「惣流さん」
 昼休み。
 友人と弁当を広げようとしていたアスカだったのだが、かけられた声にその手の動きを止めて不機嫌に応じた。
「なによ?」
「あの……ちょっと良いかな? 話があるの」
 アスカは面倒だなぁと思いながら席を立った。
 その相手が相手であったからである。
「アスカ?」
「ヒカリ、悪いけど先に食べてて」
「わかった……」
 ヒカリは不安げに見送った。
 漠然とした気持ちの悪さ、それはアスカを呼びに来た少女が醸し出していた雰囲気にあったのかもしれない。だが大丈夫? などと訊くのはそれはそれではばかられた。
 まるで相手の子を悪く考えているように思われてしまいそうだと感じたからだ。
 だがアスカの考えは違っていた。
「えっと……林田さんだっけ?」
 廊下で二人は話すことにした。
「知ってるんだ?」
「体育の授業で一緒になるじゃない」
「碇君に訊いたからじゃなくて?」
「……それもあるけどね」
 アスカは同情の目を向けた。
「あんた本気で勘違いされてるわよ?」
「言わないでよ……どうしてあんな誤解ができるの?」
「それはあたしが訊きたいんだけど」
 二人は揃ってため息を漏らした。
「一応訊いてみたくって……惣流さんって碇君と」
「付き合ってないって」
「マジ?」
「大マジ。っつーかほんと好みじゃないから。全然。まったく」
「そう……でも」
「なによ?」
「正直……はっきり言って理解できないのよね。だったらどうして惣流さんと碇君って仲が好いのか」
「だってそれは腐れ縁だから」
「あたしだって幼稚園からの友達っているけど、やっぱり相手が男の子だと恥ずかしくって、惣流さんたちみたいにはできないよ?」
「……」
「二人って接点ないよね? 幼稚園からの友達って他にもいるでしょ? なのにいつも一緒にいるのってやっぱり」
 アスカは派手に嘆息して見せた。
「どうしてみんな、あたしとシンジをくっつけたがるんだろ?」
「それはやっぱり……不安だからじゃない?」
「不安?」
 うんと林田少女は頷いた。
「だって碇君ってかっこいいもん。でも惣流さんが相手だと勝ち目ないしねぇ」
 アスカは聞き慣れない評価の言葉に、はてと首をひねってしまった。
(かっこいい?)
 どこがだろう?
 アスカにはまったくわからなかった。


「パスだ!」
「シンジぃ!」
「うわぁ!」
 体育の授業。内容はサッカー。
 シンジはボールを別の誰かに回そうとして失敗した。
 その場に転ぶ。
「シンジに回すな!」
「なにやってんだよ!」
 皆は怒った……シンジにボールを回したケンスケを。
「なんで俺……」
「シンジなんか信じるからだよ!」
 シャレではない。シンジは困り顔でえへへと笑った。
「ごめん、ケンスケ……」
「いいよ。俺が悪かったよ。ちくしょう」
 すねる級友に、シンジはどうしたものだかと考えようとした。
 しかし考えることも許されなかった。
「メンバーチェンジ!」
 あっさりとシンジに対してはお役ご免の命令が下る。
 シンジは交代待ちの群れの中に混ざり込むと、腰を下ろしてため息を吐いた。
「はぁ……」
「なんや、元気ないなぁ」
「だってサッカーって苦手なんだもん」
「苦手なんはサッカーだけちゃうやろ」
「そうだけどさ……」
「ほんまどうしようもないやっちゃで」
 指折り数える。
「勉強はできひん、運動もあかん……。顔は良うない、背も低い」
「……」
「なんか一つくらい取り柄作れや」
「無理だよ……」
「なんでや?」
「なんでかな?」
「おい」
「うまく言えないんだけど……なんでかな。どうしてもうまくいかないんだよね、なんだって」
 確かになぁと思い当たる伏しが多すぎて、トウジは言葉を濁してしまった。
 小学生の頃からの付き合いだから、色々なことを一緒にやってきていた。
 それでわかったことがある。シンジはとにかく運がないのだ。
 勉強して、学んで、身につけて、用意万端整えて、さあやってやるぞと挑んでも、必ずアクシデントに見舞われる。
 努力をしても、それが報われるという事態には出会わないのだ。
「そういやシンジ」
「ん?」
「昨日の呼び出し、どうなったんや?」
「手紙のこと?」
「おう」
「全然、違ったよ」
「ほうか……お前も難儀なやっちゃなぁ」
「はは……」
