(肉体が付いてくる)
 その実感がレイにこれまでにない開放感を与えていた。
(この間はまだ慣れなくて、振り回されてたけど)
 力を全解放するのはこれで二度目である。一度目は前回のことだった。
 槍の力……軽さに振り回されて、ただ穂先を絡め合うことしかできなかった。自分の力をそこに織り込むところにまでは至らなかった。
 しかし二度目ともなれば余裕が生まれる、そこに掴んだコツを混ぜ入れることはたやすかった。
 他者が持ち得ている遠視の能力とはまったく違った第三眼。その本当の力を解放すれば攻撃にも用いることができるという発見は、レイにとっては革命的なものだった。
(これで戦える、シンジクンやアスカにかばってもらわなくて済む、あたしも前に出られる!)
 そしてそのポジションはこれまでアスカのものであり……そして。
 アスカにとっては、それこそ認識違いのことだった。


「惣流アスカです、よろしく」
 アスカは頭を下げることも忘れて、お定まりの挨拶を決めた後、ぽかんとしているシンジを見つけて、目で笑った。
 頬が引きつってしまったのは、これからのことを考えると、おもしろさにゆるんでしまいそうだったからだ。
 だらしない顔をさらすのは、自分の容姿を自覚しているアスカにとって、それはできないことだった。
 引き締めるのに苦労する。
「それじゃあ、惣流さんは一番後ろの空いている席に……目は悪くないですね?」
「はい」
 アスカは毅然とした風を装って机の間を歩いていった。ピンと背筋を伸ばして、軽くあごを引く。その上で腰から前に歩くようにする。
 以前雑誌で読んだモデルの歩法だった。
 席に着くと、そこからはシンジの後頭部が左前に窺えた。少しだけにやりといやらしい笑みを浮かべる。
「惣流さん……」
 やや引っかかるような声音が右隣から発せられた。
「あっ、え、なに?」
 いけないいけないと表情を作り直して……アスカは失敗してしまった。
「ええと……」
「洞木……洞木ヒカリ。よろしく」
「よろしく」
 アスカは彼女の引きつった笑みを見て、自分の失敗を意識した。
 ──こほんと咳を入れて、前を向く。
 それからアスカは一時間目のために、先ほど貰ったばかりの教科書を鞄から取り出した。
「ええと……」
「日本史はそれと……副読本よ」
「ありがと」
 ヒカリの注意に意識せずに答える。
「これと……これか、ごめん、どこから?」
「五十八……惣流さんは、どこから来たの?」
「東京」
「旧東京?」
「そうよ」
 ぱらぱらとめくって、アスカは場所を確かめた。
「わかる?」
「うん……向こうで習ってたより遅いみたい」
「そう、よかったわね」
「なにー!?」
 アスカは大きな声にぎょっとして顔を上げた。
 数人の男子生徒に囲まれているのはシンジであった。アスカは直感的に自分の話題で盛り上がっているのだなと感じて耳を澄ました。
「向こうの学校で一緒だったって……本当かよ?」
「うん……」
「紹介しろ、紹介!」
「そんな……そんなに仲が好かったわけじゃ」
 アスカは不満に唇を尖らせた。
(なぁによ……馬鹿シンジのやつ、もっとはっきり言いなさいよね! 幼なじみだって……)
 アスカは頭の中で浮かべた単語に対してどよんと沈んだ。
「ど、どうしたの?」
「あ〜〜〜なんでもないのよ」
「そう?」
「うん……」
 ぺたんと机の上に横ばいになる。
 シンジにとって……こちらはどういった世界であったのだろうかと感じてしまう。
 下僕呼ばわりするものがいないこの場所は、シンジにとっては新天地であったに違いない。以前の自分を誰も知らないとなれば、多少は羽目を外していたのではないだろうか?
