チンと受話器が下ろされる。
「碇……フィフスが到着したそうだ」
 ゲンドウは閉じていた瞼を開き口にした。
「そうか」
「早速行動を開始したようだが、良いのか?」
「かまわん」
 机の上に組んでいた手をほどき、くいと色眼鏡を持ち上げる。
「今更俺たちの出る幕は無い。全ては」
「シンジ君に託されている……か」
 コウゾウはなにを考えているのかわからない表情で、森の景色に視線を投じた。


「ふんふんふん……」
 鼻歌を歌いながら、ミサトは車の鍵を外した。
 ドアを開いて乗り込もうとする。しかし背後に気配を感じて、ミサトはゆっくりと振り向いた。
「あなたは……リック君?」
 柱の影から現れる。
 ネルフ本部内駐車場は、どこも硬い鋼材によって組み上げられている。
 錆びることもくすむこともなく、照明に奇妙な陰影を作り出している。
 リックはそんな柱の一本に隠れていた。
「どうも……」
 ミサトは車のドアを閉じてキーを外した。
「あたしに用?」
「そうなります」
 固い表情に顔をしかめる。
「その様子だと……あまり面白くない話みたいね」
「どうでしょうか?」
 リックは正直に口にした。
「まあ場合によっては危険なことに巻き込んでしまうかもしれません。しかし僕は誰でもない、あなたに付き合ってもらいたく参上いたしました」
「それは……嬉しい申し出ね?」
「はい」
 柱の蔭に隠していた半身を出す。その左腕が支えていたものにミサトは目を丸くした。
「それは!?」
 灰色をした二股の槍。
「ロンギヌスの槍!? どうしてあなたがそれを」
「……これはゴリアテのものですよ」
「ゴリアテ君の?」
「はい。ゴリアテ……彼は綾波レイさんと同じ、レイシリーズのワンタイプでした。僕も知りませんでしたが」
 ミサトは映像で見たもう一人のレイのことを思い浮かべた。
「じゃあ、レイと戦っていたのは……」
 かぶりを振るリック。
「それが支部の命令によるものかどうかはわかりません。僕にも本部に食い込んで潜むように指示はありました。けれども今の状態はそれを越えてしまっている」
「どういうこと?」
 ミサトはボンネットに尻を置いて腕組みをした。
「訊かせてもらえる? いいえ、訊かせたいんでしょう?」
 その通りだとリックは頷いた。
「支部の目には、本部の『人材』はあくまで宝物として見えていました」
 それだけでミサトは理解した。
「有り体に言えば引き抜きをかけようとしていたわけね」
「ドイツはどうだか……しかしアメリカは失業者アレルギーに陥り、未だに抜け出す術を模索しているのが現状です」
「そこにチルドレン……。いいえナンバーズと本部の『革新技術』に触れた子供たちが居れば」
「新たな発想と想像性。そしてそれを可能とする科学技術力と数々の能力。深海に地下に大地に、そして空に宇宙にと、僕たちは新たな世界を開拓する能力を秘めている。それがどれだけ莫大な富を生み出す資産であるか、口にするまでもないことでしょう?」
 ミサトはじっと見つめ返した。
「あなたたちには未来を如何様にも作り出す能力がある。そのことは認めるけどね? だからこそあたしたちはあなたたちをナンバーズと呼称してまで縛り付けた……」
「保護して下さった。そうではないのですか?」
 皮肉に苦笑するミサトである。
「それはあなたたちがどう感じてくれたかで変わってしまう問題よ。少なくともあたしの口からは言えないわ」
「葛城さんを恨んでいる子も居るんでしょうね。こんな平和な国に生まれたなら、どうして自由に力を使ってはいけないのかと、不満にも思う……」
「……渚カヲル」
 ふいの言葉にリックは眉間に皺を寄せた。
「そう……ですね。なぜ彼のような存在が成り立つことになっているのか。僕たちは誠実さを示さなければ、恐れられるだけになる」
 ミサトは足を組み替えて、腕をほどいてボンネットについた。
 強調するように胸を張る。
「あなたたちを利用されないために。あなたたちが利用されてしまわないように。道具として使い捨てにされてしまわないように。確かにネルフの理念はそうなっているわ。でも結局は使徒戦や遺跡の発掘に駆り出している……」
「そのことに関して議論するつもりはありませんよ」
「そう?」
「面白がって協力する者が居れば、不満に思っている者も居る。育ちや出身や力の発現に至った経緯によって、その点は人それぞれですから。僕の考えが全体意見として通るとは思っていません」
「あなたの場合は何を望んで?」
 ふっと自嘲気味の笑みを浮かべて、リックは槍を右手に持ち替えた。
「僕には好きな人が居ました……年上の女性ですよ」
「好い人『だった』のね」
「僕にはもったいないくらいでしたよ!」
 リックはミサトの強調に対して、妙な調子で声を上げた。
「五つほど歳が離れていましてね、その差を埋めてくれていたのが僕のこの力でした」
「アポーツ……」
「そう。物体を引き寄せる能力です。僕は自分を引き寄せることで空間転移も可能としています。元居た施設の研究結果では、この能力は空間に干渉する能力であり、そう言った意味では物理学の最上位にある力であろうと評価されました」
 ミサトはそうだろうなと内心で知恵を絞った。
 ざっと考えただけでも彼の能力は便利過ぎるものだった。特に宇宙空間ではその能力は存分に生きることになるだろう。
「あなたのその力があれば、月どころか外宇宙にも簡単に出られるでしょうね」
「間の空間を無いものとすれば良いんですからね。よく冗談交じりに言われましたよ。もし僕が『方舟計画』に参加することになっていたなら、きっと生きたワープ機関として重宝されることになっていただろうとね」
