まずいと思ったのはリツコだった。
「心理グラフに乱れが出てるわ」
「わかるの?」
「それくらいはね」
答えてから、いつの間にか背後から覗き込んでいるミサトの存在に気がついた。
「もちろん外部から反応を見て取っての情報だから、確実じゃないわ」
「それでも良い、あの使徒の攻撃はなに?」
「……精神汚染を引き起こすものとしか言えないわね」
ただの光にも見える、それを攻撃と見破る感覚に舌を巻く。
「下げるべきなの?」
「いえ、乱れが見えるだけで、乱されているわけじゃないわ、堪えてる」
「生身の人間、あるいはナンバーズの接近は可能なの?」
「ミサト?」
「援護くらいはするべきかもしれないって話よ」
リツコはそっとかぶりを振った。
「刺激するべきじゃないわ」
「……」
「誰よりも、シンジ君を」
リツコが目を戻した時、そこに示されているエネルギーゲージは、シンジの憤りに同調して倍加していた。
(凄い、凄過ぎ!、まさに熱風って感じ、怖いくらい……)
レイは手を動かそうとして……、やめた、ぴりりとしたものが走ったからだ。
指先に走ったものは静電気のようなものだったが、それは間違いなくシンジの意識に触れた証拠だった。
苛立ちから、神経が逆立っているのだ、だから下手に触れられない。
逆鱗という言葉を思い出す。
その怒りが、憤りが風と成って逆風を作り、渦巻いていた、コダマの光を払いのけている。
じり、じりっと、シンジは足を動かした。
コダマの元へと擦り寄っていく。
お互いの風の叩きつけ合いが、暴風となって吹き荒れた、木々が巻き上がり、地面がめくれる、そして天井のビルの幾本かがメキメキと嫌な音を発してヒビを広げる。
──そんな中。
アスカは安らかに夢を見ていた。
丸くなって、赤子のように。
母の鼓動を聞いていた。
──アスカ、起きなさい、アスカ!
う〜んと抵抗を示して体を丸めると、しかたがないという吐息が聞こえた。
「もう……、しょうがないんだから」
そこから先は意地悪ではあったが、効果的だった。
「お母さん仕事に行くから、好きなだけ寝てなさい!、ちゃんとシンジ君に起こしてあげてねって頼んでおくから」
少女はがばっと跳ね起きた。
「まったくもう信じらんない!、ママの馬鹿!」
「はは……」
学校へと向かう道、二人は遠回りをして川の土手の上を歩いていた。
アスカのお気に入りの道だから、少年の理由はそれだけで、少女の理由はもっと簡単だった。
車が来ない。
静かで。
のんびり歩ける。
それだけだ。
「いいな、そういうのって」
どこがよ!、そう叫び掛けて、アスカにはできなかった。
少年がとても淋しそうにしていたからだ。
この少年には母親が居ない、そして住んでいるのも親戚のうちで、関係も非常に冷めている。
他人のアスカにもわかるような空気だった、いらっしゃい、そう迎えてくれたおばさんの言葉から。
心から迎えてくれていないということがわかってしまって……
だから、アスカに少年の元へ遊びに行かせるのをためらわせていた。
少しずつ疎遠にさせていた。
「もう!」
苛立ちから暴言を吐く。
「そういう、うじうじしたの、やめてよね!」
「うん……」
そうだねと儚く笑う、そんな少年を見るにつけ、いつも嫌な感じが沸き起こっていた。
(こいつって、いつか、死んじゃうな……)
体がではなく。
心が。
深い理屈など無かったけれど、アスカはいつしかそう思っていた。
「そう……」
夕食時。
かちゃりと食器を置いた母の声は、沈んでいた。
「でも……、それも仕方のないことかもしれないわね」
「え?」
「アスカ?」
母は深刻な表情で問いかけた。
「あなた、自分が思い出せる範囲で、一番古い記憶って、なんになる?」
「えっと……」
アスカはう〜ん、う〜んと唸って、記憶のバケツをひっくり返した。
「あ」
「なに?」
「えっと……」
ぼしょぼしょと話す。
「おねしょして、隠そうとして、ママに叱られたこと」
「そう」
母は優しく微笑んだ。
「そうね……、そう、そんなものじゃない?」
「うん?」
「思い出して、話して、恥ずかしいとか、一緒に思い出せる、そうでしょう?、でもね」
遠い目をする。
「それはママとアスカの『想い出』でしょう?」
「うん」
「だから一緒に話して、懐かしいって、笑える」
「うん」
「でも、シンジ君には誰も居ないの」
「……」
「自分の知らない人から、その人の思い出話なんて聞かされて、楽しい?、興味も無い人のことなんて」
「つまんない……」
でもとアスカは訴えた。
「別に、シンジのこと、嫌いじゃないよ?、シンジのだったら、聞きたいモン!」
「そう」
微笑みを浮かべる、それから憂いを。
