今、一番精神的に不安定になっているのは、リツコだったかもしれない。
 総司令への不信感、副司令への疑念、委員会への嫌悪。
 チルドレンへの不安、エヴァへの恐怖心、そして……
 ──好奇心。
 その時々によって仮面を繕い直し、相手によって態度を変える。
 そんなことばかりしていれば、辛くもなっても当然だった。
「唯一の救いは、あなたがわりと平然としていることだけね」
「はぁ……」
 検診中である。
 アスカを追い出し、リツコはシンジを裸に剥いた、機具によって腕と足から一センチ四方、厚さ五ミリほどの肉片を採取し、シンジの全身像を写真に写し、そして血液のサンプルを取った。
 シンジも当然、最初は恥ずかしがっていたのだが、理由を説明されれば逆らえなかった。
「あなたは自分がどうなったのか、覚えてるのよね?」
「はぁ……」
「わたしは、あなたが自分でその姿に『変わった』のだと思っているわ、どちらが本当の姿ってこともなく、どっちもあなたにとっては『変わらない』姿だと思うから」
 ただ、便不便、あるいは慣れや精神的な問題から、こちらを自分だと思い込んでいるのではないかと解説した。
「だから、イメージによって決定付けられているんじゃないかと思うのよ……、なら、そのイメージがあやふやな部分についてはどうだと思う?、正しく元には戻っていないかもしれない」
 ゲッと驚く。
「それって……」
「そうよ、誰だって、普通は自分のお尻なんて見たことないでしょう?」
 デジカメを持ち上げる。
「『これ』と定期検診や監視カメラなんかから得られるものとを比較すれば、差が見つかるかもしれない……、その場合は」
「場合は?」
 リツコは少しだけ間を空けた、正直に話すべきか悩む素振りを見せる。
 が、結局は明かすことにした、迷った時点で、嘘だと見抜かれると気付いたからだ。
「……あなたは、記憶があやふやになるにつれて、自分の顔さえも元通りに形作れなくなるかもしれない」
「……」
「あるいは、もう、歳を取ることができないかもしれないわね、だって、意識的に歳老いていくなんて器用なこと、普通はできるものじゃないでしょう?」
 シンジの不安げな表情に気付いて、リツコは冗談で取り繕うことにした。
「まあ、あんまり都合よくやれてないようだから、不都合もそんなに簡単には出ないでしょうけど」
「都合?」
「ええ」
 っと、目線をシンジの股間に落とした。
「『雄』としては、大きな生殖器に憧れるものでしょう?」
「へ、へんなとこ見ないでくだ……」
「ちょっとぉ、リツコぉ、いつまで……」
 奇妙な沈黙に包まれた。
「な、な、な……」
「あら、ごめんなさい?、シンジ君、じゃあまた今度ね」
 そそくさと逃げて行く。
「って、リツコさん!」
「なにやってたのよっ、あんたわー!」
 どかぁんと、アスカの『力』が、火を吹いた。




「あたたたた……、力が戻ってなかったら死んでるとこだったよ」
 というわけで、意外なほどにすんなりと、退院許可が下りてしまった。
 それほど元気なら大丈夫だろうというのである。
「でも、軽率だったんじゃない?」
 発令所。
 ミサトはリツコの判断に対して、そう異議を唱えた。
「今やシンジ君の立場は微妙なものなのよ?、簡単に解放しちゃうなんて……」
「じゃあ、あなたならどう考えるの?」
 どうしてこの二人はこうなのだろうかと、マヤと、マコトと、シゲルの三人は、首をすくめて堪えていた。
 先日の大喧嘩を引きずってぴりぴりとしている、要するに、相手のすることなすこと気に食わないのだ、言動、その全てにちゃちゃを入れたいのだとわかってしまう。
「『今や』、シンジ君を物理的に排除することは不可能なのよ?、拘束することは可能でもね」
「拘束ってのはわかるわ」
 法や、理屈、そして『人質』を用意すれば、シンジは素直に従うだろう、しかし。
「排除ってのはなんなのよ?」
「言葉通りよ」
「だからどういう意味なのよ」
 互いに、少しイラッとしたものを垣間見せた。
「わからないの?」
 リツコは認識の甘さを指摘した。
「シンジ君の肉体は、人に見える形状に形態を保っているだけなのよ?、人間は息をするものだ、人間は食べるものだ、人間は排泄をするものだ……、切られれば血を流すし、痛みを感じるものだ、そんな常識にシンジ君は囚われているわ、でも現実には違う」
「どうだってのよ……」
「シンジ君から採取した肉片ね、DNA鑑定にかける必要もなく、人のものではないとわかったわ」
「なんですって?」
