綾波レイは暗闇の中、膝を抱えて俯いていた。
「やだな……、暗いのは、思い出しちゃって」
 脳裏に思い浮かぶのは、まだ人の言葉を知らなかったころの、ただ見ていただけの光景だった。


 暗い部屋の中に、一人の少女が押し込まれていた。
 まだ幼い、十歳にもなっていないだろう、両手両足は恐ろしく細かった。
「とりあえずは順調のようだな」
 今よりもほんの少しだけ覇気に溢れている初老の男が、脇に立っていた不遜な男性に問いかけた。
「だが碇、ほんとうに良いのか?」
「ああ……、これがユイの望みだからな」
 冬月と彼は口にした。
 碇ゲンドウと冬月コウゾウ、そこに居るのは数年前の二人だった。
「しかしなぁ、これは病人を押し込める部屋じゃないぞ」
「わかっている、しかし他に方法が無い」
「外的存在への好奇心を引き出す、か」
 突然部屋の中に、ドンという震動が叩き込まれる。
 暫くして、フォログラフが街の光景を作り上げ、そこに幻の人並みが流される。
 人は壁をすり抜けて行ってしまう。
 外になにがあるのか?
 外でなにが行われているのか?
 少女の興味を引くために、くだらないことばかりが試行錯誤されている。
 しかし一向に、少女から反応らしい反応を引き出すことはできないでいた。
「わたしは疑問を抱いてしまうよ」
 とうとうコウゾウは弱音を吐いた。
「本当にあの子には魂と呼べるものがあるのかね?」
「でなければ力は発動せんよ」
「力……、か」
「そうだ、彼女はこれまでにも幾度か『球体』を発生させている、熱、質量、その他あらゆる機器で観測することのできない光をだ」
 はぁっとコウゾウは溜め息を洩らした。
「エヴァンゲリオンから剥離させたという彼女の映像を見た時、あれが太古の人間なのかと思ったものだが、ユイ君のために用意されたという未使用の臓器で補完しただけで、これほど人間に近くなるとは思わなかったよ」
 そのコウゾウの物言いに、ゲンドウはふんと鼻を鳴らした。
「あれは補完とは言わん、造形と言った方が正しい、無理矢理俺たちの知る人の形に組み上げた、それだけだ」
「それだけか……」
「そうだ、ユイの話によれば元々エヴァのパーツとして作られたに過ぎないレイシリーズの末端部分……、手足は神経組織に近い構成になっていたと言うからな」
「直接融合していたというわけか……」
「だがユイの遺伝子を使って人間と同じ両手両足を作り出すことができた、それは取りも直さず、同じ系列の生物であると言う証しだよ」
 二人はその場を離れることにした。
「あの子は見ているな、俺たちを」
「わかるのか?」
「視線を感じる」
「俺にはわからんよ」
「臆病者は他人の視線に敏感なものだ、お前のような厚顔な男では感じ取れまい」
 言っていろと思うコウゾウである。
「それより、今日は行くのか?」
「ああ」
「何年ぶりだ」
「忘れたよ」
「シンジ君、大きくなっただろうな」
「……くだらん」
「お前の息子だろう」
「そうだ」
「ならそんな言い方は」
 ゲンドウは立ち止まって言い放った。
「俺が言っているのは墓参りのことだ、遺体もなにも収められていない墓標に向かって、何をしろというんだ」
 コウゾウは溜め息を吐く。
「それでも、シンジ君に理解させなければならないだろう」
「ああ……」
「俺が行くか?」
「いや、良い」
 ゲンドウは前を向いて歩き出した。
「嫌われる前に、嫌ってやる、それが俺のやり方だからな」




