじゃないのかな?」
「階梯を上ったというのか?」
「だとして、憧れるのが普通なんだけど」
 ううむと悩む。
「マサラは異常なほどに怖がってる、あの感じじゃ、よくないことみたいだ、まるで」
「まるで、本能的に忌避する類の変化だと、ああはなりたくないと拒否反応を示している?」
 リックはうんと頷いた。
「直接話してみても、わからなかった……、シンジ君自身も気付いていなかったみたいだ、となれば、小康状態、じゃないな、なにかのきっかけがあって、彼の内側でゆっくりと進行していたものが、弾けたんだ」
「そのきっかけが、問題か」
「まさにね」
 でもこれは調べようがないよと肩をすくめた、なにしろ最初に、ここでは情報は基本的にオープンにしていると説明されているのだ。
 能力者たちを前にして、隠すことなど無駄だから、しかし。
 ──この件の、肝心な部分に関しては、完璧なまでに伏されている。
(それだけ上も動揺しているってことか)
 リックの顔つきが変わりはじめた。


「……」
「……」
 お互い、顔を見ないように背け合う。
 そんな様子に、コウゾウはふぅっと溜め息を洩らした。
「子供でもあるまいし、君たちが取り乱してどうする」
 一応の訓戒を行う。
「それでは下の者たちにも動揺が広がるぞ」
 言いつつ、これではだめだなとコウゾウはわかってしまって、虚しくなった。
 ちらりと、お前が言えと、いつものポーズで黙ったままのゲンドウを睨む。
 ゲンドウは仕方がないと微妙に動いた。
「葛城三佐」
「は……」
「本日の、チルドレンに対する報告会を任せる、説明は君が行え」
「わたしが、ですか?」
「そうだ、資料は既に下に回してある」
 ミサトはもう少し詳しいことをと、いつもの癖で訊ねようとしてしまったのだが、リツコへの苛立ちが勝ってしまい、引っ込めてしまった。
「わかりました」
 敬礼し、右足を引いてくるりと回る。
 さっさと歩き出し、部屋の外へと出ていってしまった、余程同じ空間には居たくなかったのだろう。
 はぁっと大きく溜め息を吐いたのは、やはりコウゾウだった。
「赤木君らしくもないな、彼女と同レベルで争うなどとは」
「申し訳ありません、ですが!」
 ギッと、彼女はゲンドウを睨んだ。
「説明して下さい!、あなたはっ、シンジ君になにをしたんですか!」
 ゲンドウは睨み返すように、ぎょろりと目を動かした。
「目の前で見せたはずだ」
「あれは!」
「人工的に、生物の進化を引き起こした、それだけのことだ」
「自分の子供を使って!?」
「そうだ」
「そんなことが許されると思って!」
「なら、君は何を犠牲にする?」
「犠牲?」
「そうだ」
 ゲンドウは一旦手をほどくと、体を起こし、腹の上に置き直した。
「時はもう、残り少ない、終わりの時はすぐそこまで来ている、この状況下で、人類死滅への道を回避するために、君は何を犠牲にできる?、赤の他人か?、それとも知り合いの子か?、守るためにどれほどのものを犠牲にできる?」
 答えろと目で命じられて、リツコは言葉に詰まってしまった。
 しかし、それこそが答えでもあった。
「納得したなら、戻れ」
「……」
「やるべきことがあるはずだ」
 くっと悔しげに身を翻し、リツコもまた去って行く。
 きっとこれが手動式のドアであったなら、バンッと力任せに閉じているところだろうなと考え、コウゾウはゲンドウへと問いかけた。
「いいのか?、碇」
「……」
「あれでは、お前が誤解されるだけだぞ」
 ゲンドウは瞼を閉じて、ふぅっと重く深く、息を吐いた。
「かまいませんよ、冬月先生……、慣れたことです」
「だがな、碇、お前とて初めからこれが目的で、シンジ君を呼び寄せたわけではないはずだ、レイに感化されたお前は、興信所を使ってシンジ君の生活環境を調べた、そして後悔し、呼び寄せた、レイならなんとかしてくれるはずだと思ったからだ、違うか?」
「……」
「そしてレイも、シンジ君と馴れ合う中で救われていくかもしれないと……、それを期待していただけのはずだ、ここまで重荷を背負わせるつもりではなかった」
「買いかぶりですよ」
 皮肉を浮かべる。
「シンジを『核』に選ぶことで、最も『進化』した生命体とすることで、次世代種として自分の息子が選ばれることを画策している、わたしはその程度の男です」
