異様な光景だった、だから看守はカメラを切った。
 ベッドとも言えない固い寝台の上に少女が腰かけている、その腕には槍がある。
 彼は見てしまった、その槍は捻じれていて螺旋を描いていたのだが、その裏側からじくじくと血が滲み出していたのだ。
 少年を案内し、扉を開けた時、彼女はぼそぼそと呟いていた。
「しょっぱい……、でもシンジクンの味がする」
 そして手のひらをぺろりと舐めていた。
 もっとおかしいのは、その血が床に垂れることがなければ、彼女の衣服を染めてもいない点だった、それなのに肌には付いているのだ。
 真っ白な頬に付着していた赤い色が、やけにはっきりと焼きついてしまって、消せなかった。
 そしてそれよりも異常なのは、そんな少女に少しも怯えない少年だった。
 今は平然と彼女の前に腰かけている、壁を背に、とは言ってもほとんどスペースの無い場所だけに、少女の膝は間隣にある。
 槍のことさえなければ、きっといちゃつき合うだろうと彼は興奮したに違いなかった。


 シンジはレイの目をじっと見つめた。
「父さんはなんのことを言ってるんだと思う?」
 しかしすがるようなシンジに対して、レイの反応冷たかった。
「どうしてそんなこと、あたしに訊くの?」
 だってとシンジ。
「他に訊けるような人なんて居ないし……」
「アスカは?」
「だめだよ」
「どうして?」
「どうしてって……」
 レイは不思議で仕方がないと首を傾げた。
「だってあたし、シンジクンと一緒だったんだよ?、シンジクンがどれだけアスカのこと大事に思ってるかって聞いちゃったもん、感じちゃったもん、なのにアスカに相談しないって、どうして?」
「……」
「黙るんだ……、都合が悪いから」
「そうじゃないよ」
「じゃあ言ってあげる」
 レイはすうっと息を吸い込んだ。
「アスカが可哀想だからでしょ?、これ以上無理させるのが」
「うん……」
「あたしなら安心できるんだ?」
「うん」
「でもあたしだって無理してるんだよ?、それともあたしは逃げられないから?、この運命から」
 シンジは心苦しくなったのか顔を歪めた。
「ごめん……」
「最初から言ってよ、ちゃんと、変に隠そうとしないで」
「うん……」
 わかったよと顔を上げる。
「ごめん……、そうだね、これはレイの問題だから」
 シンジはどこか悟った顔でレイに告げた。
「父さんの言葉の意味って、多分、そういうことなんだと思う……、アスカとレイ、どっちが狙われる」
「それって、その……、あたしを、だから?」
 赤くなるレイにつられて、シンジは少しだけ照れてしまった。
「コダマさんがアスカの心を連れてったんだ、リツコさんとは新しい世界の創造に必要な要素なんじゃないかってことになった、なら後一つ居るものがあるんだ」
「生の体……、器ね?」
「リツコさんはアミノ酸とか言ってたけど」
 難しいことは良くわかんないやと放り投げる。
「月……、っていう言葉の意味を考えててね、変なことを思い付いちゃったんだよ、月って欠けていくよね?、でもその影っていうのは穴なのかもしれないって、その穴は別の世界に通じてるのかもしれないって……、黒き月っていうのはそういう意味なのかもしれないって」
「シンジクン……、変なこと思い付かないでよ」
「ごめん、でも気になって来ちゃったんだよ、もう穴は開いてるのかもしれないって、この間の使徒は、そこから来たのかもしれないって、だったらもう一匹は最低でも来るはずなんだ、絶対」
「……生き物の素になるものを手に入れるために?」
「うん」
「それにアスカの心をまぶして、命にするの?」
「そういうことなんだと、僕は思う。
 レイはシンジの真面目な顔に、酷く大きな吐息を吐いた。
「それで、あたしにどうして欲しいの?」
 真摯に告げる。
「出ないで欲しい」
「え……」
「ここから、閉じこもってて欲しいんだ、僕にできることならなんでもするから、毎日だって来るから」
「どうして……」
「怖いんだよ」
 シンジは右の手のひらを見た。
「あれから……、アスカに会ってない」
「え!?、……ほんとに?」
「うん」
「どうして……」
「だから、怖いんだ、アスカが変わっちゃったんじゃないかって、コダマさんがどんな心を持っていったのか、詳しくは僕にだってわからないよ、でも……」
「でも?」
 シンジは両手で顔を被った。
「僕はもう、あんなアスカは見たくない」
「……」
「あんなアスカには会いたくない」
「……昔の?」
「そうだよ」
「シンジクンを虐めてたって言う?」
 そうだよとシンジは吐き捨てた。
「やっとずっと昔の感じて、普通に話せるようになったんだ、だけどそんなの嘘だった、僕はあの頃のアスカを覚えてる」
「シンジクン……」
「怖いんだ、あのアスカの顔、アスカの目、怖いんだよ……、あんなアスカを前にしたら、きっと僕は怖くて動けなくなっちゃうよ……」
 ああとレイは納得した、ここに来た本当の理由を。
(残酷なんだ……)
 ほんの少しだけ想像力が豊かならわかることだ。
 アスカから抜き出された優しさは、確かにシンジをいたわりはするだろう、だが当のシンジはどうだろうか?、その優しさといたわりを素直に受け入れることができるだろうか?
『こちら』に酷くなったアスカを残すことになったとしたら?、そのアスカの優しさなのだと感じてしまったら?
 そんなアスカの気配のするものたちに包まれ、愛され、大事にされるなど、いったいどれほどの責め苦であるのか?
 これは本当のアスカではないのだと知っていて、それにまどろむことなどできるだろうか?
 怯えて、逃げ出したくて、たまらなくなる、だから。
(避けたいんだ)
 そんな新しい世界の礎にされてしまうことから。
(逃げ出したいんだ)
 だがもしそこにレイの身が混ざり込んでしまったとしたら?
 はたしてシンジは自分の温もりをどう捉えるだろうか?
 シンジ自身はもう言っている、使徒は自分にとって大事な人を素材に選ぶと。
 自分は狙われるかもしれない、アスカの心に、自分の匂いのする世界、それがどれだけ魅力的なことなのか?
 シンジはその誘惑に勝てる自信が無いのだと……、だからそのようなことにならないように、必死に避けようとしているのだと……
 レイはそんな具合に、シンジの心の内を察してしまった。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。