「赤木君、我々とて、君のような逸材を手放したくは無いのだよ」
暗闇の中に浮かび上がった『モノリス』が、老人の声音でリツコを脅す。
「だが……、君が手に余ると言うのであれば、エヴァに関する研究担当責任者の任を下りてもらわねばならなくなる」
「その上で、訊ねよう」
──擬似会議室。
「サードチルドレン、彼は、『何者』かね?」
リツコは僅かながらに躊躇した、あまりにも漠然とした質問であったからだ、だが意図はわかる。
「結論から申し上げれば」
息苦しさから、そう前置きをしてしまっていた。
「彼は……、間違いなく人、人間です」
ほぉ?、っと驚きの声が洩らされる。
「人、かね……、間違いなく」
「はい」
自信を持って、そう断言する。
「エヴァは……、無形の存在です、その形状、発露は、全て発動者の意思、イメージによって変化します、彼によってわかったことは、それは必ずしも精神的なエネルギーだけにはとどまらないということです」
「つまりは肉体……、物理的実体にまで影響は反映されると?」
「はい」
「それでも……、人間かね」
「はい、実体……、物理的存在形態は、知恵の実、魂と呼ばれる精神面の核より発せられる『念』によって形成されているものです、彼が自らを人の域にとどめようとする限りは」
「人である……、か」
うむとナンバー01のモノリスが声を放った。
「よかろう、後の研究も、君に一任する」
「ありがとうございます」
恭しく頭を下げるのに合わせてモノリスが消える。
そしてリツコは、苦痛に歪んだ顔を上げた。
(乗り切れた?、いえ、まだね)
向こうの考えは読める、懸念もだ。
(彼らは人ではない、人を越えた者を創製しようとしている……、シンジ君が人であらんとすることはむしろ不具合の意味合いが大きい)
しかし。
(かと言って、『刺激』を与え過ぎれば、人を捨て神になるかもしれない)
そんな事態は、流石に望んでいないだろうと考える。
(わたしにできることか)
リツコは取り敢えず司令に報告するために、切りがないなと心のスイッチを切り替えた。
●
「ん……」
優しく前髪を撫で付ける手つきに、シンジは薄目を開いて口にした。
「アスカ?」
「うん……」
泣き出しそうなアスカの顔がそこにある。
「なに?、どうしたの……」
「どう、って……」
アスカは目尻に溜まったものを指で拭った。
「あんたバカぁ?、覚えてないの?」
「覚えて……」
シンジは急に目を見開くと、アスカを押しのけて飛び起きた。
「きゃ!」
悲鳴を無視して、服をめくって、腹を見る。
「なによもぉ!、もう……、なにやって」
自分の腹を撫で回し、首を傾げ、眉間に皺を寄せていた。
「なによ……」
「うん……、確か……、僕は父さんに刺されて」
「おじさまに?」
怪訝そうにするアスカに、シンジは訊ねた。
「ねぇ、ここはどこなの?」
「どこって……、病院だけど」
「病院……」
「あんたほんとに覚えてないの?」
「覚えてってなにを?」
「なにをって……」
あんたはと説明しかけたアスカを遮る。
「いや……、なにか、なんとなくだけど覚えてる」
「……」
「母さんに……、会ったんだ」
「お母さん?」
「うん……、あれは間違いなく」
それはアスカの思った答えでは無かった、アスカは単純に、『あの時』の、化けていた時の記憶のことを思ったのだが、特に口を挟まずに、シンジが語るに任せることにした。
「他には?、覚えてることって……」
「僕に会った」
「ボク?」
「そう……、僕はこっちにいるのに、もう一人僕が居るんだ、僕は僕じゃなくなったって言うんだけど、僕たちはお互いに僕の姿をしてて……」
変だよねと笑うシンジに、アスカは笑い返すことができなかった。
(あの夢は、じゃあ?)
考え込むようにすると、クスッという、鼻で笑う音が聞こえた。
(え?)
目の端に、女性のものだと思われる姿が、かすめるように過って見えた、慌てて顔を上げたのだが、しっかりと捉えることはできなかった。
(今の!)
間違いないと感じる。
(あの時の!)
