二人の関係は親密さを増しながらも、一線を越えるところにまでは至らなかった。
 そう言った意味においては実に健全な付き合いにあり、特にみだらがましい行為もなく、ただの友人に過ぎなかったのである。
 そんな二人が転換期を迎えることになったのは、リックがエヴァと呼ばれる不思議な能力に目覚めてしまったためであった。
「相変わらずね」
 マリアはようやく荷で埋まり始めた貨物室の隅にリックを見つけて苦笑した。
 今ではちゃんと照明が灯されている。完全な無人というわけではなく、ちゃんと警備の歩哨が立ってもいる。
 それでもリックはこの場所に潜り込んでいた。
「マリア」
 マリアは腰に手を当ててため息を漏らした。
「あなたの意見が通ってちゃんとノートが用意されることになったのに、どうしてそんなに床が好きなの?」
 リックは口元に苦笑を貼り付けた。
「部屋には監視モニターがあるからね。落ち着かないんだよ」
 マリアは言葉に詰まらされた。
「リック……」
「ねぇ? どうして神は僕にこんな力を与えたんだろうか? 僕はその答えが欲しいんだ」
「だからと言って、こんな場所で方程式を解いていても」
「これはただの気晴らしだよ。気を紛らわしていないと落ち着かないんだ」
「そう……」
「そう……って、それだけ?」
「それだけって?」
 リックは立ち上がると、膝に付いた汚れを払った。
「慰めてくれるのかと思った」
 嘆息が返される。
「その場限りの慰めを喜んでくれるほど、単純な作りはしていないでしょう?」
 言ってくれるよねと、リックは額をつついた指を払いのけた。
「他の子のようにその力を楽しまないの?」
「楽しむ?」
「ええ」
 はっとリックは笑い飛ばした。
「なるほどね。マリアたち大人はそう見てるわけだ」
「見てる?」
「だってそうだろう?」
 倉庫内に反響するのもかまわずに大声を出す。
「どうして僕たちがこの力を存分に振るわないのか? それを考えずにただ便利な力を持った人間は身を崩すと考えて拘束する。立場を与えて不自由にして、こんな牢獄に閉じこめている。順番が逆なのにね。君たちが鬱屈させるから、ストレスが溜まって、僕たちはこの力を使って逃げ出そうと画策し始める」
「あなたも?」
「考えたことは何度でも。実際僕の力は物体牽引(アポーツ)だけど、遠くの空間を引き寄せることでテレポートととして代用もできるんだ」
 空間そのものを引き寄せた場合、リックという存在は空間の修復力に負けて移動を余儀なくされるのだ。その結果自分が引き寄せようとした場所に持ち去られてしまうことになる。
「だけどそれも馬鹿馬鹿しいと知っているから」
「馬鹿馬鹿しい?」
 だってそうだろうとリックは言った。
「僕たちに逃げ場所なんてないんだよ? 行き場なんてどこにもないんだ。どんなに辛くたってここに居るしかない……ここは好い世界だけどね」
 わかるかとリックは問いかけた。
「なんでも揃っていて裕福だったころを知ってる大人たちにはわからないと思うよ。テレビに電話に車に飛行機。そんな世代にしてみれば足りなかったのは僕たちが持つような力だろう。でもね、僕たちにとって足りないのはテレビに電話に車に飛行機なのさ」
 マリアはあえて訊ねてみた。
「森が恋しくはないの?」
「帰りたいよ」
「でも帰らないの?」
「だってそれはただの感傷に過ぎないじゃないか。あのころに帰りたい。でもね、ここは凍死する心配も、餓死する心配も無い場所なんだよ。感傷のために苦労するのは馬鹿のすることさ」
 マリアは目を伏せるようにして頭を振った。
 本当はその馬鹿なことをしたいと考えているのがわかったからだ。
「お父さんとお母さんのためなのね」
「違うよ。文明に毒されただけさ。特にテレビゲームは気に入ったよ」
 マリアはさらに言い募ろうとした。しかし彼女を呼ぶ大きな声がして、マリアにはリックの真意を問いつめることができなくなった。


「オルジュ……なんの用なの?」
