──どうしたんだろう、俺は……
 その時、彼は舌なめずりをして、獲物となるはずの少女の後を追っていたはずだった。
 段々と寂れた方角へと歩いて行く、近道なのだろうか?、それさえも逸る気持ちから、好都合だと感じただけだった。
 角を曲がった、慌てずに同じように道を曲がって……
 ──そうか、刺されたんだ。
 腹部に感じている鈍痛から、ようやく我が身に起こった事態を認識する。
「あ?」
 我ながら間抜けな声を吐いたものだと思い出す、その次の瞬間には固いアスファルトに頭を打ちつけたのだ、だから頭痛が酷いのだろう。
(けど……)
 全神経が、あり得ないと叫んでいた。
 殴られたのならわかる、けれど感覚は刺されたのだと報告して来る。
 ろくでもない場所で育って来たから、人というものが刺された時、どのような反応を示すのか?、知り過ぎるほど熟知していた。
 ──自分でも刺したことは何度でもあるから。
 まず、自分になにが起こったのかを訝しがるのだ、そして腹の怪我に気がつく。
(あり得ねぇ……)
 そう、あり得なかった、こんな、刺した瞬間に崩れ落ちさせるようなやり方があるなど、あり得なかった。
 頭を殴打されたわけではないのだ。
 ──だが、実際に自分はそうなっている。
 意識が遠のいて行く、おかげで相手が誰なのか、確かめることもできなかった。
 ただ、足……
(ちくしょう……)
 ぼやけた視界に、靴と靴下と足が映った、それは。
(馬鹿野郎……)
 獲物だと思っていた女が穿いていたものと、全く同じ色と柄をしていた。





「レイノルズ!?」
 リックとシンジたちとでは、大きく驚きの意味合いが違っていた。
「なによあれ!?」
「怪物!?」
 ざんばらに長い髪の下には、背骨の尖りが転々と盛り上がっていた、腰から先にはちょんと尖った尻尾が生えている。
 腕と足は長く伸び、その分だけ細くなっていた、体色は茶色みが増して硬さを表現している。
 背中には肩甲骨を長く伸ばし、広げて、昆虫の甲羅のような形状を形成していた、その下からは勢いよくエアーが噴出され、彼の体を浮かせていた。
 吸気口は、どうやらあばら骨の辺りに生まれている『えら』のようだ。
 大気の歪みが、透明な羽根のようにも見えてしまった、そしてもっとも特徴があるのは、その顔だった。
 面の皮をどこに失ったのか、剥げている、そして前後に割れた頭骨の前半分が、外れるように飛び出していた。
 目の奥には赤い光がちらついている、上顎が張り出して下顎を隠している。
 ──その作りは、どこか使徒の仮面を思わせた。
「あんた!」
 アスカはリックに対して喚き散らした。
「あいつのこと知ってるの!?」
「あ、ああ……」
 リックは茫然自失の体で、言われるままに頷いていた。
「レイノルズはゴリアテの仲間で」
「ゴリアテって誰よ!」
「ナンバーズだよ」
「シンジ!?」
 シンジはいつの間にか、二人を庇うように前に出ていた。
「この間会いに来たんだ、リックさんと、マサラさんと、ゴリアテさんでね」
 アスカは酷く剣呑な表情を見せた、嫌な組み合わせに思えたからだ。
 先日廃人同様に壊れてしまったマサラと、あからさまに胡散臭いリックと、こんな化け物の仲間だというゴリアテ。
 それがなんのつもりで、シンジに挨拶になど行ったのか?
「レイノルズ!」
 空中静止していたレイノルズは、レイの姿を確認すると突進した。
 ──ガァアアアア!
 完全に正気を失っている。
 いや、怒りに我を忘れていた。
「レイ!」
「きゃあ!」
 アスカに抱きつかれてレイは悲鳴を上げた。
「くっ」
 リックが力を発動させようとした、その寸前に。
「やめてよ!」
 シンジの叫びが、空間を硬直させた。


 ──きゃあ!
 レイの悲鳴は、ゲートに詰め掛けていた者たちの気を引いてしまった。
「おい……」
 誰かが指差す。
「なんだよあれ」
「使徒だ!」
 その発想は仕方のないことだったのかもしれなかった、中途半端に『覗き見』による情報ばかりを与えられて来た彼らには、本物と似ているだけのものとの区別を付けることなどできなかった。
 青い空に浮かぶ彼の姿は、異形過ぎた。
「ほ、本部!、こちら正面ゲート!」
 警備員の決断は素早いものだった、ゲートの解放を命じて、子供たちに避難するよう指示する。
 ──レイノルズは決して、好きで空中に留まっているわけではなかった。
「やめてよ!」
 レイノルズが身動きをする度に、キィンと聞き慣れた音が辺りに響く。
(ATフィールド!?)
