その時カヲルが浮かべた笑みは、過去に浮かべたものに酷似していた。
「辛かったの?」
 シンジはおそるおそるといった感じでカヲルに訊ねた。
「なのにそんな役割を?」
「シンジ君には……」
 カヲルは不気味な笑みを押し隠した。
「分からないかもしれないね。引っ込みが付かなくなることもあるんだよ。引き際を間違えると、進むしかないんだと強迫観念に駆られてしまうということもあるのさ」
 シンジは言い返そうとしてできなかった。
 他者や物に対して強い執着心を持たぬようにしてきただけに、こだわりを確かな意味で理解することができなかったからである。
「カヲル君にも、そんなことが?」
「話さなかったかい? 僕にだって『最初』があったよ。力をなくした『彼女』がどんな目に遭わされたか。僕にはそれを止める力がなかった」
 陽光に手を透かす。
「片手落ちなこの力、僕が守るべきは仲間ではなく身勝手な人々。先に生まれているからというだけで従える権利があるのだと訴える馬鹿な人たち。どうすれば投げやりにならずにいられるんだい? 昔の僕はそうだったんだよ」
「今は?」
「君たちに触れて、考えを改めた。そのことについては語るまでもないね」
 しかし語らなければならない話もあるからと、彼は物語の続きへと戻ることにした。


「正直に言って、僕は日本に行く途中なのさ。ここで世話になるのはゴリアテだけだよ」
 リックはではどうしてと問いかけた。
「なんのために、アメリカに?」
「僕が行くのは日本だよ」
「日本……本部か」
「そう。これまで本部は聖域とされていた。そこに支部から手を入れようというのさ」
「怖い話だな」
「本部が独走しているのではないかという懸念は強いものだからね。それに本部のナンバーズは別格とも言える能力者たちだ」
「強いと?」
「単純な力で言えばどうなんだろうね? まあ戦いに行くわけではないさ。その力を間違った方向にゆがめていないか、僕はそれを確かめに行くんだよ」
 ここに寄ったのは日程の調整のためだと告げた。
「本当は外のホテルでも良かったんだけどね」
「拒否された?」
「それもある……けど僕が嫌ったのさ」
「なぜ?」
「僕にある力は君たちのようなものではないからね……人を害するためには使えないんだよ。なのにもし能力者(エヴァリアン)をねたんだり恨んだりしている連中に襲われたなら?」
「なるほどね……君は僕たちの天敵だけれど、その君にとってはただの人の方がやっかいである。そしてその人たちにとっては僕たちが……みごとな連鎖だ」
「絶対数……個体数の差に問題があるけどね」
 その言葉には、どうなのだろうかとリックはいぶかるような表情をして見せた。
「潜在的な能力者が居る。そして未登録の能力者も。なら君と同じ能力を持った人間も居るのかもしれない」
「増えるのかもしれないね……でもそれはないだろう」
「どうして?」
「だってそれじゃあ、発現はなんのために起こったんだい? 能力者が生まれて、その能力を奪う者が生まれて、相殺が起こるのなら、最初からこんな力は発現しなくても良かったことになる」
 しかしとリックは反論した。
「こじつけだろう、それは」
「そうかな?」
「そうだよ。能力の発現に意味なんてないさ。きっとただの偶然だよ。こういったものに意味を求めるのは人間の悪い癖さ」
「神様が定めたとは思わないのかい?」
「僕は神様を信じない」
「どうしてなんだい?」
「いや……信じたくないというのが本当だね。だって神様を信じると、そこですべてを解消してしまいたくなるからね。神様だけが本当のことを知ってくれている。それは安易な逃避だよ。僕は向かい合って生きて行きたい」


 祈ったところでパンは手に入らない。
 だが奪い合えば心はどんどん曇っていく。
 だからというのがリックの考えであったのだが……。
「頭いたい〜〜〜」
 マサラはふらふらと右に左に廊下をふらついた。
 ガンッと壁に側頭部をぶつけて反動でよろめく。
「う゛う゛う゛〜〜〜」
 呆れてみているリックである。
「なぁにやってるんだよ」
「リックが難しい話を始めるからじゃない」
「じゃあ聞き流してりゃ良かったんだ」
