「しかしまぁ、手を付けられるところから手を付けていくしかないのよねぇ」
 そう言って割り切れてしまう所が、葛城ミサトの葛城ミサトたる所以であり、赤木リツコとは違う精神構造の現れでもあった。
「羨ましいわ」
 リツコは嫌味ではなく心から思った。
 今やリツコは、仕事の全てを放棄していた。やる気以前の問題として、意義を見出すことができなくなってしまったからだ。
「こんなものを調べなくても、真実はすぐそこにあるのに」
 おいおいと逃げ込んでいた男が軽口を叩く。
「だからって踏み出せばどうなることか、わかってるんだろう?」
 もちろんよとリツコは加持に対して首肯した。
「でも、だからこそ言ってるのよ。調査報告書なんてなんのために作る必要があるの? そんなもの用意しなくたって、上の二人は全ての事を知っているのに」
(こりゃ自棄を起こしてるなぁ)
 そうは思ったが、加持はなだめるようなことはしなかった。
「必要なのは国連や各国を護魔化すためにさ。下手に嘘を吐こうとするとボロが出るもんだからな、赤木のレポートならその点安心だ」
「結局、体よく利用されてることには違いないじゃない」
「けど赤木の仕事はそれだけじゃないだろう? エヴァの開発のことだってある」
「……それも残っているのは弐号機だけなのに?」
「零号機は?」
「封印よ」
「また戦力が減ったか」
 リツコは露骨に顔をしかめた。
「戦力……ほんとうに必要なの? 戦力を維持する意味がどこにあるの?」
「シンジ君のことを言ってるのか?」
「あの子一人居れば使徒なんて……」
「でもシンジ君は誰が止める?」
 リツコは非常にぎこちなく加持を見た。
「……なにが言いたいの?」
「抑止力は必要だ。そうだろう?」
「アスカにそれをやらせると?」
「ドイツにはフィフスが居る」
「渚君……」
「彼もまたエヴァンゲリオンへの変身能力を手に入れた。詳細は不明だけどな」
 そのことはリツコも承知しているのか黙り込んだ。
「ただ誰が誰の抑止力になるのかも重要なんだが、それ以上になんのために抑止力になろうというのか? それが問題だと思うんだ」
「……理由? そんなもの」
「どう思う? 渚カヲルは無茶をしてその力を手に入れたらしい。シンジ君にしても似たようなものなんじゃないのか?」
「……」
「赤木……シンジ君は望んで今の力を手に入れたのか?」
「何が言いたいの?」
「フィフスの少年はシンジ君の抑止力になろうとしているのかもしれない。だがその理由はどこから来るものだ? 脅威だからか? それとも同情からか?」
「同情って……」
「そうだろう? このままじゃシンジ君は皆に恐れられていく一方だ。友達だって言うのなら、他人に任せず、自分が見張り役になろうとしてもおかしくはない」
「けど彼はそこまでシンジ君と仲が良かったわけじゃ……」
「……シンジ君とはな」
 加持は一枚の写真をリツコに手渡した。
 不審げに写真と加持を見比べながら受け取り、そしてリツコは目を丸くした。
「これって……」
「ああ」
 いつかの写真だった。
 空港のロビーで撮られたもの。
 アスカとカヲルがキスを交わしている。それを望遠レンズで空港の外から写したものだった。
「正直シンジ君とフィフスチルドレンの親密さについてはわからないところが多いんだ。それほど仲が良くないように思えるんだが、不思議と理解り合っている感じもある」
「分析したの?」
「そりゃな。諜報部のデータベースを底からひっくり返したよ」
 加持はそうやっておちゃらけた。
「でもフィフスは間違いなくアスカに憐憫の感情を抱いていた。そしてアスカを追い込んでいるシンジ君にも同情していた。シンジ君とフィフス、あるいはフィフスとアスカだけなら線と線だ。なにも難しく考えることはない」
 だけどと加持は、リツコが食い入るように見ている写真を奪った。
「だがな、フィフスは二人を、二人は互いを見ているとなると、フィフスが何を思い、考えたのかは、わかり辛くなる」
「で?」
 回りくどいと急かすつもりの言葉に対して、加持は直球を放り込んだ。
「惣流キョウコって知ってるか?」
 リツコは古い記憶に引っ掛かる名前にはてと首を捻った。
「聞いた名前ね……」
「アスカの産みの親だよ」
「ああ……確か碇ユイさんの後任のE計画担当責任者で、弐号機開発主任だった」
 そうだと加持は頷いて、手に持ったカップを弄んだ。
 黒い液体がくるりと踊る。
「赤木は……どう思う?」
「どうって?」
「彼女の死についてだよ」
 リツコは不審な点はないわと口にした。
「そりゃあ碇ユイさんの『事故』のこともあったわけだから、色々な憶測が飛び交ったのは想像付くけど、記録上では問題無いわ」
「だが娘と明るく暮らしてた人間が、突然自殺なんてするもんか?」
「自殺?」
「そうだ」
 加持は首肯した。
「その点だけでも、はっきりと怪しいと言えるな。その上体調を崩したとされる当日には、彼女は弐号機との接触実験を行っている」
 リツコは喘いだ。
「そんな記録は、どこにも……」
 加持は口元に薄ら寒いものを浮かべて呟いた。
「だから言ったろう? 怪しいって」
「……」
「胡散臭いどころじゃない。事実アスカをチルドレンとして送り込んで来たのは、ろくにネルフと関りのないアスカの父親だったんだぞ? チルドレンの枠は厳正なチェックを施されて定員で満たされる予定になっていた。どうしてそこに一階の社員が子供を割り込ませることができるんだ?」
 その理由は一つしか見つからない。
「司令が?」
「ああ、司令はこの間の出張で、アスカの父親を南極へと同伴している」
 それは初耳だとリツコは驚いた顔をした。
「それだけでも状況証拠には十分だろう。惣流博士やその旦那と面識があって、そんな強引な真似ができる人間となると限られる。その上で理由を求めるなら……」
「弐号機に、乗せるために」
 いいやと加持はかぶりを振った。
「それだけなら、アスカでなくても良いはずだ。事実零号機はレイちゃんでなくても起動したじゃないか。やったんだろう? 機体交換実験も」
「ええ」
「なら彼女に期待されたのは一つだ。シンジ君だよ」
 ああ、またそうなるのか。リツコは嫌気を感じて顔をしかめた。
 シンジが言っていた、アスカの心が盗まれたという話を鑑みるに、やはり彼女は巫女的な生贄であったのだという気がしてならない。
(シンジ君の憶測もあながち)
 そんなリツコの思考を刈り取る。
「最初から弐号機に乗せるつもりだったんじゃないのかと言われると俺も返答に困るんだがな、それでも彼女は何かを期待されていたんじゃないかって疑い始めると、本当にそれらしいのがボロボロと出て来るんだよな」
「じゃあ……あの子の入院は、あらかじめ予定されていた事だったと?」
「かもしれない」
「そんな……」
「とにかく、アスカの母親である惣流キョウコの死因からして怪しい点が多いんだ、ネルフは俺たちが思ってるほど甘くはないのかもしれない」
 赤木も気をつけろと加持は忠告した。
「司令は使えなくなった駒をどう扱うかわからない人間だ。そして使えるとなるとどう扱うかもわからない。赤木も用心しろよ?」
 しかし、リツコは耳が遠くなり、最後の一言は完全に訊き逃してしまっていた。




(気が重いんだよな)
 その病室の前では、一人の少年がどうしたものかと三十分以上に渡って、落ち着きのない様子を曝していた。
 それはもちろんシンジであった。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。