「ちょっと待ってください」
 リックは両足を肩幅ほどに開くと、正面の傾斜している壁を睨みつけた。
 えぐれるように一面が消える。消え去ったはずの物体は、ミサトのさらに背後へと落ちた。
 かなりの大きさだけに、ズシンと響いた。
「見事なものね……」
 その所行に目を丸くしているミサトである。
「そうですか?」
「便利で良いわ。土木課の連中が喜びそうよ」
「発掘隊ではなくて?」
「ええ」
 ミサトは苦笑し、やや演技がかった形で肩をすくめた。
「だって発掘に従事してる連中は、掘るのが楽しみでやってるんだもの。自分の手で、じっくりとね」
「なるほど」
「何が出てくるか……それを期待してやってるのよ。簡単じゃ面白くないわ。ある種彼らが求めているのはギャンブル性なの。何が出てくるか分からない。あるいは何も出てこないかもしれない。そんな賭ごとに似かよったものに酔って土を掘るのよ」
 リックは二度目の排除にかかった。
「ですが……」
 ズシンと震動。
「上層の土石については、確かに長年の土砂の流入によるものだと分かります。でもこの辺りの壁はどうでしょうか?」
 道を塞いでいるものは、光沢さえも放っていた。
「これは明らかに人工の壁だ」
「隔壁じゃないわね」
「なんだと思いますか?」
 ミサトには一つだけ心当たりがあった。
「知ってる? ベークライト社が開発した固化特性を持った液体のこと」
「大気に触れると数秒で硬化するというあれですか? まさか、これも?」
「あたしが同じものじゃないかって感じてるだけ」
「となれば技術漏洩はずいぶんと前からしていたことになりますね」
「利権を漁るためか、それとも」
「それとも?」
 リックは道を掘るのをやめてミサトの答えを待った。
「なんです?」
 焦れるリックに、仕方なしと打ち明ける。
「ただの憶測よ。国連や各国を黙らせるためには相応の資金力が必要になるわ。そしてセカンドインパクトの影響で貧窮している各国にとっては、資金力ほど逆らえないものはない」
 まさかとリックは大声を放った。
「セカンドインパクトが仕組まれたものだと?」
「そこまでは……でもそうかもしれない、そういう可能性もある」
「……」
「真実は分からないわ。ただセカンドインパクトの後にそれまでには開発されていなかったようなものが世界中に溢れ出した。例えばN2爆弾なんかね。それを考えるときな臭いものが外せないわ」
 しかしミサトは、それはないと考えていた。なによりも発令所で見たゲンドウとリツコのやり取りのことがまだ脳裏に焼き付いていたからだ。
(セカンドインパクトの真相を知る者たちが、事実の隠蔽と工作を謀るために急ぎやむなくと言った感じで、白き月から回収していた技術のうちから、当たり障りのないものをお金に換えた。そうとも考えられるのよね)
 そしてその者たちは、豊富な資金を持って黒き月を独占した。
(……でも時間系列に合わないか。この月の発見はセカンドインパクトによる偶然のものだものね)
 地軸が動いてしまうほどの激震によって、月は地球内部に落ち込もうとした。その結果生まれたジオフロントと呼ばれている空白の世界。あの空洞がこの月の発見のきっかけになったのだから。
(その辺も……まだ繋がらない)
「わたしもまだ知らないことが多すぎるわね」
「……僕よりは知っていそうですが?」
「皮肉らないで。本部付きの幹部って言ったって、使いっぱしりも同然なんだから」
「そうですか……」
 リックは掘削作業の続きに入った。
「でもこれ……。もし先に進めないようにするためのものだとしたら、これをやった奴はどちら側の存在だったんでしょうね?」
「どちら側?」
「……侵略側か、防衛側か」
 ミサトは軽く返しかけて、それが意味するところに気がついた。
「そっか……。防衛側だとしたら、入られたくないからで、侵略側だとすれば、見なかったことにしたかったものがある、そういうことになるのね」
 いや待てよとミサトは思った。
(リリスは? あれはどこから出てきたものなの?)
 それ以前に、今リリスは一体どうなってしまっているのだろうか?
