──ガチャン。
開いた扉に顔をしかめる、正確には扉の向こうにあった無機質な世界に。
「悪いわね」
ミサトは保安部員を手で制して、自らレイの両手を拘束していた手錠を外した。
「あなたがレイだってことはわかってる、けどね……」
「しかたないですよ」
レイははぅっと溜め息を吐いた。
「あたしの死体が見つかったんじゃ……」
ミサトは苦笑交じりに言い訳をした。
「一応はね……、監視カメラの記録もあるし、けどそれだけじゃ根拠としては乏しいのよ」
「はい」
「揚げ句、DNAによる判定も無意味じゃあね」
「どうだったんですか?、結果は……」
「まったくの同じよ、あれは間違いなくあなたの死体だわ」
「そうですか……」
「これ以上はね……、わたしたちにはあなたが本物のレイだってことを証明する方法が無い……」
だからとミサトは苦渋に顔を歪めた。
戦闘終了後の様々な処理作業の途中で、地上の路上に綾波レイとおぼしき少女の死体が見つかった。
その体は何かによって貫かれていたが、現時点では、その身を貫いたとおぼしき凶器は見つかっていない。
「アメリカとドイツが過剰に反応を起こしているのよ、まったく」
「何かあったんですか?」
「ん?、ああ、まあね……」
ちらりと保安部の人間に視線を送ると、先に居た男はそっぽを向いた。
彼もこの仕事に関しては、大きな不満を抱いているらしい。
「つまりね……、あなたのクローン……、コピー?、そういったものらしい子はどこから来たの?、ドイツでしょう?」
「ああ……」
「そのドイツにしても、あなたが死んだのか、彼……、便宜上、彼と呼ぶけど、彼が死んだのかは掴めていない、確信が得られない以上、接触も計れないしね」
「アメリカは?」
「事故のことが響いてるのよ、つい感情的になって子供たちを邪険に扱ってしまったけど、ドイツがそんな怪しい動きをしてたとなるとね……」
「それであたしが本物だってわかない限りは……、ってなるんですか?」
「そういうこと」
ミサトはもう一度、悪いわねと謝罪した。
「一応監視はさせてもらうけど、力の制限とかはかけないから、好きにして」
「はい」
「差し入れなんかもできるだけするわ、リクエストがあったら応じるけど?」
レイはくすっと笑って注文した。
「じゃあ、シンジクンをお願いします」
ミサトもまた微笑を返した。
「わかったわ」
●
遠くから、ぼやけた声が耳に聞こえる。
「じゃあ、コダマさんは、そのために?」
「ええ……」
(シンジ?)
瞼を開こうと必死の思いで力を入れるが、必要な幅には達しない。
「好い子ね、アスカちゃんは」
(なにを今更……)
「だからこそ選ばれた」
「けど!、そんなの勝手じゃないですか!」
「この子は強い、ううん、シンジってしがらみさえなければ強くなれた子だった」
「コダマさん!」
「そうやって、大事な時には守ろうとして、手を貸そうとして、時には遊び相手になってあげて、時にはストレスの解消相手になってあげて……、そんなことだからアスカは独り立ちできなかったのよ、シンジから」
違うとアスカは否定する。
(あたしは……、そんなに情けなくない)
けれど記憶を掘り起こせばどうだろうか?
──アスカ。
学芸会の劇で主役を演じた時、側で凄いやと瞳をきらめかせて誉めてくれたのは誰だっただろうか?
──アスカ。
母が死んだ時、心配してくれたのは誰だっただろうか?
──アスカ。
新しい母親に苛立った時、その苛立ちを受け止めてくれたのは誰だっただろうか?
──アスカ、アスカ、アスカ。
記憶の一つ一つ、どのカットにもシンジの姿が現れる。
(ああ……)
──なんであんたがここに居るのよ!
そう怒鳴り散らして追い払ったことが、一体何度あっただろうか?
──なんであんたがそこに居るのよ!
幼馴染だからと勝手にパートナーを組まされて、何度怒鳴り散らして嫌悪したのか?
(あたしは……)
「でも」
彼女の言葉が意識を醒ます。
「そんな気持ちが……」
アスカは『一段』、夢から覚めた。
「ん……」
病人のためにと明るさの弱い蛍光燈が目に入る。
それでも十分に眩しく感じる。
アスカは先程なにか夢を見ていたなと思ったが、上手く思い出すことができなかった。
「お、起きたんか」
アスカは懐かしい声に頭をねじった。
「鈴原?」
「そや」
「なんで……」
トウジらしき者はぽりぽりと頬を掻いた。
「そりゃ……、見舞いや、他に言いようなんてあらへんやろ」
「でもあんたは……」
「そや、逃げ出した」
次第に輪郭がはっきりとする。
「まだ、ジャージ着てるの?」
「悪いか?」
「ジャージでここまで来たの?」
「いや、途中で着替えた」
「なんで……」
質問が一周する。
「なんでここに?」
「……洞木に頼まれたんや」
──ズキン!