「しかしな……」
「自分の子が王になることを望んでいる……、そんなことを考えている、酷い男ですよ、わたしはね」




 肩を怒らせ、リツコは通路を研究室へと歩いた。
 あまりの剣幕に、みな道を彼女に譲る。
「あ、セン……、パイ」
 リツコの部屋で帰りを待っていたマヤは、ビクッと脅えて、声をかけるタイミングを逸してしまった。
「あ、あの」
「なに!?」
「いえ、その、データを……」
「そんなのっ、後にしてちょうだい!、まったく、それくらい自分で……」
 ふえ、っと泣き出しそうになるマヤに、リツコは慌てて険を収めた。
「ご、ごめんなさい、ちょっと、泣かないで……」
「だって、だってセンパイ、センパイ……」
「ああ、もう……、別にマヤが悪いんじゃなくて、ちょっと、もう」
 マヤの前でおろおろとする、とにかく泣き止んでくれとハンカチを出し、前屈みになって……
 ──プシュッと、空気の抜ける音がして、扉が開く。
「あ……」
「え?」
 首だけで振り返ると、そこには驚いた顔をしたマナ、ムサシ、ケイタの三人組が……
「あの、その、あの」
 真っ赤になって、マナが喚いた。
「ごめんなさい!」
「あ、ちょっと待てよ!」
「ごごご、ごめんなさぁい!」
 三人揃って逃げ出して行った。
「あ、ああ、ち、違う、誤解……」
 ついにはマヤが、びぇーんと泣き出す。
「わたしがなにをしたって言うのよ……」
 リツコも本気で泣きたくなった。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
 森林部、本部施設の外に出て、マナはようやく足を止めた。
「はぁ!、びっくりした」
「ほんとだぜ」
「噂って、本当だったんだねぇ……」
 ケイタのしみじみとした言葉に対して、残る二人はなんとも言い難い顔となった。
(今度から、検診を受ける時は、みんなと一緒にしてもらおー)
(今度から、マナを一人で行かせるのはやめた方がいいな)
 なんてことを考えている。
「やっぱりあれかな?、溜まったストレスを発散してたのかな?」
「ポストが赤いのもお前が悪いってか?、苛めてそうだな」
「それで悦に浸って、すっきりしたってさっぱりするの?」
 そうそうと二人は頷いた。
『まるでマナ』
 ガンガンッとどつかれる。
「いってぇ」
「なにするんだよぉ」
「変なこと言うなぁー!」
 ぷりぷりと怒って行ってしまう、しかし二人は追うどころか、むしろほっとした様子で胸を撫で下ろした。
「なんとか護魔化せたな」
「そうだね」
 ふたり揃って、その場にしゃがみこむ。
「まったく、まずいぜ、あれは」
「……」
 ケイタはよくわからないという顔をした。
「僕にはなにも感じられなかったけど……、そりゃ怖いってのは感じたけど」
 深く訊ねる。
「そんなに?」
「ああ」
 ムサシは体を震わせた。
「あれはヤバい、ヤバいんだ……、絶対に触れちゃいけない、そんな感じで」
 神妙な面持ちになる。
「正直、惣流と綾波には驚いたよ、アレを碇だなんて言って、近づこうとするんだからな」
「……」
「そりゃ、本当に碇だったけどさ」
 そういう問題ではないのだとかぶりを振った。
「何か、こう、圧倒的なんだよ……、狂ったみたいに吼える犬とか、そういうのを前にした時って、無条件で体が下がっちまうだろう?、似たような感じで」
「でも一度は止めようとしたじゃないか」
「マサラってのが喚いたからだよ、それで金縛りが解けたんだ」
 あれが生身であったならと、仮定にならないことを話した。
「絶対に下がってた」
 ムサシがとケイタは驚いた、同年代の中ではそれなりに喧嘩慣れしているし、肝も座っている。
 そのムサシが、反射的に身を引こうとしたと言うのだから、驚きだった。
 人は、目の前に制御できない、捌くことができない獣が現れた時、身構えることも、考えることもできずに、それよりも先に脅えてすくんでしまうものである。
(『そんなの』に、なんの用があるんだよ、マナ)
 彼らは、『同僚』のことを心配した。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。