『くっそぉ』
 ATフィールドを全開にして、シンジは強固な壁を展開した。
 そしてレイに呼び掛ける。
『レイ!』
 レイはびくんと反応を示した。
 膨らんだ髪が普段は隠れている耳を顕にする。
「シンジクン?」
『乗って!』
「乗ってって、え?」
『乗ってよ!、そこに居られると戦えないんだ!』
 レイは顔を上げて理解した。
(シンジクンに乗れって言うの?)
 それは思ってもいなかった展開だった。
 肩越しに見える目。
 それが自分を望んでいる。
「うん」
 レイは頬を染めて思い切った。
 シンジが自分を待っている。
 そのことが軽く心を高揚させた。
「させるか!」
 槍を振り上げ、斬りかかる。
「邪魔をしないで!」
 第三眼が開かれる。
 光の玉にまだら状に白が流れる、そこに見えた光景をなぞって、レイは槍を繰り出した。
「ふっ!」
 短く息を吐いて、ゴリアテは苦悶の表情を浮かべた。
 今までのように突いて来ると思ったのが誤算だった、懐に入ったレイの肘打ちに合い、息を詰まらせる。
「シンジクン!」
 力を込めた槍を地面に叩きつける。
 反動がレイの体を高く跳ね上げた。
 シンジが僅かに首を前に倒す。
 そこに開かれた穴の中に、レイは迷うことなく飛び込んだ。


「くっ」
 マサラは焦りと苛立ちから、無意味にレバーを前後に引いた。
「なによこいつ、ポンコツじゃないの?」
 幾ら増幅をかけてみても、目の前の怪物には通じない。
 力の差が圧倒的過ぎた。
 ──もうやめるんだ!
「うるさい!」
 ──こんなことして、なんになるんだよ!
「うるさいうるさいうるさい!」
 ばたばたとかぶりを振って、髪を乱す。
「あんたなんか居ちゃいけないだ!」
 さらに酷いことを言う。
「あんたなんて生まれて来ちゃいけなかったんだ!」
 血走った目をマサラは向けた。


(なんで、なんで、なんで!)
 そしてもう一人。
 焦燥に駆られている少女が居た、アスカである。
「さあ、もう終わりにしましょう?」
 コダマは優しく口にした。
「あなたはここに来ちゃいけなかったのよ」
「なんで……」
 ──悔しい。
「だって」
 ──喚きたいのに。
「あなたの未来って、どこにあるの?」
 悪魔が二人を押し潰す。


「アスカ!」
 心配する対象が多過ぎて、ミサトは集中力を失っていた。
 レイノルズだったものは、さらなる形態へと変化していた。
 言うなれば一片の肉片である、ナイフで皮ごと切り落としたような物体、黒い皮の下にはピンク色の肉が見え、無数の繊毛が蠢いていた。
「使徒……、人間、シンジ君、レイ」
「リツコしっかりして!」
「そう……、そうなのね」
 リツコは確信を持ってミサトに告げた。
「まずいわ」
「そんなことはわかって……」
「違う、そんなレベルの話じゃない」
 リツコは皆が忘れていたことを指摘した。
「思い出して、月はなにを求めているの?、わたしたちは何故月の中枢に向かわなければならないの?」
「それは……」
「そう、さっき司令から聞いた通りよ、まるで自滅因子が組み込まれているように、それがわかっていてもなお、わたしたちは月の中央に向かおうとする」
「……」
「それはかつて、わたしたちの祖である『レイシリーズ』が、使徒を駆って月の中枢を目指すように仕組まれていたプログラムが、本能の中に刻まれたままになっているからかもしれない」
 はっと気付く。
「じゃあ、あいつは!」
「ええ」
 深刻な表情をしてリツコは頷いた。
「使徒化した人間は、本能の命ずるままに、月の中枢を目指すのかもしれない、あれは高い場所から低い場所へと、ただ流れ込んだだけじゃなかったのよ」
 ミサトはまずいと焦りを浮かべた。
 下手な使徒の接触は、サードインパクトを引き起こしかねないからである。
「ここに来てチルドレンの危険性を認識させられることになるなんて」
「アスカの無事を祈りましょう、他に使える子は居ないんだから」
「ええ……」


『だって、そうじゃない?、あなたはなにを望むの?、望んでいるの?』
『……』
『そう、あなたは人として立派だと褒められる自分になることを望んで来たんでしょ?』
 アスカは何かを叫んだ、いや、喚いたつもりだった。
 ──言うなと。
 気付かせないでと。
 事実を口にしないでと。
 だがそんな憐れなあがきは、彼女に冷笑を浮かべさせただけだった。


 ──あなたは、何がしたいの?


