──未来。
 レイはゆっくりと瞼を開いた。
 一瞬、その赤い瞳に、額の正面に浮いていた光球の絵が映り込む。
 そこには赤い目うんぬんと口走り、アスカに叩かれたシンジの姿が見て取れた。
 あったかもしれない過去。あり得たかもしれない世界。
 だがもはや手の届かない願望の世。
 こうであったら良かったのに。
 誰かがそうであったなら良かったと望むような展開。
 だがレイに見ることができるのは未来であり、過去ではなく、ましてや人の夢などではない。
 それが意味しているのは、将来、その光景が現実になってしまう可能性があるということだった。
「未来に……」
 ありうべくしてあり得る未来。
「それが救いだとしても」
 レイは唾棄した。
「誰かにとって都合の好い未来なんて、誰かにとっては理不尽でしかないのに……」
 あの自分の役割はなんだろうか?
 容姿にコンプレックスを持ち、そのことで過敏に反応し、少年にあたりちらして拗ねてしまい……。
 あげくにはたびたび道ばたで顔を合わせて、徐々に親密になっていく? それもアスカをやきもきとさせるためだけに。
 レイはリリスの前へと来ていた。
「予定調和の上での配役なんて、頂戴したくもないじゃない」
 シンジの回帰を経て、ずいぶんと酷い状態になっている。一番近い形容表現は『枯れている』だった。
「勘違いしてた? あたし、見たものを……」
 世界の復興に合わせて、この『人』は出てきたのだと思っていた。
 だがそうではなかった。
 彼女は眠っていた、ずっと……。
 そこに誰かが触れたのだ。
「南極で誰かがアダムを起こしたように……」
 ただ……リリスは断続的な休眠を取っていた。そのために記憶が繋がっていなかったのだ。
 彼女は確かにレイの同胞を取り込んでいる。
 だが世界が滅んでしまったと勘違いし、外に出るのを途中で諦め眠ってしまったのは別人だった。
 後から入った人間だった。
「つまり……」
 アスカが力に目覚めたこと、エヴァとの強い親和性があったことは偶然ではなかったのだ。
 アスカ……アスカ。
 インパクトが起こったと諦めて眠りについたレイシリーズの一人。取り込まれた人間。
 その記憶を抱いて娘が死んでしまったのではないかと這い出ようとした女。取り込まれた次の人間。
「アスカも……選ばれるべくして選ばれたんだ。あたしや、シンジクンみたいに」
(シンジクンの運命に巻き込まれたわけじゃなかった)
 それもまた重大な意味合いを含んでいる事柄だった。


 ふいに意識を途絶えさせ、『彼女』は体をぐらつかせた。
 前へと傾く、それを受け止めてしまい、カヲルは酷く慌てた様子を見せてしまった。
「う……」
 うめき声から感じたものに、カヲルは安堵の表情を浮かべた。
「大丈夫かい? シンジ君」
「カヲル君? 僕は……」
 本当に自分に何が起こっているのか知らないんだなとカヲルは思った。
(でも何故、他人の母親なんてものを、その身のうちに棲まわせるようなことになって……)
 それはカヲルにはわからない話である。
「とにかく……君は休むべきだね」
 カヲルはぐったりとしてしまっているシンジの体を抱え上げた。


「では行くか」
 レイの姿をしたものが、男の声音でそう告げた。
 障壁に手をかざし、ふんとひとつ気合いを入れる。
 ──ギン!