「人とはね、組成からして違ったのよ……、だから採取して十数分後には、もう組織崩壊が始まってしまったわ」
 その上。
「後には欠けらも残らなかった」
「……」
「今、シンジ君を構成している物質は、『魂の核』から発せられるATフィールドの圏内においてのみ、その形状を保っていられるのよ、違うわね、魂の核が擬似的な形態形成を行うために、ATフィールドと言う絶対領域を設定しているのよ」
「それじゃあ……」
「そう、シンジ君を殺すには、毒も、武器も、意味を成さないのよ、唯一の方法は、その精神を殺すことのみ」
 だからかとミサトは納得した。
 死にたい、シンジがそう考えてしまえば、全ては終わってしまうのだ。
「余りにも強い、そして余りにも脆い生物になってしまったのよ、シンジ君はね」
 人間は精神を病んだからと言って死にはしない、復活の可能性もあるのだ。
 しかしシンジに限っては、その可能性を試すことはできない。
「昔……、レイについて話したことがあったけど」
 ぽつりともらす。
「レイは……、あらゆる症例についてのサンプルでもあるって、世界初のナンバーズである彼女は、でも、今は、多くのナンバーズの存在によってかすれてしまった」
 何が言いたいのよとミサト。
「今度は、シンジ君が、実験と観察をされる立場になったって言うの?」
「それもある……、けど、最初に話していたこと、忘れたの?」
「……」
「もし、入院が長引けば?、皆拘束してるんだって勘繰り始めるわ、そうなれば、チルドレン全体に不信感が蔓延するのよ、シンジ君は野放しにする他ないの」
「それが、野獣を野に放つ行為だとしても?」
「檻に入れて……、いえ、違うわね、金庫に入れていれば、他の組織はどう感じるか考えてみたの?、シンジ君を、彼の価値を」
 ミサトは露骨に顔をしかめた。
 確かに、重要過ぎると宣伝しているようなものだと気付いたからだ。
「レイと同じよ……、あまり重要視しないことで、彼があまり特別ではないのだとアピールするしかないの」
「そんなことしか、あたしたちにはできないって言うのね?」
「その通りよ」
 そして付け加える。
「皆に疎外される存在になってしまったと、決してシンジ君に悲観させないこと、それがどれほど重要なことなのか、あなたにも後々わかることになるわ」


 ──そんな具合に、リツコがミサトに語っている頃、一連の報告書の作成を終えたゲンドウが、コウゾウから愚痴を聞かされ、へばっていた。
「そろそろ限界ではないのか?」
「なにをいう……」
「騙し騙し、リツコ君を使うにも限度があるぞ、彼女も人間だ、現状の不満には行動を起こしかねん」
 ふんと鼻先でせせら笑った。
「彼女になにができる」
「忘れたのか?、MAGIは彼女の手の内にある」
「だが表立った行動はできん」
「何故そう思う?」
「簡単なことだ、行動の正当性を唱えるためには、俺の罪を暴かねばならん、その時には、シンジはどうなる?、敵か?、悪魔か?、あるいは憐れな被害者か?、巻き添えは免れん」
「碇……」
 お前まさかと口中で唸る。
「同情するように仕向けて来たというのか?」
「ご想像にお任せしますよ」
 コウゾウは焦るなと自分を叱った、これはこいつのいつもの手だと。
 現状を結果として、さも自分にとって都合の良い事態が展開しているように語り、そう誘導して来たのかと、まさかと疑わせる。
 全ては、シナリオ通りなのではないかと。
(それほど万能な男ではない)
 リツコとミサトが喧嘩をした時の様子を思い出し、精神的な余裕を取り戻しつつあるのだろうと推測する。
 決して、万能な男ではないのだ、だが、事が有利に進んでいるのも、また事実ではある。
 赤木リツコは、決してシンジを見捨てない、見捨てるには既に情が移り過ぎている。
 そして……、この男の、子であるが故に負わされた運命に同情し過ぎている。
 入れ込んでいる。
「まったく……」
 コウゾウはそう吐き捨てた。
「まあ、ドイツに対する牽制にはなるわけだが」
 元々は、その焦りから急いだことであったはずだと思い出す。
「ロンギヌスの槍は?」
「あれはレイに任せた」
「他に適役は居ないか」
「ああ」
 ──ロンギヌスの槍。
 暗闇の中、綾波レイは、赤黒い槍を持っていた。
 素裸のまま、あの筒の中で、まだ眠っている、体を丸めるように、溶液に浸って。
 そしてそのかいなには、赤黒い槍が抱かれていた。
 まるで、赤子のように、息づいて。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。