「でもね、、誰にも話せないとしたら?」
胸が疼いた。
「誰に話そうとしても、話す以前に、ろくに口もきいてもらえなかったら?」
「そんなのやだ……」
辛いと感じる。
辛いという言葉は知らなくても。
疼きが増す。
「話すこともできない、口にしても喜んでもらえないなら、自分の中に閉じこめて、思い返して、一人であの時は楽しかったなって、アスカ、泣いてるの?」
「泣いてないモン」
ぐしゅっと鼻をすすり上げる。
「泣いて、ない……」
母はそんなアスカの心を大切にして、泣いてないことにしてやった。
「シンジ君は、きっと怖いのね、アスカにつまらないって思われるのが」
「……」
「だから、話さない、自分から話そうとしない、アスカの後に着いて回って、アスカのしたいことに付き合って、アスカが楽しそうにするのを見てるだけで満足してる」
「そうなの……、かな?」
「嫌われるのは、怖いことよ?、そうでしょう?」
「……うん」
「だから、本当はしてもらいたいことがあっても、聞いてもらいたいことがあっても、我慢する」
怯えているから。
「シンジ君は、アスカのことが好きなのね」
「うん」
「アスカは?、シンジ君のことが好き?」
「……うん」
「じゃあ、アスカ」
──シンジ君と。
アスカはぎゅっと唇を噛んだ。
(わかってる)
次の瞬間、景色はくすんだ光景に変わった。
空は晴れている、憎らしいほどに。
晴天、そこにたなびく風、煙。
煙突。
その下の……、学校にある焼却炉に似たものの中に母が居ると言う。
「アスカ……」
シンジがとても疎ましい。
「大丈夫?」
どうして気遣おうとするのかと思う。
「元気だしてね」
だから我慢できなくなった。
『仲間ができたなんて喜ばないでよ!』
突き放した、徹底的に。
利用した、蔑んで、あげつらって、笑うために。
自分が元気で居るために。
そして少年は居なくなった。
居なくなってから気がついた、いや……
本当は居なくなる前から気がつき始めていた。
──あたしって、最低だ。
『殴るの?、あたしを、このあたしを』
シンジの息が詰まるのがわかった。
『でも、それくらいして欲しいけどね』
『どうして……』
『それくらいで繋がりが切れたりしない、本気で喧嘩できる相手、そういうのが理想じゃない?』
シンジの返答は曖昧だった。
『それが……、コダマさんの望んだ僕だったんですか?』
『さあ?』
『どうしていつもそうやってはぐらかすんですか』
『話すようなことなんてなにもないからよ、あたしはシンジとじゃれ合うのが楽しかった、それだけ』
『それだけって……』
『友達以上の感覚なんてなかった、シンジはあたしが年上だからって、友達ほどの感情も抱いてなかった、違う?』
『……』
『だから、彼女にしなかった、だから、自分のものだって傲慢に振り回さなかった』
『それは!』
『そういうのに、仕方ないなぁって付き合うのが面白楽しくて、おかしいって、嬉しい子もいるんだってこと、わかんない?』
シンジははっとした。
『アスカのことを言ってるんですか?』
『どうしてあたしがこの子のことを話さなくちゃいけないの?』
『コダマさんはそんな人じゃないでしょう?』
『シンジがどれだけあたしのことをわかってるっていうの?』
『少しはわかってますよ、優しい……、なんて言いません、けど、コダマさんは笑っていられることが、一番好きな人だったじゃないですか』
『……』
『こんなこと、おかしいですよ、みんなに変だって、嫌われるようなことをする人じゃないでしょう?』
『かいかぶりよ……』
使徒に侵食されてる?、レイのそんな意識にシンジは反発した。
『違う、コダマさんは、コダマさんだ、らしくないだけだ』
(シンジクン……)
『どうしてコダマさんは嘘を吐くんですか?、嘘を吐いてまでなにを教えようって言うんですか?』
コダマに寂しげなものが感じられた。
『参ったなぁ……、わかっちゃうんだもんな、そういうの』
『コダマさん……』
『それだけあたしのことがわかるのに、どうして付き合ってくれなかったのかな』
『からかわないでくださいよ』
『本気なのに……』
『……』
『あたしは、好きだよ?、シンジのこと』
だからと言う。
使徒が動き始める。
『アスカじゃ、だめなの』
『コダマさん!』
『アスカは、返して上げない』
『駄目ですよ!』
『やれるものなら』
翼を広げる。
『取り返してみなさいよ』
シンジの、エヴァンゲリオンの手が、その翼めがけて伸ばされた。
[BACK][TOP][NEXT]
新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。