だが、慌てて探すのだが、無駄だった。
まるで、集中して捜そうと、見ようと、感じようとすればするほど、存在が遠くなって、ぼやけてしまって、見えなくなってしまうような……
「どうしたの?」
「あ、ううん……、なんでもない」
アスカはそう説明し、横になるようシンジに指示した。
それはこれから行われるはずの、うんざりとするような検診の山を受ける体を、今から気遣ったからであった。
──各支部から訪れている保護管理官には、それぞれに専用の個室が与えられている。
アメリカより来日しているマリアの元には、今、リックが訪れ、相談を持ち掛けていた。
「つまり、あなたは可能性で問題を語っているのね?」
ええとリックは素直に認めた。
二人が腰かけている応接セットのテーブルには、冷めかけの紅茶が手付かずのままで置かれていた、もう長い時間話し込んでいた証拠だった。
リックはそこに映り込んでいる、自分の顔をじっと見つめた。
「確かに……、僕が語っていることは、可能性を前提にした推察に過ぎません、しかし僕たちの力は、全てその可能性によって成り立っている」
口を挟む余裕を与えたが、黙って聞く姿勢を崩そうとしないマリアに、リックは先を続けることにした。
「わかりますか?、僕たちの力は、認識によって全てが成り立っている、その限界もまた、自己の可能性を信じることによって広がっているんです、だから……、マサラのように、可能性を認めることを恐れれば、それは限界を決めてしまうことになる、そしてそれは、衰退への道を歩むのと同じになります」
「そうね」
ようやく、マリアは口を挟んだ、それは彼に、それを言わせることに意味があったからである。
「『科学』、あるいは『人類』と同じプロセスを踏むことになるのよ、人は感情に支配されている動物だわ、でもそれを制御する理性は恐ろしいほどに脆い、それだけに、時には恐ろしいほど軽く越えてはならないラインを踏み越えてしまう……、これを強く戒めるために、人は道徳を持ち出すわ、マサラは本能的に恐れているのよ、そのラインを越えてしまうのを、だから避けようとしているのじゃなくて?、感情的にならぬように、小さな人間に纏まろうとして、退化しようとしている、『ノーマル』に」
だから。
「病室にこもって、心を爆発させるような言葉を吐き続けているんじゃないの?、溜め込んでしまうと、何をしてしまうからわからなくなるから」
そしてそんな『不安』が、『限界』を越えるきっかけになってしまうかもしれないと思うと。
「まともでは、いられない」
──マサラの容態は、急速に悪化の一途を辿っていた。
「今や、眠ることもなく、あの状態です」
ベッドの上で膝を抱え、頭からシーツを被り、ぶつぶつと呟き続けている。
覗ける顔は憔悴しきっていた、隈が浮かび、頬も痩けている、爪を噛み続けている親指からは、血が流れ出していた。
その痛みにも気付かないほど、疲弊している。
「眠りもしないのかね?」
「はい」
コウゾウの疑問に、リツコは答える。
「夢に見るんだそうです……、自分が、悪魔になる夢を」
「ふむ……」
「ですが、まだ良い方でしょう、ムサシ・リー・ストラスバーグ、彼などはシンジ君に殺される夢を見ているようですから」
ううむとさらに深く唸る。
マサラはあくまで、自分がそうなってしまうことを恐れている、だが、ムサシは違う、シンジの存在を怖がっているのだ。
この差は大きい。
「でも」
リックはさらに穿ったものの見方をしていた。
「問題は、それだけではないんです」
事はさらに重大なのだと訴えた。
「僕たちは……、人間です」
彼はすがるような目を向けた。
「例え、マリアがどう思っていてもね」
「リック……」
妙に雰囲気が甘ったるくなる。
「その証拠に、僕たちは君たちが住む世界の傍らに、こうして身を小さくして寄り集まらなければ、生きていくこともままならない」
その理由は、単純なもので……
「僕たちは、どれだけ君たちにとって驚異となる力を使うことが出来たとしても、それは道具の延長に過ぎないんだよ」
科学によって、この能力は代用できるものが作れるんだと口にする。
「でもね?、僕たちの体は、君たちと同じ作りをしているんだ……、空気を吸って、吐いて、食べ物を食べて、排泄するように出来ている、体を流れているのは赤い血だ」
「そうね……」
「でも……、あれは違う、違うんだよ……、彼はエヴァそのものになった、ならその身はどうなんだろう?、人が作り上げて来た食料生産の恩恵に預からなくても、生きていけるんじゃないんだろうか?、呼吸は?、空気は本当に必要なんだろうか?」
「……」
「エヴァと同じなら、食べ物も、空気も、なにも必要ないはずだ、違うかい?」
「そうね……」
マリアは溜め息交じりに頷いた。
「確かにそうね」
「そうなんだ」
自分で語って、より深刻になる。
「大地の……、この地上にある恵みの全てを必要としない、完全無欠の生体を手に入れた彼は、人間と呼べるのかな?」
「……」
「なら彼は、真に一人でも生きていけることになる……、なら人の姿に戻り、僕ら『人類』と共存する意味や意義なんて、どこにあるんだろう?」
「それが……、マサラの恐怖だというの?」
「一端だよ、マサラの人懐っこさは、人に好かれたいってところから来ているんだ、エヴァを手にして喜んだのも、みんなの人気者になれたからだ……、それが人から嫌悪される理由になるものだったとしたら?」
「それは……、恐れて当然ね」
「そうなんだ」
深く、深く、溜め息を吐く。
「それで、治療の目処は立ったのかね?」
リツコはコウゾウの質問に、いいえとはっきり否定した。
「精神科医に頼り、地道にやる他ありません」
「ナンバーズは?」
「錯乱した彼女は危険です、ナンバーズの力に恐怖心を抱いて暴れますから」
「暴れる?」
「はい、無茶苦茶に『力』を振り回します、適切な治療を施せません」
「ふむ……」
「治療しようとしてくれている力を無作為に増幅します、その結果」
「彼女の体を癒すはずの力も、過度になれば毒でしかなくなる、か」
「はい」
実際、投薬だけでは失調を抑え切れないために、一度はナンバーズを頼ったのだ。
ところが怖がったマサラは、そのナンバーズの力を危険な力に変えてしまった。
マサラは、自分で自分を殺すような真似をしたのだ、無意識に。
「ですが……」
リツコは口にした。
「これは良い宣伝になるのかもしれません、ここは決して聖地でもなければ、養成所でも、そして権力の象徴でもないのだという、宣伝に」
コウゾウはその言葉には、はっきりとした嫌悪の表情を現した。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。