 荒涼とした墓地の真ん中にたった二つだけ人影が見えた。
 碇ゲンドウと碇シンジ、墓の主は……、碇ユイ。
 シンジは暫く手を合わせてから、顔を見ぬまま、父に向かって問いかけた。
「なにさ、こんな場所に呼び出して」
 少し不機嫌な調子で言葉を吐く。
「別に、ここに来なくても良いじゃないか、どうせ母さんは……」
「お前と共に居る、それはわかっている」
 シンジの顔から表情が消える。
「……この頃、父さんが僕を使って何をするつもりだったのか、少しだけわかった気がする」
「なんだ?」
「父さんが母さんを好きになったみたいに、僕もほんの少しだけだけど、コダマさんって人を好きになってた、コダマさんは、少し似てたのかもしれない、母さんに」
 そうかという相槌に言葉を続ける。
「今になって、少しだけ思い出せたんだ、母さんはコダマさんみたいな人だったって、そりゃ性格は全然違うように見えるんだけど、世の中とか社会に全然期待してなくて、他の人とは同じように物を見てなくて、自分だけの世界、自分だけの視点で物を見てて、自分のものさしだけで楽しむことを知ってて……、それが僕には理解できないんだよ、他の誰にもね……」
 言葉の途切れたシンジに変わって、ゲンドウは珍しく饒舌に語り出した。
「ユイが認識する死とは消滅を意味するものだった、俺たちとは違う、俺たちは共にありたいと願っていた人物の消失を死と定義付けている」
「でも父さんは母さんが死んだわけじゃないって思ってるんでしょ?」
「そうだ、なぜならあの事故はユイにとっては予測の範囲内にあったはずのできごとだったからな、だが必ずしも取り込まれることになるとも限らなかった、わたしは後者を願い、現実はユイの予想通りに前者となった」
「どうして母さんを連れ戻そうと思わなかったの?」
「死とは消滅を意味する、だが次代への糧となることは死ではない、それがユイの考えだ、ユイはお前たちの世代のための礎となることを望んだ、それを汚すことはできん」
「父さんは好きだったんでしょ?、母さんのこと」
「ああ」
「なのに諦めたの?」
「諦めてはいない」
「だから僕なの?」
「そうだ、親である俺たちが何を考えようとそれは押し付けにしかならん、ならば俺たちはお前たちが自らの道を選んだ時、そのどれに対しても与えられるものを用意するべきだと考えた、ユイの願いを叶え、俺の自尊心を満たすことで、俺は俺を保つことにした」
「でも僕は父さんや母さんに一緒に居て欲しかった」
「……」
「それだけだった、未来なんていらなかった、将来もいらない、父さんと母さんが居てくれればそれだけでよかった」
 ゲンドウはわざと視線を逸らした。
「月本来の目的はわからん、だがお前たちは選ばれた」
「うん」
 シンジは鼻をすすり、涙を拭った。
「わかってる」
「その内、俺たちの存在など意味を成さなくなるだろう、その前にシンジ、お前は守るべきものを選べ」
「守るべきもの?」
「そうだ」
 シンジは背を向けた父の言葉の意味を掴みかねた。
「待ってよ!、守るべきものってなに?、誰かのとこ?、何かのこと!?」
「……それは赤木博士が答えを出してくれるだろう」
 一人残されたシンジは、リツコさんがと口にした。


「これが碇の選択だというのか?」
 老人たちは一つのところに集い、怪しげな密会を開いていた。
「それは重要な問題ではない」
「人の希望は人の数だけ存在する」
「これが人の選択であるならば、それもまた許容しよう」
 うむと一同は頷いた、しかし。
「問題は国連だろう」
 十人ばかりの老人が輪になって腰かけている、その中央に国連からの中継画像が映し出された。
『エヴァと呼ばれる力、ナンバーズと呼称される子供たち、我々は認めなければなりません、彼らは決して道具などではないのだと、物を考える人間であるのだと』
 言葉の意味は人道的なのだが、声はその内容をまったく反対のものにしていた。
『彼らは我々同様に人間なのです、その力、その能力、我々が思いつくおよそ悪夢としか言い難い災難を人為的に引き起こせる、道具にはとても収まらない存在なのです、恐怖である、これは共通の認識でしょう』
 問題は……、と彼は続けた。
『これまでの行動が、使徒と月と呼ばれる敵生体が存在したことによって、団結の方向に固まっていたと言うことなのです、敵があったからこそ、彼らは協力し、戦うべき相手が居たからこそ、評価の場を見出し、努力していた』
『誉められるために?』
『そうです』
『では使徒の出現が一段落し始めている今、その強力体制に乱れが出ると?』
『今回の騒動もその一旦なのではないのですか?』
『そもそも、第三新東京市に何故あれだけの武器が隠されていた?』
『そのことにつきましては……』
 老人たちは、中継から視線を外した。
「敵か……」
「皮肉なことだが、事実でもある」
「それだけに悲しい話でもある、我々もまた、月の攻略と言う前提があったからこそ、共闘の意を宣言した」
「その意味に置いては、力の有無は人の本質になんら関りがないということになるな」
「力を持ったところで人は人だよ」
「逆に言えば、力がなくとも人でないものは人ではない」
「だがそれは遠い昔よりわかっていたことだ、時折出る異能の者が抱いた苦悩は、そして欲した希望の形は、常に人の枠を越えるものではなかった」
「では……」
 もっとも重々しい声が訊ねる。
「碇の息子はどの道を選ぶ?」
 一同は押し黙り、その先もまた、沈黙によって彩られてしまった。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。