(羽目を外した元気なシンジか……)
 自分が知っているのは数年前の……小学校の頃のシンジだけだ。
 今のシンジが笑ったところなど見たことがない……だが男女別の授業などから教室へ戻ると、皆と一緒になって笑っているシンジの声が耳に届いた。
 ──それがまた苛立つことだからといって、虐めた自分にも責はあるのだが。
(でも知り合いかって聞かれて、うん……って答え方はないじゃない? それじゃあまるでたぶん……っていってるように聞こえるモン)
 机のひんやりとした冷たさを頬に感じながらうにうにと動く。
 これによってヒカリの中には、おかしな子だという印象が根付いてしまった。
 ……と。
「おっはよー!」
 HR(ホームルーム)と一時間目の喧噪の合間を縫うようにして現れたのは、青い髪の女の子だった。
「綾波さん!」
「おおっと委員長、余所のクラスの迷惑になるからねぇ〜〜〜」
 へへっと笑って、まるで漫才師が舞台からはけるように自分の席へと逃げていく。
 それは……シンジの隣の席だった。
「はいはい邪魔邪魔」
 シンジの周りに集まっていた男子を散らし、彼女は自分の席へと着いた。
「おっはよシンジクン、よく眠れた?」
「……朝一にそれはないと思うな」
「そう? でも昨日、やったらおそくまでごそごそやってたじゃない。それになんだかはぁはぁって」
「なっ、なんてこというんだよ!」
「シンジぃ〜〜〜」
「お前ぇ〜〜〜」
『いやぁん』
 男子は完全にからかいが入っているのだが、女子は頬を赤らめて、軽蔑というよりも好奇心を刺激された目でシンジを見ている。
 アスカはそんなクラスの反応に、少しムッとした様子でヒカリに訊ねた。
「ねぇ……」
「え?」
「あの子、誰?」
「ああ、綾波さん? 綾波レイさん……碇君と仲好いのよね、付き合ってるってわけじゃないみたいだけど」
「へぇ……」
 アスカは嫉妬しながらも、視線に羨望を織り交ぜていた。
(あたしも……)
 皆に囲まれながら、シンジの髪をつんつんとつついて、いやがらせをしている。
 しかしシンジのそのいやがりようは、決して本心からのものではなくて……それは彼女のからかいかたに、含むものがないからだろう。
(あたしも、あんな風に付き合いたかったのかな……)
 そこには確かに、アスカの望んだ関係があって……。
 だからアスカは、胸の内に重いわだかまりを感じてしまった。


「ふっ!」
 槍を繰り出し、レイはゴリアテの眉間を狙った。しかしゴリアテの動きには追いつけなかった。
「カサカサ動かないでよ!」
『自分の顔を狙うとはな……』
「あたしの顔はもっと整ってるもんね!」
『崩せばこうなる』
「勝手なシミュレーションしないでよ!」
 踏み込んで二撃突き出す、しかしゴリアテの角とも思える巨大なあごが独自に動いてそれを払いのけた。
 目玉と同じく神経束によって支えられ宙にうごめいている。ゆらゆらと揺れて不規則にレイの隙をうかがっている。
 レイはそんな彼の容貌に嫌悪して、彼に行動の意義を求めた。
「……ここまでのことをしちゃったら、もう後戻りなんてできないでしょう? 本部はアメリカとドイツの関係を疑わなくちゃならないし、アメリカもドイツもあなたたちのことなんて切り捨てるに決まってる……なのにどうして」
 ゴリアテは静かに……胴部を上下にゆすりながら答えた。
「……怖くなったからだ」
「怖い? 自分たちのことが?」
「それはリックのことだろう……漠然と信じてきたものが実は盤石のものではなかったと知れば、不安にもなる」
「じゃああなたはどうして?」
「真実が気になるからだ……」
「真実?」
「そうだ」
 ゴリアテは目玉を引き戻して、顔の上半分だけを元の状態に整えた。
「以前の『大戦』で我々は生産された……その行動意義、存在理由、価値のすべては人類存亡のための道具であるとして位置づけられていた」
「……」
「わたしは今の世界が好きだよ、そのような我々でも一個の存在だとして意志を認めてくれている」
「そうね……」
「たとえ我々に利用価値があるからだとしてもだ……それでも感謝はしている。だがだからこそ疑問もわいた。あの頃の戦いは正しかったのか?」
 レイは虚をつかれたような顔をした。
「なにを今更……」
「そう……今更だ、だがだからこそ重要なのだ」
 身震いをする。甲羅が反動にやや開いた。
「裏死海文書……この時代の人間はそう呼ばれているものに踊らされている。だが我々もそうではなかったか? 月が作られた意味。月が落ちた意味。戦いの意味を過去の動機に照らし合わせて想像し、行動に移し、大戦を引き起こした」
「違う……だって確かに月は求めていたし、人は殺されたから……」
 だがレイは、確かにあやふやな問題であると感じてしまった。
 当時の記憶は思いだしたとはいえとても古い。確たる証拠があっただろうかと回想し、レイは皆がそう言っていただけだと思い当たってしまった。
 ──そしてゴリアテは、そんなレイの動揺を見抜き、甲羅の裏側を盛り上げた。
 肉芽のふたが開かれる、目玉とおぼしきものがぎょろりと動いた……同時に、何十も。
「我々が変わっているように……月の動機も同じではないかもしれない」
「どういうこと?」
「求めているものも違うかもしれない。本当に……ことさらに恐れる必要のあるものなのか?」
「でも待っていては手遅れになるかもしれない」
「ここに来るまでの途中で、おかしなものが道を塞いでいた。それは液体が硬化したものだった……硬化ベークライトを知っているか?」
「……」
「リックたちはここで得られたサンプルを元に開発されたものではないかと疑っていたがな……俺の考えは逆だ、誰かがこの道を塞いだのではないかと感じている」
「まさか!」
「過去に誰かがこの道を通ったのかもしれない……そして過去とはごく最近の話だ」
「だって……それじゃあ使徒は?」
「もちろん、ただ眠っていたものもあったろう……しかし大戦の記憶を持つ者が居れば? その者であれば確保されたルートを記憶に残しているはずだ」
「安全に……降りられる!?」
「そういうことだ」
 レイの動揺を隙と見て取り、ゴリアテは羽を前に回転させて落とした。
 ひっくり返された羽はゴリアテの前面でぴったりと合わさり、甲殻虫の兜を形成した。そして数十の目が一斉にレイの狼狽した顔を瞳に捉えた。
 ──眼光が無数の光条として放たれた。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。