シンジは冷めた目をしてレイノルズを見つめていた。
 本当に自分の変化について理解しているのか?、甚だ怪しい雰囲気だった。
「退避ぃ!」
 金切り声が上げられる。
「セカンドを誰か運べ!」
「わたしが!」
「医療班急げ!」
 ちらりとアスカに横目をくれる。
 そのアスカを救おうとしているナンバーズたちは、知らずにATフィールドを展開していた。
 自覚無しに、シンジは彼らの補助に務めていた、無意識に振るっている、そんな雰囲気を身に纏っていた。
 そんなシンジだ、誰の目にも危ないと写り、逃げろと叫びたくなっていた、しかし実際にそれが出来た人間は居なかった。
「使徒だ……」
 誰かが呆然と呟いた。
 ──レイノルズに対して。
「ア゛、ア゛?」
 レイノルズだったものがぐしゃりと崩れた、ついでぶくぶくと泡立ち弾ける。
 弾けた部分からは腐臭のする肉汁が垂れ流れ、さらに図体を増そうとした。
 どんどんと巨大化して行く。
 シンジが治めている領域を侵食し、犯し、埋めてしまおうとする。
 ナンバーズ、チルドレン、大人たち、誰もが足が竦んで動けなくなった。
 膨らむ泡の表面に、何かの姿が映し出される。
 それは親の顔であり、隣人の顔であり、あるいは自分たちのことを気味の悪い連中だからと追い回した良識のある正義の味方であり、またはイラストで見た怪物だった。
 ──恐怖の残照。
 人が潜在的に孕んでいる敵の姿。
 怯え、妬み、嫌い、避けて来たものが現出して行く。
 形となって、オブジェとなる。
「こ、こんな……」
 後ずさったのはリックだった。
「こんなことが」
 ──高笑いがこだまする。
「もっとだ!、もっと、もっと俺を恐れろぉおおおおお!」
 ギャハハハハと下品な音がビルを震わせた、二三のビルが本当に傾く、レイノルズであった巨大な黒いスライムに足元を飲み込まれ、溶かされたのだ。
 幅にして百メートルを肥え、高さにしても五メートルを超える、それでも増殖は収まらない。
 シンジたちにとっては、津波同然の迫力を持った『汚物』だった。
「……」
 そんなものを、果たして人だとして認識できるものだろうか?
「人が……、使徒になるって言うの?」
 呆然と呟いたミサトの言葉に声を発したのはリツコであった。
「いいえ、人は元から使徒だったわ、そうではありませんか?、碇司令!」
 リツコの剣幕に引きずられてか、皆は視線を向けてしまった。
「リツコ?」
 怪訝そうにするミサトであるが、リツコは気にせず、睨み続ける。
 そしてゲンドウは手の影に隠してフッと笑った。
「そうだ」
「おい、碇……」
「人は使徒の名残に過ぎない、遠い昔、戦いの果てに残された使徒に知性が芽生え、繁殖し、進化し、そして我々の祖先となった」
 ゲンドウが認めたのは既にその事実は公にされているものだったからに過ぎない。
 裏死海文書の解析によって。
 だがあえてゲンドウはこのタイミングで、重大な事実を暴露した。
「だかこそ、セカンドインパクトは起こったのだからな」
 ギシリと奇妙に空気が軋んだ。
「どういうことですか」
 最初に唸りをあげたのはミサトだった。
「どういうことなんですか!」
 ゲンドウは冷めた目をして苛立つ視線を受け止めた。
「地球温暖化が全ての引き金だった」
 セカンドインパクトによってうやむやとなってしまった、かつての重大事を持ち上げる。
「温暖化により南極の永久凍土が溶け始めたことは今更だが、そのために地下で休眠状態にあった『白き月』に知られてしまったのだよ、地表には使徒の名残を持ったものが徘徊しているのだとな」
 ゲンドウはミサトやリツコを通して、この場の全員にと語り掛けた。
「月は地上に生物の存在を確認した、そのために活動を再開しようとしたのだが、思った以上の『侵攻』の速さに月は過敏に反応した」
「侵攻?」
「何者かが侵入して来る、それも使徒の反応を持った者が」
 ミサトはぼそりと呟いた。
「葛城調査隊……」
「そうだ」
 一層騒々しくどよめきが上げられた。
 皆の視線が能面のように無表情になっているミサトの横顔へと向けられる。
「地上にキャンプを張り、基地を建設し、本格的に調査に入った研究者たちに対して、月は太古の戦争の記憶を引きずる反応を示した、すなわち、第一の使徒だ」
 ミサトの脳裏に、長大な四本の光の柱の記憶が過った。
 南極の海で漂流しながら見たあの光景が。
「第一の使徒は地上の全ての生物を吹き飛ばせるエネルギーを秘めていた、それは物理的にも、『霊的』にも影響するものだった、肉体が滅ぼうとも人には魂がある、魂さえ無事なら微生物からやり直すことも可能だっただろうが、使徒の自爆攻撃はそれすらも許さぬものだった」
 一瞬だけゲンドウの目が揺らぎを見せた。
「我々が今ここにこうしていられるのは、調査団の人間が、使徒のエネルギーの解放に干渉し、僅かにそのベクトルをねじ曲げてくれたおかげだ、でなければセカンドインパクトでは収まらず、地上の全ての命が払拭されていた」
「白き月は……」
「消失した、それこそが『干渉』の正体だ」
 ミサトはくっと歯噛みした。
 父さんと呻く。
「つまり」
 リツコが後を引き継いだ。