 方舟計画。ミサトはその単語に対して、示すべき反応の仕方を見出せなかった。
 現在衛星軌道上で建造中の外宇宙航行船。その搭乗員の訓練と選別の意味を兼ねて行われていたのがネバダの生活実験であった。
 この実験の失敗が、今の彼らの立場を危うくしている。
「所詮僕たちは便利な道具に過ぎないのかもしれない。それでも他人にできないことをできるという自尊心は自負に繋がり、僕たちに誇りを持たせてくれた」
「……その彼女だった人は、あなたの有用さに惚れ込んでいたの?」
「もしそんな人であったなら、僕はこんなにも苦しまずに済んでいましたよ」
 気落ちし、肩を落とす。
「許してくれないのは周囲ですよ。彼女の両親、親戚、上司、部下。僕と言う使える駒が取り込めるのならと彼らは許容してくれていました。しかし『事故』以降は」
「お気の毒とでも言っておくわ」
 リックは小さくかぶりを振った。
「これでは僕たちは僕たちだけで纏まるしかなくなる。それでは世間に不信感を与えるだけだ」
「暴動を起こそうとしていると?」
「はい」
 ミサトはそれはどうだろうかと否定的な意見を述べた。
「でもあなたたちはあたしたちと同じ趣味、嗜好を持っているわ。例えば音楽。それを作り出すセンスは能力には依存しない。あたしはあなたたちが独立した道を歩き出すとは思えない」
 ミサトが思い返しているのは、一・二年ほど前のシンジの姿だった。
 力の有無に関係無く、音楽を聞き、テレビを見、そしてゲームに明け暮れていた。
「確かに不思議ではあるわ。あなたたちは力を得てもそれに頼って暴走しない。本当なら正義を振りかざして馬鹿な真似をする人間が出て来たっておかしくないのに……」
「それについては僕なりの考察はありますよ」
「訊かせてもらえる?」
 飢えているんですよとリックは言った。
「セカンドインパクトの後遺症に悩まされ、苦難の中で生きることを余儀なくされた人たちを父や母に持つ僕たちは、生まれながらに基本的な部分を満たしては貰えないまま大きくなりました。それは至極基本的な部分なんですよ。例えば自由に砂遊びをさせては貰えなかった。汚染による毒の心配があったから。例えば玩具を貰えなかった。そんなものを生産し、販売する余裕のある企業など、どこにも残ってはいなかったから」
 またもシンジのことが思い出される。
(シンジ君も親戚の家では、そんな扱いを受けてたっけ)
 欲しいと我が侭を言ったことがあるのだろうか? それさえも疑わしい。
「エヴァが基本的に同じものであるのなら、発現した時の違いとはどこから来るのか?」
「願望……」
「でしょうね。本能的にそれを悟っているのかもしれません。力の存在が僕たちに安定をもたらしてくれた」
 リックはミサトの顔色に気がついた。
「その様子だと……わかってくれたみたいですね?」
「この間の、レイノルズって子の暴走……それにマサラ」
「そうです。僕たちは異常なくらい自身の力に固執している。失うことを、そしてその力を認めて貰えないことを恐れている。そうでしょう? やっと平穏を得たんですよ。今更それを失うことなんてできはしない」
 もちろんと彼は付け加えた。
「それだけでは説明が付かないこともありますし、第一僕が知る範囲での事柄を参照した想像に過ぎませんから」
 ミサトはふぅっと吐息をこぼした。
「確かにそうね。『そうとも見える』、それだけだわ」
 でもと告げる。
「どうしてあたしにそんな話を? むしろ赤木博士こそ相応しいんじゃない?」
「それはこれからの話にかかって来ます」
「これから?」
 そうですとリックは頷いて見せた。
「確かめたいことがあるんです。この月の中心のことです」
 ミサトは値踏みするような目をしてリックを見つめた。
「なにをするつもりなの?」
「行ってみようと思います」
「中心に? 無理よ! 今は発掘作業も調査も全て凍結してるのよ? 新しい道も見つかっていないわ」
「でも僕にはアポーツがある。なんなら瓦礫や通路を塞いでいるものを全て別の場所に転移させても良い。道は作れます」
「マジなの?」
「はい」
 そこでとリックはミサトを誘った。
「あなたに同行して頂きたいのです」
「あたしに?」
 ミサトは喉元に突きつけられた穂先に怯えもせずに睨み返した。
「ますますわからない話ね。なんであたしを?」
「それはあなたが葛城調査団の生き残りだからですよ。月の崩壊を直にその目で確認されたあなたこそが、真実を見納めるに相応しいと思いました」
「……一人で行けば?」
「それはできません。僕はそれほど僕を信じて居ないから。僕だけではきっと都合の悪いことは都合よく解釈し、真実をねじ曲げて事実を捏造してしまうから」
「あたしを巻き込もうって言うのね?」
「はい」
 ミサトの肩から力が抜ける。
「OK……いいわ。わかった。付き合いましょう」
「ありがとうございます」
「でもそこまでして求める真実にどんな価値があるの?」
「わかりません」
 ミサトは苦笑して車のドアを開いた。
「そりゃそうか……助手席に乗って」
「え?」
「エヴァでも通れる通路なのよ? 行けるとこまでこの車で行きましょう」
「ありがとうございます」
 リックはミサトの割り切りの良さに面食らいながらも助手席に回った。
 乗り込んで、シートベルトを占める。手にある槍は長さを変えて、二の腕ほどのものになっていた。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。