アスカは頭に痛みを感じた。
「あたし……、そうだ、あたし!」
「おちつけって、な?」
慌てたトウジに肩を押さえられて、アスカは言う通りに力を抜いた。
「痛い……」
「悪いな、そやけど……、ま、すまん」
適当に言ってごまかす。
「わしは……、正直部外者やからな、詳しいことはわからん、そやけど委員長、アスカには会いたない言うとったわ」
うんとアスカは頷いた。
「そう……、そうよね」
アスカは自分の手のひらを見た。
「何があったんや」
「うん……」
素直に語る。
「なんでもないこと」
「……」
「あたしね……、シンジが可哀想だって思ってた、可哀想な子だなって、ずっと思ってた」
トウジは黙って聞く姿勢を見せた。
「可哀想な子なんだって……、ずっと思ってた、そんなシンジを守ってやってるんだって決めてたの、バカよね、そんな自分を自慢してた、誉めてもらって喜んでた」
「そうか」
でもとトウジは口を挟んだ。
「そやけど、それ、いかんのか?」
「え?」
「シンジが喜んでくれとったんやったら、悪いだけのことと……、なんやねん」
くすりと笑う。
「慰めてくれるわけ?」
「悪いか」
「ううん、ありがと」
かるくかぶりを振って礼を告げた。
「でもね、いつの間にか、あたしはシンジが居ないとだめになってた、だってシンジくらい『悲惨』な奴でないと、付き合う意味なんてないじゃない」
トウジは酷く顔をしかめた。
「付き合ういうんは……」
「そうよ」
軽く頷く。
「普段悲壮な顔をしてくれてる方が、あたしがかまってやってるんだってことが引き立つじゃない」
アスカはトウジの心情を勝手に読み取り、自嘲した。
「そういうこと、よ……」
「……」
「あたしがシンジに望んでたのって、結局そういうことだったのよね」
「アスカ……」
くすぐったいとアスカは笑った。
「名前でなんて呼ばないでよ、ドキッとするじゃない」
「悪い」
「良いけどね」
話を進める。
「指摘されちゃったのよね……、あいつに、コダマさんに」
「洞木の姉貴にか?」
「うん……、それに気付いて、逆上して……」
拳を振るって。
「でも」
「なんやねん」
苦渋に顔を歪めて語る。
「あたしは……、あたしがなりたいって形があったの、あたしは戦いたかった、あの人に、コダマさんと」
「そうか……」
「でもね、あたし、戦えなかった……、戦うこともできなかった」
そして言い負かされて終わってしまった。
「結局……、多分、シンジに助けてもらったのよね、また……」
心の中に、理不尽な感情が沸き上がる。
本当は二人きりにして欲しかった。
自分で解決したかった。
戦って自信を胸に付けたかった。
そうでなければこのことを引きずっていかなくてはならなくなるから。
アスカはまた一つ、解消できない想いを与えられてしまったのだなと悟った。
「あたし……、なんでここに来ちゃったんだろ」
突然の弱音に反応が返される。
「やめろや」
「でも……」
「そんなんアスカらしゅうないやろ」
「でもだめよ、もうわかったから」
心が折れる、折れていた。
「本当はね、シンジはもうずっと前から、あたしのことなんて必要としなくなってたのよ、可哀想な子から抜け出してた……、でもあたしにはあたしの都合があったから、今でもそういう子なんだって押し付けていた……、だからよね、あたしがこっちに来た最初の頃、シンジが反発したのって」
ぽたぽたと涙が零れる。
「結局、あたしの自己満足だっただけ、あたしはあたしの勝手にシンジを付き合わせてただけ、それがわかった」
「アスカ」
「シンジはそれを嫌ってたんだ」
「やめんかい」
強い調子に言葉を遮られる。
「でも……」
「アスカだけが悪いわけやない、そやろ?」
「でも!」
吐き捨てる。
「あんたに何がわかるっていうのよ!、あたしは!」
アスカの怒鳴り声は外にまで届く。
「シンジにとってのあたしの価値ってなに!?、なにもなかった!、だからシンジはあたしを欲しがらなかったのよ!、シンジにとってあたしなんて、なんの価値もない奴なのよ!、シンジはそれがわかってるから!」
「やめんかい!」
両肩を掴まれた、揺さぶられ、さすがにアスカは言葉を区切った。
「痛い……」
「そんなこと……、言うもんやないで」
「なによ……」
「わしは……」
硬い表情をした顔が覗き込んで来る。
「わしはは、お前を見てた、ずっと見てたで」
アスカは顎を引き、視線を逸らそうとした。
「なによ……、気持ち悪い」
「そやろな」
「……」
「そやけどな、この気持ちはどうにもならんやろ、なんでシンジなんやて思うとった、わしはわしなりにそれに納得したんやで?、それがなんやねん、今更」
「スズハラ……」
「好きや思うんはいかんのか?、気持ち悪いと思われるくらいやったらって、諦めなあかんのが好きやいう気持ちなんか?」
アスカは間近にトウジを感じた。
「アスカ……」
慚愧の念を抱きながらも、唇へと寄って来る顔に、アスカは……
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。