 オルジュという男は黒い肌の男だった。黒人特有の黒である。身長は二メートル近くあり、マリアはまさに見上げるようにして彼と目を合わせなければならなかった。
「なんの? なんの用だと?」
 つるんとそり上げられている頭が電灯に光っていた。
「こいつは驚いた」
 彼はぴしゃんと自分の顔を手のひらで覆った。その指の隙間からマリアを睨んで、やけにきつい口調でもって問いつめた。
「お前はなにを考えているんだ?」
「なに?」
「好いか? 俺たちは連中の管理人に過ぎないんだぞ? それがわかっているのか?」
 マリアは唇をすぼめるようにして言い返した。
「管理人じゃなくて、監察官よ」
「同じことだ!」
 はっとオルジュは笑い飛ばした。
「連中は俺たちに対して監視されてるって意識を持ってやがるんだよ。なぁ、わかってるのか? 下手なことをして犯されでもしたらどうする?」
「オルジュ……。考え過ぎよ」
「どうだか。ダウンタウンじゃ連中の仲間による事件が多発してる。お前だって資料は見たはずだ。十になったかどうかの子供が犯された上に殺されたんだぞ? その上犯人のガキは隠蔽するために能力を使って死体を液体に変えてやがった。俺たちは敵なんだよ。その敵の女が目の前でへらへらしてりゃあ、獲物だと見られても仕方ないんだ」
 やめてと言って、マリアはオルジュを押すようにした。
「あの子たちは人間よ。間違いなく」
「そうだな、だからこそ信用できない。聖者じゃない以上罪を犯す、そしてその罪は力がある分だけ」
「どうしてそこに行き着きたがるの?」
「お前が心配だからだよ」
「オルジュ……」
 マリアはこれみよがしに嘆息した。
「幼なじみのあなたにこんなこと言いたくなかったけど。わたしはあなたの彼女じゃないのよ?」
「わかってるさ」
「なら独占しようとしないで。わたしを自分の好みの型にはめようとしないで」
「マリア」
「わたしたちは好い友人ではあったけど、少なくともわたしはそれ以上の感情を抱いたことなんてなかったわ」
「ならあの子供にならあるって言うのか?」
 それこそマリアを呆れさせる反応に過ぎなかった。
「相手が男の子なら、どんな相手だって好き嫌いに結びつけようとする。そんなにわたしが欲しいの?」
 体躯とは正反対の、どこか気弱な部分がオルジュに見られた。それは嫌われることに対する怯えそのものだった。
「マリア……」
「あなたはわたしをずっとそういう対象として見て来たのね。でもねみんなそれぞれに違った感情を抱いてわたしという人に接してくれているのよ。みんなあなたと同じだとは思わないで。みんなを自分に当てはめてみないで。みんながみんなあなたの同類じゃないのよ。想像力を身につけて」
 押しのけるようにして去る。
 そんなマリアの背中に、オルジュの叫びが叩きつけられた。
「だったらマリアはどうしてあのガキをかまうんだ!? 金か? それとも力か!」
 マリアは鋭い舌打ちをした。
 それはオルジュがリックの父親、つまりはこの『施設』の長官のことを念頭に置いて、さらなる下種な発想を行ったことが、容易に分かってしまったからであった。


 シンジは一つ気になることを問いかけた。
「アメリカの……実験施設って言うと、この間消えたって言う」
 カヲルは重々しく頷いて、そうだよと告げた。
「じゃあ、リック君のお父さんは」
「消えたよ。施設と数千人の人間ごとね」
「……」
「心に傷を持つ人間は二種類に分かれて育つ。一つは傷つくことを恐れるあまり人を傷つけて逃げ回る者。もう一つは傷つけることに抵抗感を抱いて甘くなる者だ。彼のお父さんは非常に甘い人間になっていたよ」
「知ってるの?」
「当然さ」
 カヲルは遠い目をして小さく漏らした。
「僕はいろんな場所へと鎮圧のために駆り出されたからね。その中には表には決して出ることのない陰惨な事件だってあったのさ」
 一体何があったんだろう?
 シンジは自分には想像もできないような問題が、外の世界では起こっていたのだとようやく知った。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。