 懸命に皆に襲いかかろうとしているのだろう、だが見えない抵抗を受けて、体の皮を後方へと引っ張られる感じになっている、それでも前に進もうとするのだから、レイノルズの怒りも凄まじかった。
「凄い……」
 アスカはシンジの力に恐れおののいた。
(まるで、エヴァじゃない……)
 それも、シンジはまるで当然のことのように認識して、操っているのだ。
 今の力を。
 アスカとレイは、それぞれにシンジに惹き付けられていたが、リックだけは後ずさろうとしていた。
(なんだ、これは……)
 空気が、気配が。
 空間が支配されていると感じられた。
 シンジを中心に、何かの領域が発生している、そしてこの限定された空間の中は、濃密な何かによって満たされていた。
(世界が……、歪む、狂ってる)
 錯覚などではあり得ない、景色がどこか黄色がかって見えるのだ。
 光の加減などではなく、ましてや目の焼きつきなどでもなく、金色の光が溢れている証拠だった。
 鳥肌が立つ。
「なんなんだよ、いきなり!」
 シンジは『普通』に怒鳴り付けた。
「いきなりなにするんだよ!」
 力が激流となって渦を巻く、レイノルズを捕まえて持ち上げ、路面に強く叩きつけた。
 ──ゴキン!
 レイノルズではなく、路面が割れる。
『ぐ……』
 痛みにか、レイノルズに正気が戻ったように感じられた、上顎が割れる、それも左右に。
 するとその下には、もう一つ顎が存在していた、カタカタと動いて、噛み合わせを直す。
 べろんと長い舌が出て、口の回りを一通り舐め、濡らしてから、レイノルズは言葉を発した。
『ゴロズ……』
 濁音、声は濁っていた。
『オマエラ……』
「なんで……」
 この時になって、ようやくアスカもレイも異常を感じた。
「シンジクン?」
「なんで?」
 同時に口にしてしまい、二人は顔を見合わせた。
 同じ疑問を抱いたのだと一瞬で悟る。
 ──怖くないの?
 自分たちもまた、人からすれば異常な存在ではあろうが、それでもまだ人の姿を保っている。
 同じ言葉を話し、気持ちを交わすことができる以上、人間でないとは言われたくない。
 だが全く知らない赤の他人が、同じ人間とは思えない姿で現れ、まともに言葉が通じないとなれば、それを同じ人間だとして認めることなどできるだろうか?
 どうして恐怖の対象に成りえないだろう?
 なのにシンジは、極普通に戸惑っている。
 理由がわからないと。
 どうして怒っているのかと。
 何故と理由を知りたがっている、少しも存在自体には疑問を抱かず。
 アスカはそんなシンジの神経に疑念を抱いたが、レイはアスカとは違う面において、不安な心境に陥っていた。
 ──いいか、レイ。
 その時のゲンドウが見せてくれた顔は、見慣れた保護者の顔でも、ネルフの統率者の顔でもなくて、一人の父親としての顔だった。
『お前に全てを任せる』
『でも……』
『シンジの中には二人のシンジが居る』
『……』
『だが人は誰でも己の心に両の面を持っているものだ、それは背中合せであるからこそ表の人格は裏の感情を、裏の心情は表の外面を否定する、だが、それではいけない、わかるな?、レイ』
 はいとレイは答えていた、人には良い心も悪い心もある、実際にはもっと複雑に入り交じっているのだ、それが奇妙に釣り合いを保って心になる。
 嫌悪しながらも、調和を求めて、だが……
 ──エヴァの発現形状は、人格と認識が源であるのだ。
(シンジ君は気付いてる、自分にどんな力があるのか認識してる)
 だが、普段のシンジはそのことをわかっていない、なら、わかっているはずのシンジは、一体どこに居るのだろうか?
(自分が何を欲してるのか、本当に欲しいもの、手に入れたいもの、欲望の全てを苦労することなく満たせるようになってるって知ってるシンジクンが、どこかに居るはずなのに)
 普段は、見えない。
 レイの赤い目には、雄々しく立つシンジの姿に、もう一人、自分の顔を両手で覆い、爪を立て、外に出ようとしている『感情』という名の化け物を、必死に押さえつけているシンジの姿が重なって見えていた。
 ──エヴァと言う名の無垢なるものが、シンジの感情を食らって独立しようとしている。
 レイの目には、そう見えていた。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。