 ガラスを掻くような異音が鳴る。次の瞬間、硬質な音を立てて障壁は割れた。
「……なにか言いたそうですね」
 リックに対して、ミサトは抑えた調子で口にした。
「ちょっとね……話が違うじゃない? これってさ」
「そうでしょうか?」
「あなただから信用したって部分があったのよ。それが裏に別の意図が……やめておくわ、だまされる方が悪いんだから」
「だましたつもりは……」
「それは裏を知っているから言えることでしょう? その子が居てもなにも変わらないってね? けどあたしにとっては別よ。だってそうでしょう? あなた一人じゃなかった、なら他にも隠しごとがあるのかもしれない。隠しごとは本当に一つだけ? 馬鹿を見たくなかったら、疑い深くならなくちゃいけないのよ」
「それが大人の考え方ですか」
「そうよ」
「さもしいですね」
「当然でしょう? あたしたちはあなたたちとは違うのよ」
 リックはむっとした表情をして言い返した。
「それは僕たちを同じ人間だとして見ていないから……」
「違うわ、もっと現実的な話よ」
「現実的? 差別がですか?」
「当然でしょう? 当たり前のことを当たり前にすれば当たり前の結論へとたどり着けるわ。努力も同じ、出来ないことも出来るように勉強すればものになる。才能っていうのは便利な言葉だけど、才能を持ってる人間にしてみればどうなんだと思う?」
「なにが言いたいのか……」
「当たり前の努力を当たり前に続ければ当たり前の答えが得られる。でも努力すればたどり着けるとわかっているって、それってレールの上を歩くだけのことでしょう? 出来ないかもしれないからやる楽しみがあるんじゃない? あなたたちが力に固執しないのと同じよ、力があると努力する必要がないから興味が薄れる」
「……」
「だから自分の力じゃ出来ないことにばかり憧れるようになる。あたしたちだって同じなのよ。でもね、あなたたちとは違って、あたしたちには力がないの。それは出来ないかもしれない何かに挑戦しようと思った時に思いつく想像の範囲を狭めるわ」
「だから?」
「スケールの問題なのよ……あなたたちは『さもしい』考え方なんてする必要がないくらい気が大きくなっているってこと。逆にあたしたちは小さなことを気にしなければ生きていけない。だってささいな見落としが命取りになってしまうから。そしてあなたたちのようにそれをフォローするだけの反則的な力がないから」
 返す言葉が見つからないのか、黙り込んでしまったリックに代わってゴリアテがしゃべった。
「……それがうまくいく秘訣ということか?」
「なんのことだ?」
「その通りよ」
 ミサトはリックのためにかみ砕いてやった。
「あたしたちは、あたしたちの()というものを知っている。あの子たちもね? そしてお互いに足りていないものがあるとわかってもいる。それを補い合うことで生きていく道をあたしたちは選んだのよ。余所じゃどっちが優秀か、管理するかなんて話に終始しているようだけどね」
「愚かなことだ」
「まったくね」
「愚かなのは、そんな選択をした本部だ」
「……どういうことよ?」
能力者(エヴァリアン)などはマインドコントロールで締め付ければいい。実際そういう法案を通そうとしている国もある。そうすればみな道具に落ちる」
「そんなことをすれば……」
「怒る者など居ない。能力者はすべからく寂しがり屋であり、その親族は臆病者であるからだ」
「……」
「少数派である子供たちは、排斥されることを恐れて、自ら枷をつけられることを選ぶだろう。首輪を付けてもらえれば、自分たちは安全な生き物であると皆に頭を撫でてもらえるようになるからだ。その飼い主もまた安心して放置できるようになる。勝手に余所で問題を起こしたりすることはできないのだと、放任できる」
「そんなの……人間にしていい発想じゃないわ」
「それが甘いと言っている」
「どこがよ!」
「人間ではなくなってしまったものと共に暮らしていかなければならない人間のストレスというものを考えたことがあるのか?」
「……それは」
「ほんの少しのいさかいでさえも、何をされるかわからない……。なにも言えない、言うわけにはいかない。ただじっと一方的に物言いを受けとめなければならない。言い返せない……。子供の側にどう思う気持ちがあれ、あなたがリックを責めたように、人は能力者の力を恐れて縮こまる」
「……そんな関係」
「破綻するだろう、だからこそ管理するシステムが双方に必要になる。それこそが唯一別種の生き物が共存できる方法ではないのか? 繰り返すが、子供の側に親や親族、友人を相手に力を使うつもりなどなくても、その人物に力があることが問題になる。力を持っている者が使っていないはずがないと想像し、自分の思いつく限りの悪事をそれに当てはめ、勝手に恐れる。そういうものだ」
 ゴリアテはミサトからの言葉など期待していなかった。だからミサトが黙り込んでしまっても、一向に気をつかう素振りは見せなかった。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。