「目標の痕跡を確認」
 手元の小さなモニターに表示されているのは青い車だ。
 ミサトが乗り捨てていったものである。
「ここからの追跡はトライデントでは無理です」
『そう。ならあなたはそこで待機して。後は追跡班に任せて』
「了解」
 こうべを垂れるように舳先を下げて、トライデントは腹這いになった。
 駐機状態に移行して、抱えていた人員や装備品の荷下ろしを急ぐ。
「第一小隊は第二小隊のフォローを。第三小隊はベースの設置を急げ!」
「第三第四小隊で第一中隊を編成しろ! 先行する二小隊の確認を待って出発!」
「トライデントと通信機を接続しろ! その上で有線をのばす!」
 もちろんそれらの怒号は本部発令所にも伝えられている。
「……彼がミサトを連れて行ったのは正解だったわね」
「は?」
 リツコは、分からないのかとマリアに訊ねた。
「彼に人を傷つけるつもりがあるのなら……」
 はっとする。
「逆に言えば、彼女が無事であるのなら」
「そう……それはとりもなおさず、彼に人を傷つけるつもりなど無いのだという証明になるわ。でももし一人でこんなことをしでかしていたら……」
「強行な手段が許可されていたと?」
「こちらにはシンジ君が居るもの。そういうことなのよ」
 マリアは先の事件のことを思い出してぞっとした。
 碇シンジが普段はおとなしい少年であることは知っているのだが、同時に感情に支配された時には、その力を振るうことをいとわないとも、十分に知らしめられてしまっていたからである。
 周囲への被害などまったく考慮しないのだ。例えば先ほどトライデントが降下していった大穴も、シンジが感情まかせに作り出してしまったものである。
 しかしリツコには、彼女とは別の方向での懸念があった。
(もしシンジ君が、彼の言葉に同調したら……)
 シンジは確かめるために、月の中枢へと向かうかもしれない。
 それはサードインパクトへと繋がる可能性が高いのだ。
 起こるかもしれないし、起こらないかもしれない。
 だがリスクが少しでもあるのならば行かせるべきではない。
 それがリツコの考えだった。


「それでは紹介するわね。こちらがドイツから来た渚カヲル君と、ゴルゴンジュール君よ」
 よろしくと手を差し出したのはカヲルだった。
「カヲルで良いよ」
「僕はリック、こっちはマサラだ」
「よろしくー」
 マサラが背伸びしてよっと手を挙げたのは、ゴルゴンジュールに対してだった。
「ゴリアテで良い。ずっとそう呼ばれてきた」
 ゴルゴンジュール──ゴリアテは、むっつりとした顔でそう告げた。
 チルドレンたちの交流は、ラウンジの片隅で、こうして和やかに始まった。
 しかし大人たちについては、そうもいかない様子であった。
「ゲイザーさんは、なにを?」
「コーヒーをもらおう」
 ぞんざいな男だなと思いつつ、マリアは彼のためにコーヒーを運んでやった。
「どうぞ」
「ありがとう」
 ひとつ口を付ける。
 それから彼は、じっとマリアの顔を見つめた。
「なにか?」
 カップを皿に置く。
「君の話は聞いている」
「わたしの話?」
「そうだ。君は彼と付き合っているそうだな。ナンバーズと……」
 それがと剣呑な視線で言いかけるマリアの行動を、ゲイザーは先回りするようにして押しとどめた。
「からかうつもりはない。揶揄するつもりもな。どう見られているかは今更のことだし、それについての覚悟も決めているのだろう?」
 マリアは唇をすぼめて言い返した。
「こびを売っている。そう言われています」
「だろうな」
 彼はその点には興味がないのか、そっけなかった。
「もし彼らのような人種がこれからも増えていくのであれば、これまでの格式や権威はその力の前にかすんでしまうことになるだろう。ヨーロッパの貴族などは、もっと露骨に彼らを取り込もうとしているよ」
「わたしもその仲間に見られていると?」
「どうかな? ここは自由の国だ。さげすみを向ける連中は、必ずと言っていいほど開き直って居るものだよ。自らの行いを省みないためにな」
「確信犯……ですか」
「そういう卑しさがなければ、数百年もの長きに渡って、脈々と血脈を続けることなどできはしないさ」
 そういう話がしたいわけではないと彼は言った。
「ナンバーズと呼ばれる特異能力者は確かに驚異ではあるが、彼ら自身の発想は子供の域を出るものではないのだよ。だが力を持たされたが故に責任感を持たざるをえなくなり、大人ぶるしかなくなっていく。そういう人間が君のような大人に依存を始めた時、もろさを露呈するのではないかと気になってね」