 気がつけば情報があふれすぎていて、大事なものさえ特定できなくなってしまっている。処理しきれなくなっている。
 ミサトはそんな苛立ちを感じて、この先に答えがあるのだろうかと思い悩んだ。


 各地を襲う地殻変動にようやく収まりが見え始めた頃、人々の営みにも全盛期の影と形が戻り始めた。
 今日を生き抜くことに必死になっている人々と、自己保身に走り、国民のためを思って日々奔走しているとうそぶいていた政治家たちとが、メディアの復活を契機に、互いの今を見始めたのである。
 現状の認識はわずかに政治家が先を制した。市民から村民、あるいは流浪の民と化していた彼らには、政治などというマクロな世界での出来事になど、とてもかかずらわっているゆとりがなかったのである。
 事実、政財界がそのような人民を救うために動き出すまでに、マスメディアの復活からさらに一年の時を要した。
「ようやく配給品が届くようになったな」
 彼はそう言って、大きな段ボールの箱を下ろした。
「中身はなに?」
「コーンと小麦だよ」
「あまり不満を言うものじゃないわ」
 夫と息子の会話に、妻が手を前掛けでぬぐいながら口を挟んだ。
「セカンドインパクトのせいでどこの農場も全滅だもの。備蓄も全部埋まったり燃えたりで……。農家の人たちに感謝しなくちゃ」
 もちろんだよと、箱の中身を漁る子──リックの首根っこを掴んで持ち上げながら、彼は口にした。
「俺が言いたいのは、道路の整備状況のことだよ。この辺りの道はどこも不通に近い状態だったからな」
「ああ……」
「二千年代に入って人足がもっとも金の儲かる仕事なんだから」
「大変でしたね」
「おかげでこんなに筋肉が付いたよ」
 笑って力こぶを作って見せる。
「交通路が回復すれば、次はガスや水道だな」
「電気もですね」
「リックにも電球ってものを教えてやりたいな」
「教えると言えば……」
「なんだ?」
「今度協会にいらした司祭様、毎日学校を開いてくださって」
「へぇ! 学校か……」
「リックも毎日楽しみにしてるんですよ? 友達もたくさんできましたわ」
「そうか……」
 彼は感慨深げに口にした。
「俺たちは学校なんて面倒で行きたくなかったものだけどな」
「飽きが来る……んでしょうね。慣れてしまうと」
「そうだな」
「特に義務になると面倒で……。人が多いとそれだけで憂鬱にもなるし」
「お前のことか?」
「そうですよ」
「そうだな……。俺もそういう覚えはあるよ。一人になりたくとも行けと命令されると行くしかないんだよな。その上で無遠慮な視線や言葉にされされて……鬱にもなるさ」
「一足す一や、一掛ける二を覚えることは楽しかったわ。でも歴史や地理となるとね」
「覚えるのも億空か?」
「あなたは成績が良かったけど?」
「すねるなよ……頭の差なんかじゃないさ、教師の差だよ」
「そうですか?」
「ああ……俺が教わった人は教え方がうまかったんだよ。どこそこの国ではこんなことがあったってな、下手な本を読んだりテレビを見るよりもよほどエキサイトさせられたよ。おかげであああの話の国かって、忘れることがなかったんだ」
 二人は戸口の外からの含み笑いに、怪訝そうな顔をした。
「どなた?」
「失敬」
 見せられた顔に驚きを表したのは、夫である彼だった。
「先生?」
「久しぶりだね」
「こりゃ……驚いたな、どうしてここに?」
 この格好を見てわからないかねと初老の男は帽子を取った。
「……いつから軍に?」
「半年前からだよ。これでもベトナムの経験者でね。わたしのような老骨を引っ張り出さなければならないほど、軍は困っているのさ」
「なるほど……」
「実はこの街に来たのも、配給する物資を運ぶ……ああ、おかまいなく」
 二人が話し込んでいる間に、婦人は奥に茶と座る場所を用意していた。
「良い家だね」
「ぼろ小屋ですよ」
「いや、俺はもっと酷い場所を見てきたよ。家を建てる技術を持った人間が居なかったんだな」
「そこは……どう?」
「全滅だ」
 重苦しい沈黙が漂った。
「セカンドインパクトの結果地軸がずれてしまったらしい。これまでの気候のつもりでろくな設計もしないで戸板を柱に貼り付けただけの家に住み込んで……そのまま凍死だよ」
 そうですかと彼は席を勧め、自分も腰掛けた。
「こちらでもこれまでと違って、大寒波に襲われましたよ。冬に強い人間が居たもので助かりましたがね」
「冬の備えは?」
「皆感じていましたから……。どこか気候がおかしい、湿度や風が自分たちの知っているものではないと、それで用心して、間に合いました」
「たくましいのだな、この辺りの人間は」
「田舎でしたから」
「そうだな。都市圏は酷いものだよ。ビルに潰されるだけならまだしも、生き残る術というものを知るものが居ない。皆がれきや地下の隙間に逃げ込んで……」
 ありがとうと彼の隣に腰掛けた女性に礼を告げて、カップを手にする。
「うまいな、なんのお茶ですかな?」
「聞かない方が……」
「草の根っこですよ」
 彼女は夫に対して、あなたと軽くたしなめたが、それは飲まされた本人が笑い飛ばした。
「気になさらずに。フィールドワークに飛び出しては、腹が下るようなものばかり口にしていましたからな」
「悪食でしたね、教授は」
「木の皮をガム代わりに囓ったあげく、ヤニがアクセントになってうまいなどとほざいていたヘンタイほどではないがね」
 彼は妻がわずかに距離を空けたことにまずいと感じたのか、咳払いをしてからわざとらしく訪問の理由を問いかけた。
「実はだね……」
 彼は現在、軍でもそれなりの位置にいると語った。
「ネルフ?」
「今はゲヒルンというんだが……直にそう変革されることになる」
「どういった組織なのですか?」
「それは今は話せんよ。ただこれだけは言える。君の能力のすべてを注ぎ込める場所であると」
 それからと彼は付け加えた。
「これはずるい言い方になるが……楽な暮らしをさせてやることもできる」
「それは魅力的ですね」
「蔑んでもらっても良いよ。そこまでしてもわたしは人を集めなければならない」
「いえ……。むしろこちらこそ軽蔑してもらってかまいませんよ。もっとも、その条件に心が揺らぐわたしを小馬鹿にするのなら、是非ともこの家屋で一年を暮らして見せてもらいたいものですが」
「そうだな……」
 彼は立ち上がると、帽子の頭を押さえ、つばを押し下げるようにして問いかけた。
「軍の医療班が今抗生物質を住民に打っている。奥さんと息子さんにも診断を受けさせなさい」
「はい」
「わたしも医療班の活動が一段落するまでここに留まる。その間に返事を聞かせてほしい」
「わかりました」
 しかしそう答えていながらも、彼の腹は決まっていた。
(問題はリックにどう言い聞かせるかだな)
 見知らぬ人に人見知りして逃げたのか、姿が見えなくなった息子のことを思いやり、彼は頭を悩ませた。
「学校……。新しい土地にも、ここのような楽しい学校があれば良いが」



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。