「で、どないなんや? 惣流は」
「へ?」
「またすねられたんとちゃうんかぁ? ほんま妬けるで」
 シンジは黙秘権を行使した。
 だが検察側の追求は苛烈を極めた。
「お前もええかげん諦めんかい! 惣流のなにが嫌なんや」
「嫌もなにも……」
「怖いんか? またあかんようになるんが。運の悪いことになってしもて、あかんようになってしもたら……」
「違うって」
「お前……ほんまに好きなんちゃうんか?」
「やめてってば」
 他の人に聞かれるからとシンジは訴えたが、みな応援に夢中で二人の会話を聞いている者など誰も居なかった。
「わかっとんのか? わしら中二やで。来年は受験や……この間進路調査で進学先答えたやろ。惣流とは別の学校しか行けんのやろ? どうないすんねん」
「どうするもなにも……」
「諦めんのか?」
「……」
「そうやって逃げてたら、なんもかんもあかんようになるで。全部があかんわけちゃうやろ。たまにはうまくいくこともあるやろ。ちっとは動けや」
 ──ほんと、余計なこと吹き込んでくれるんだから。
 シンジははぁっとため息を吐いた。
 学校からの帰り道の途中である。
「なによぉ」
 隣のアスカが不満をこぼした。
「あんたあたしと帰るのが嫌なわけ?」
「そ、そうじゃないよ!」
「なに焦ってんのよ? あ、あんたもしかしてあたしのことが好きなわけ?」
「……」
「やだやだ! なに意識しちゃってんのよ? 良い? あたしたちはただの幼なじみなの、腐れ縁なの! そこんとこわかって? ドゥユーアンダスタン?」
 シンジは突きつけられた指を払いのけた。
「別にアスカのことなんて意識してないよ」
 その冷たい言葉に、ちょっと言い過ぎたかなと焦ってしまうアスカである。
「な、なによ……じゃあなに考えてたのよ?」
「林田さんに告白されたから」
「え……」
「どうしようかって考えてただけだよ」
「そ、そう……」
 気まずげにアスカは訊ねた。
「で、どうするつもりよ……」
「うん……付き合うのもいいかなって思った」
「……本気なの?」
 立ち止まるアスカに、シンジも足を止めて振り返った。
「だって林田さん、僕と同じ高校に進むって言うし……」
 目を逸らす。
「こんなチャンス。もう二度と来ないかもって思うから」
 アスカは何かが切れたかのように声を上げた。
「あ、そう! 良かったじゃない」
「アスカ?」
「あたしには関係ない、好きにすれば?」
「ちょ、ちょっと待ってよアスカ!」
「いや! 離してよ!」
 つかんで来た手をふりほどき、アスカは全速力で駆けだした。
「待ってアスカ!」
 その後を追いかける、と、シンジは道が交差するところで、横合いから歩き出してきた人影にぶつかってしまった。
 音がするほど派手に頭をぶつけ、転がってしまう。
「あい……ってぇ」
 コブができた部分を手で押さえて顔を上げると、そこには女の子座りの状態から起きあがろうとしている少女が居た。
「あ、ご、ごめん!」
 慌てて立ち上がり、手を貸そうとする。
 しかしシンジはこちらを見ているアスカに気づいた。アスカもまたシンジの視線に気が付き、再び駆けだしていってしまった。
「あ……」
 その間に、倒れていた少女も起きあがってしまった。優先順位をつけられなかった自分の性格に、シンジは軽く落ち込んだ。
「あの……ごめん」
 おそらく同じくらいの歳であろう少女に謝る。
「怪我してない?」
「ええ……」
『青い髪』の少女は冷たい声でシンジに応じた。
「あなたは?」
「え? あ、ぼ、僕は碇シンジ……」
「違う」
「え……」
「名前なんて訊いてない。怪我を訊いただけ」
「あ……ああ! そうだよね! ごめん」
 口癖が吐いて出る。
「僕は大丈夫だよ……ちょっとコブができちゃったけど」
「そ……良かったわね」
「え……」
「じゃ、さよなら」
「あ……うん、さよなら」
 なんなんだろう?
 よくわからない。しかし一つだけわかったことがあった。
「嫌われたみたいだ」
 アスカだけではなく、知らない女の子にまで嫌われてしまった。
 シンジは酷く落ち込んで、肩を落とした状態で歩き出した。
 家は遠く、家路は長く感じられた。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。