 マサラははっとしてから、悔しげに呻いた。
「そうすりゃ良かった」
「……」
 変なところで生真面目なマサラに頭痛を感じる。
「まじめに聞いてて損したぁ!」
「だからって俺に当たるなよ」
 そんな二人が自分たちの部屋へと引き上げようとしていたところ、廊下の先の角から聞き慣れた罵声が聞こえてきた。
「ヘイト!」
 オルジュの声に、なんだと返したのは、政府機関より派遣されている男であった。
「わたしは忙しいのだが?」
「あなたはいつだってそうやって逃げる!」
「君の話はつまらないからな」
 なんだろうと思ったが、リックは関わり合いになるのを恐れた。苦手だからだ。
 マサラも同意見らしく、道を戻るのに反対はしなかった。しかし続いて聞こえた言葉が、二人の足を止めさせた。
「つまらないとはなんだ! 保護管理官が一介のチルドレンと通じているんだぞ!? それが重要なことではないのか!?」
 君が言うのはと、ヘイトは疲れた声音で問いかけた。
「リックとマリアのことかな?」
「そうだ!」
「あいにくとわたしたちは個人の恋愛について干渉するつもりはないよ」
「しかしマリアは一個のチルドレンに対して特別な感情を抱いている。これは管理官として不適切だという証拠なのではないのか!?」
 嘆息が漏らされた。
「で、君以外の誰がそのことを問題にしている?」
「それは……」
「良いんじゃないか? 人同士が好かれあって共になる。自然なことだ。我々もチルドレンも同じ人なのだということを、マリアは身をもって証明しようとしてくれている。これを否定する理由はないな」
「だが立場というものがあるだろう!」
「まあそう()くな」
 ヘイトはその内マリアはやめることになるのだからと告げた。
「職を解かれるのか?」
「いや。退職するだろうという予測だよ。あくまで」
「退職?」
「結婚退職さ」
「結婚!? 誰と!?」
「リックに決まっているだろう?」
 驚きからか、彼はぱくぱくと口を開け閉めしてあえいだ。
「なん……だって?」
「上が乗り気なのさ。双方の親も。その上で当人たちにも依存がないなら問題はあるまい?」
「問題だらけだ! どうして……」
「リックは数年間ここにこもることになりそうだからな。リックの側にとってはチルドレンの妻になってくれようという奇特な人間だ。マリアの側にとっても貴重で有力な能力者だ。気持ちが離れようとも別れることができないように、楔を打つ必要があると考える。まあ、ありがちな政略結婚の流れだよ」
「そんなことのために!」
「そんなこと?」
「そうだ!」
「さあ、それはどうかな?」
「なんだと!?」
 良いかと彼はオルジュを睨みつけた。
「このことに関しては、国家レベルでも関心が寄せられている。チルドレン同士の子供はやはり能力に目覚めるのか? 能力の発現を迎えられなかった世代の人間との間の交配ではどうなのか? 彼女たちはそのモデルケースの一つとなる」
「実験材料にするというのか!?」
「観察するだけさ。俺たちは何もしない。あくまで見ているだけだよ。これから生まれる何千何万というケースの一つとしてね。統計を取るだけさ」
 ヘイトは人の気配を感じたのか、リックたちが潜んでいる方向へと視線をきつくした。
 廊下の先の曲がり角、観葉植物の向こう側に、さっと引っ込んだ人影を見て、彼は話を切り上げることにした。
「これ以上の話は無用だ」
「だが!」
「プライベートには干渉しない。これは米国ならびに本部の意向だ」
「本部の……」
「そうだ。チルドレンたちの自主性を重んじる。彼らが反対しない限り。君の進言に耳を傾けるつもりはない」
 なおもなにか言いかけたオルジュだったのだが、彼は不穏な空気を孕んで口にした。
「チルドレンが反対しない限り?」
「そうだ……なんだ?」
「反対すれば、考えるんだな」
「そうだが……なにを考えている?」
 余計な知恵を付けさせてしまったかと舌打ちする。
 しかしオルジュの態度を見てみれば、後悔しても遅いことは明らかであった。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。