「彼らは何十億の命を犠牲にしてでも、全滅を避けようとしたと?」
「そうだ」
「何故今まで」
「公表してどうなる?」
 ゲンドウの言葉は冷たかった。
「世界規模での巨大な余震が何年も続いた、黒き月の存在が明らかになったのは、その地震波がこの地で奇妙な喪失を見せたからだった」
「喪失?」
「そうだ、ある日、突然にこの地からは地震波が観測されなくなってしまった、あるポイントで途切れてしまう、この奇妙さから観測と実験を行って、達した結論がここにはまるで球体が沈んで生まれたような空洞が発生しているというものだった、ジオフロントのことだ」
 息を呑まされる。
「当然のごとく、調査をと日本政府はいきり立った、結果は言うまでも無かろう、南極のくり返しだ」
「ですがここは無事です!」
「そうだ、我々……、『ゲヒルン』の母体となった研究者たちによって、『第二使徒』の封印には成功したのだからな」
「第二……」
 ひょっとしてと、勘でミサトが口を挟んだ。
「リリス?」
 そうなのかと勝手に思い込む。
「だからあんなに中途半端に?、おかしな位置で眠りに!?」
「全てを公開したとしてどうなる?、日本からは人が逃げ出し、無人の地となっていただろう、そして恐怖心から日本と言う島を消し飛ばすほどの攻撃が行われていただろう、その結果、埋もれ、眠っていた使徒は目覚め」
 ──ゾッとする。
 使徒に通常炸薬や貫通弾による攻撃は通じないのだ、例え日本の形を変えてしまうほどの爆薬を投下したとしても、殲滅はできない。
「当然、チルドレンの発掘も、ナンバーズの発現もあり得ず、そしてエヴァの開発すらも無かった」
「全てが……、計画の内に行われて来た結果だと言うのですか」
「問題無く、ここまでは予定通りだ」
「この有り様もですか!」
 その通りだとゲンドウは認める。
 あまりのことに顔を真っ赤に膨らませて怒鳴り付けようとミサトの肩を、リツコはぐっと掴んで押しのけ、訊ねた。
「命令は?」
 誰もが唖然とした、リツコの意図を計りかねて。
「リツコ……、あんたなに言ってんのよ!」
「殲滅では、ないのですね?」
「そうだ」
 リツコはミサトへと振り返った。
「聞いての通りよ」
「あんた!」
「司令は、『彼』を殺せとは言っていないわ、助けろと言っているのよ」
 その言い方に困惑する。
「え……」
「誰かが描いた筋書きだろうけど、それは司令が描いた物なの?」
「あ……」
 そうかと勘違いに気がつく。
 あまりにもゲンドウが平然と語るものだから、首謀者のように思ってしまったが、そうではないのだ。
「さあ!、仕事をして!」
「え、ええ……」
 くくくとくぐもった笑い声が耳に触って、ゲンドウは恨めしげにコウゾウを見やった。
「なんだ?」
「いや、理解者が居るというのは有り難いことだな」
「ふん……」
「なにもそう、敵役になろうとすることはあるまい、実際お前が緩衝材となることで、剣呑な計画の幾つかが穏便な案で済まされている」
「だが敵は必要だ」
「そうだな……」
 もちろん、その考えにはリツコも気がついていた。
(一つの星に二種の知性体が存在することはできないわ、感性の違いから来る意識の差は、決して埋められるようなものではないもの)
 同じ人同士でさえ、どうして肉を食わないのか、どうして肉を食べてはいけないのかという言い合いになる。
 これが違う生物となった場合、どうして生き物を殺すのか、どうしてただ寝ているだけなのかと言う、不毛な論争が起きかねないのだ。
(そんな二者がわだかまりなく理解り合うためには、共通の目的意識が必要になる)
 ──すなわち、『敵』、だ。
(もしかすると……)
 リツコはゲンドウの意図に近づいているのではないかと確信しそうになっていた。
(シンジ君は、敵?)
 少なくともゲンドウやセカンドインパクトの真相を伏せていた者たちではだめなはずだと想像する。
 そのような役割を担わせたとしても『人類の敵』で終わってしまう、役不足なのだ。
 小手先の策謀や思想を超越した絶対の存在、それこそが皆の恐怖心を煽るのだから。
 ──レミングのような、滅亡に向かう暴走。
 誰かが走り出せば、狂気に取り付かれてみな走るのかもしれない、その果てにあるのが断崖絶壁であろうとも、皆の気持ちは一つになる。
 ──そしてまかり間違って、助かる方法を誰かが見付けた時、どうなるだろうか?
 敵も味方もなく、我に返った彼らは落ち着きを取り戻して、互いに笑い合うだろう、それこそが司令のもくろみではないのかと勘繰ってしまう。
 絶壁とはシンジのことであり、レミングとは自分たちのことで……、しかし。
(本当にそんなことのために?)
 リツコはもう少しで正解だと思える場所に到達しかけて、自説の穴に気がついた。
 ゲンドウは甘いし、優し過ぎる面がある。
 もちろん世間一般のものとは比較できない、外面に比べてという話になるのだが、それでも完全な冷血漢ではないのだ。
 ならば、そこまで救いのない役割を、実の息子に託すだろうか?
(わからない……)
 それでも、事態は進展していく。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。