「あの子はそれほど弱くはありませんが」
「どうかな? 大人に見えていても、子供の顔をのぞかせることがある。そういうことはなかったかな?」
 マリアはマサラにからかわれている時のリックのことを思い出し、そういうことかと納得した。
「確かに……そうですね。わたしが大人である分だけ、彼は釣り合いの取れた態度を取る必要があると思っているかもしれません」
「そのストレスが過度に精神を疲労させる。ならば付き合いをやめればいいのだが……」
 きつい目をしてマリアは先を促した。
「なんでしょうか?」
「怒らないで欲しい。恩や情は縁への未練を強くする。そう言いたかっただけだよ」
 マリアは睨みつけたままで口に出した。
「まるで別れた方が良いと言っているように聞こえるのですが?」
「君は管理者の側に居る人間だからな。その人間が監督するべき対象と仲が良ければ、どうしたってひいきをしていると見られることになる。君自身についても、不的確ではないのかと疑いの目が生まれ始める」
「そんなこと……」
「もう生まれているか?」
 こくんと頷いたマリアに対して、彼は甘いなと付け加えた。
「ドイツから来ているわたしの耳にも入っているということが問題なのだよ。君には幼なじみの男性が居るようだな?」
 マリアは眉間にしわを寄せた。
「オルジュ?」
「そんな名前だったか……彼は感情を制御する術を知らんらしいな。吹聴して回るのも、毒気せいばかりではないらしい」


 マリアが正常ではなくなっているのだなと、幼なじみのことで頭を痛めてしまっている横で、チルドレンたちは決して軽くはない話題について触れていた。
「その服は?」
「これかい? 日本の学校の制服だよ」
「学校にユニフォームがあるんだ?」
「似合っているかい?」
「ううん。ぜんぜん」
 はっきり言ってくれるねと、カヲルは傷ついた顔をした。
「じゃあ、僕にはどんな服が似合うのかな?」
「ん〜〜〜」
 唇に指を当ててマサラ。
「白のスラックスに黒のタンクトップ? でね、脇からちらちらっとチクビ見えてんの」
「ち、ちくび……」
「でもって頭はムースで濡れたみたいにしてね。ふぇろもんブリバリ?」
 この子はとカヲルはリックに問いかけた。
「こんな子なのかい?」
 そうだとこめかみをもみほぐしながらリックは答えた。
「僕も苦労しているよ」
「それはご愁傷様だね」
 軽く肩をすくめる。
 そんなカヲルに、今度は僕の番だとリックが口を開く。
「君はどうしてここに?」
「おかしいかい?」
「……渚カヲルの噂は聞いているよ」
 どうしてもそうなってしまうのか、リックは声を潜めてしまった。
「正直……君の噂については良いものを聞かない」
「それは仕方のないことさ。僕の役割を考えればね」
「役割?」
「どんな組織にも警察機構があるように、僕たちナンバーズの間にも、自浄を行う存在がどうしても必要になるとは思わないかい?」
「君がそうだというのか?」
「僕の力がもっともそれに適している。そういうことだよ」
 君はとリックは口にした。
「君もそうなのかな?」
「僕もって?」
「以前から持っている疑問なんだけどね。どうも本当に望んでいる力とは違ったものを僕たちは得ているような気がするんだよ」
「そうなのかい?」
「いや……だとしたら安心できると思っただけさ。僕たちを断罪する側に居る君だけど、その役割が望んではいない力によって与えられてしまったものならば、君は好きでやっているわけではないということになるからね」
「でもその考えはやめて欲しいね」
「どうして?」
「僕が辛いからさ」
「辛い?」
「だってそうじゃないのかい? 僕は色々とあってようやくの思いでこの役割を受け入れたんだよ? 君の論説はそれを覆してしまうんだ」
「そうか……」
「そうだよ。僕は僕なりに納得してこの仕事をやっているのさ。その話は僕自身の中にある抵抗感や嫌悪感を、再びくすぶり出させる者になる。そうなれば、僕は辛いよ」
 やめちゃえば良いのにと言ったのはマサラだった。
「本当にね……やめられたら良いと思うよ」
 しかしあまりにも酷薄な微笑の仮面が邪魔をして、それが本心からの言葉であるのか、リックとマサラにはうかがい知ることはできなかった。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。