 アスカは身が軋むのを感じた。


 ──だって、シンジ君は人でなくなっていくわ、嫌われていく、恐れられていく。


 心が酷く悲鳴を上げる。


 ──そんな人の傍に居れば、あなたはどんな目で見られることになるのか、わかっているの?


 誰もが嫌悪の目を向けるだろう。


 ──あなたは、それに堪えられるの?


 耳を塞いでも、聞こえてくる。


 ──あなたは、人に好かれたいだけの、臆病者……


 アスカは心が壊れるのを感じた。
 確かにその通りなのだ、罪悪感と口にしていても、本音は恐れていただけだった。
 育った街で、人から陰口を叩れ、人の目が気になってしまっていただけだった。
 ──あの子、怖いから近づかない方が良いよ。
 ──あの子に虐められて、転校した子、いるんだから。
 その真実を、事実を。
 ねじ曲げたくて。
 そんなに単純な話ではないのだと。
 複雑にしたくて、けど、でも。
(嫌!)
 それを望めば。
(あたしの心を掻き回さないで!)
 アスカは多数の視線を感じた。
「ひっ!」
 周囲を大勢の自分が取り囲んでいた。
 シンジを虐めていた頃の自分の目、そんな自分を蔑む他人の目、そして……
 虐められていたシンジの目。
 そのどれもがアスカを追い詰める。
「やだ……、やっ、いや!、いやぁ!」
 だが助けは来ない。
 錯乱して視線をあちこちに向け、アスカはたった一人のシンジに気付いた。
「シンジ!」
 笑っていた。
 微笑んでいた。
 だがそれは自分にではなく、隣の……
 アスカの心がくだけ散る。
「なんで……」
 隠していた顔が表面に出る。
「なんであんたがそこに居るのよ!」
 ──綾波レイ。
「あんたが居なかったら、あんたなんかにシンジが出会わなけりゃ!」
 ──自分が望んだ通りに事は進んで。
 ふふふと耳に障る笑いが響く。
「そうね……、それがあなたの願望でしょう?」
 アスカは気付かず毒を吐き散らす。
「そう、そんなものはただの妄想だった、自分に都合良く解釈しただけの事実に裏付けられた、捏造された未来像、そんなものが本当に現実になると思っていたの?」
 コダマの声が追い詰める。
「そうよね、あなたは彼が何を思っていたかなんてなにも知らなかった、知らないくせに都合よく謝罪を受け入れてもらえると思ってた、そして罰を与えてくれると思ってた、とても素敵で、甘美な罰を」
 ──でも。
「よくもまぁそんな空想で盛り上がれたものね」
「うるさい!」
「シンジ君のことなんて一つも思ってない、シンジ君を喜ばせることで悦に浸って、それってなんて言うか知ってる?」
 ──馬鹿にしてるって言うのよ。
「うるさい!」
「でもね、現実と夢は違うのよ、そこには都合が悪くて、手に負えない、あなたの力じゃ解決できない問題なんて、幾らでも転がっているものなのよ、なのにあなたは、自分が何とかしてやるんだってパフォーマンスを決め込んで……、いつかかなうと思ってた?、そんな自分勝手な結果を、手に入れられると思ってた?」
 コダマは容赦なく否定した。
「でもね、頑張れば頑張るだけ、あなたの努力は無駄になるのよ、だってシンジはもっと遠くに行く人間だから、あなたなんて置いていってしまう人なんだから」
「うるさい!」
「あなたにシンジは必要なのかもしれない、けどシンジには必ずしもあなたがいるってわけじゃない、あなたなんて居なくてもシンジは強くたくましく生きていく、いままがそうだったように、これからも」
「うるさい!」
「そしてあなたを含めた人間全部を置き去りにして、もっと遠くへ……」
 ──うるさい!
 アスカの身から噴き出した炎が、闇を強く払いのけた。
「うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい!」
 喚き散らす。
 そして炎はアスカの身すらも焼き尽くそうとし……
 ──赤が金に昇華して。
 それは絶対の壁となって、アスカの世界を形作った。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。