「うわぁあああああ!」
 シンジは頭を抱えて逃げ惑った、直上の窓ガラスが割れて降って来る、斜めに弾痕がいくつも穿たれる、その銃弾は屋内に留まることなく衝撃波を伴って反対側を突き破り空に消えた。
 重量を支えていた柱や外壁を失って、ビルが真下に倒壊を始める。
 轟音と白煙を吹き散らしながら、傾ぐように崩れていく。
 しかしその崩落は零号機のマサラの狙ったものなどではなかった。
『なに、こいつ!、邪魔して!』
 トリガーを引いたまま振り回していたために、ライフルの残弾はあっという間に尽きてしまった。
『ちっ』
 放り捨てて、なんとか歩いて抜け出そうとする、しかしくるぶしまでを捕えている黒い粘着質の液状物体は、しつこく張り付いて剥がれなかった。
 細波が立つ。
 細かに振動し、表面に奇妙な模様が浮かび上がった、おうとつが人の顔を形作る。
 それは虚ろな目をしたレイノルズの顔だった。


「ナンバーズは集まって!」
 少し考えれば本部に逃げ込むことなど、追い詰められるのを承知で選択してしまったようなものだったのだが、どういう心理が働いているのか、誰も彼もがそのことに対して疑問を抱かずに居た。
 そしてもはや、ATフィールドを使用できることに、疑いを持つ者も居ない。
 その原因を今は考える必要が無いからだ。
「『それ』の流れを向こうの通路に、塞き止めて!」
 ATフィールドで壁を作り、吸排気口からだらだらと流れ込んで来る黒い汚物を、避難経路から外れるようにATフィールドで塞き止める。
 さらにはパネルを操作して、隔壁を下ろし、間に合わせる。
 救護班の中には洞木ヒカリの姿もあった、アスカの変わり果てた姿に血の気を失い、どうしたものかと手をだしあぐねている。
「治療は?」
「それが……」
 治癒能力者は効果が出ないのだと告げた。
「まるで効いてないわけじゃないんだけど、どれだけ強くしてもだめなのよ」
「そう……」
 どういうことなのかと迷いを見せる。
 ヒカリは自分でも確かめてみようと手を伸ばした。
 静電気に似た刺激が走る。
 ──ヒカリ!
 ヒカリはビクンと手を引いた。
「え?」
(やっと『チャンネル』が繋がった!)
「アスカなの?」
 頭の中に聞こえて来る声に、ヒカリは頭の左側を手で押さえた。
(ATフィールドを介した共振通話っていうよりテレパシーよ)
「アスカ、あなた、今ね」
(わかってる)
 ふんふんと一人頷くヒカリに対して、みな気味が悪いと目を向けた。
 しかしヒカリには、そんな周囲の視線にかまっている暇は無かった。
「じゃあ、効きが悪いのは」
(痛みを堪えるためにやってることよ、だから今から制御を解くから、治療して)
「堪えられるの?」
(堪えてみせる、でないとシンジが)
 ゴズンと大きな震動が発生し、堅固なはずの隔壁が、奇妙な具合に歪み始めた。


「なんだよこれ!?」
 余りの熱気に腕で顔を庇う、だが現実にはシンジの周囲は溶けていた。
 灼熱に焦がされ、ぼこりと泡立って揮発する。
 辺り一面が赤い色に変貌していた、道も、壁を成すビルも、全てが赤く蕩けていた。
 その色が目に痛い。
 熱気が立てるかげろうの向こうに、レイノルズだった者が喘いでいた、誕生した時と同様に、天に向かって溢れ、弾け、その度に新たな顔を産んでいる、だがどの表情も苦しんでいた。
 その首を両手で掴んだのは零号機だった、しぼるように締め上げる。
「アスカの炎!?」
 零号機は背に炎の翼を展開していた、煽られた建物が飴のように蕩けてどろりと崩れた、折り重なるようにいくつもの建物と混ざり合う。
 ──バジャ!
 零号機はついにレイノルズをくびり殺した、骨があったようには見えなかったのだが、締め上げる強さが一定の点を越えたところで、汚物はついにがくんと崩れ落ちた。
 ただの水になって弾けた。
「うわ!」
 ボンと周囲で爆発が起こった、ばら撒かれた水が立てたものだった。
 蒸気が小さな爆発を次々と生む。
「あれを見ろ」
 本通りから吹き込んで来た熱波に対して、何事かと急いだレイが見たものは、灼熱の地獄の中で黒々と浮かび上がる零号機と、それを傍で見上げているシンジの姿だった。
「あれが人間か?」
 レイは唇を噛み締めた。
 一応熱に驚いてはいる、しかし、足はその溶岩流に浸されているのだ。
 炭化することも無く、堪えている、裾は燃え落ちていると言うのに、平然としている。
 良く見れば足は肉の弛みがなくなっていた、まるでエヴァの足のように筋立ち細くなっている。
「ここからが見物だ」
 レイはキッと睨み付けた。
「どういうこと!」
「わたしが仕掛けた、この茶番を、いや……、『俺』はあくまでレイノルズで確かめるつもりだった」
 レイははたと気がついた。
「あなたが!、殺したの?、彼を!」
 ゴリアテは答えとして槍でブンと空気を裂いた。
「ロンギヌスの槍から発せられる波長は、一時的に精神と肉体のシンクロを掻き乱す性質がある」
「でも、どうして!」
「心の『波動』がエヴァの発現に関るのなら、狂気を解放してやれば良い」
「答えになってない!」
 ふむとゴリアテは納得した。
「マサラは怖がっていた、彼のようになるのを、人ではなくなるのを」
「シンジクンは人よ!」
「それでは話が進まない」
 ではとさらに遠回りな道を『彼』は選んだ。
「法律の存在意義をどう見る」
「そんなの今は関係無いでしょ!」
「……法律は守らなければならない、何故?、それが常識だから、何故?、固定概念とはそういうものだよ、でも少し考えてみればわかる、法律を守ったとしても自分は得をしない、他人に得をさせるだけだ、欲望のままに行動して何故いけない?、理由は簡単なところにある」
 制服は……、彼と言える精神を持った彼女は続けた。
「制服の着用義務は何故にある?、わからないか?、着ている人間は『一目』でルールを守る存在だとわかる、同じ精神構造、常識を持っている人間だと計ることができる」
 渋々レイは付き合った。
「法律を守ることは、自分は安全な人間だという宣言の代わりになるってこと?」
「その通りだ、『見た目』で安全だと宣言することができれば、独りぼっちにはされないだろう?、皆安心して隣に並んでくれるだろう、傍に近づいて来てくれるはずだ、君はナイフをちらつかせている相手を無条件に信用できるか?、だが刃物を持ち歩いてはいけないと言うルールを守っている人間ならどうだ?、信用はできなくてもことさら遠ざけようとは思わないはずだ」
「それが……」
「法律や規則を守っている人間ほど、危険の少ない存在は無い、逆に守らない人間には、なにをされるかわからない恐ろしさがある、それを先入観だとして君は付き合おうと思えるか?」
「それが!?」
「マサラは怖がった、人でなくなることを、『人の衣』を失うことを」
 レイの中で何かが急速に繋がった。
「あ……」
 わかったかとゴリアテは頷いた。
「そうだ、俺たちが受け入れられているのは、法や規則を守る人の衣を纏っている存在だからだ、それでも中身は化け物ではないのかと恐れられていたと言うのに、『彼』はその不安を煽ってくれた」
 がくがくとレイは震えた。
(あたしは、人の姿をして、人の言葉を話してたから、でも)
 第三眼を開いた時はどうだっただろうか?
 明らかに人でないという姿を見せてしまって、それでも人は傍に寄って来てくれただろうか?
 敬遠されはしなかっただろうか?
「だからレイノルズの力を解放することにした、確かめるために」
「確かめる?」
「そうだ、人はどこまで人で居られるのか、確かめるために」
「だったら」
 レイは唸った。
「だったら自分たちだけでやれば良いじゃない!、どうしてシンジクンを狙うの!」
「それが運命だから、それで納得して欲しい」
 声がまた少女の発音に変化した。
「どうあっても、彼を巻き込まずには動けない」
 槍を構える、レイも受けて立つ様子を見せた。
(そうだ、そうよ、そうよね!)
 レイは迷いを振り払った。
 ゴリアテの論理には、重大な点が欠けていたから。
 レイ自身が経験した、とても重要な要素が欠けていたから。
(それでもシンジ君はあたしを避けたりしなかった!)
 まだなんの力も持っていなかったシンジだったのに。
 この容姿にも、この力にも、生まれにすらも嫌悪の感情を抱かずに居てくれた。
 それを裏切ることはできないのだと、レイは槍を繰り出した。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。