「なに? ここ……」
 ミサトは通路の先に現れた空間に呆然とした。
「まるで……」
 なんだろうか?
 ミサトが思い浮かべたのは、ギーガーというスイス生まれのデザイナーの名前だった。
 悪趣味な生物の骨格、それが黒くぬめった皮の形に現れ、盛り上げている。
 床はそんな状態だった。
 天井や壁も似たようなものなのだが、あまりにも空間が広大で様子がわからない。
 しかし中央にある物体のことだけは理解できた。
「樹……なの?」
 それも逆さに生えていた……大樹が天井からぶら下がっているのである。床と同じ黒い光沢を放っていた。しかし樹液でぬめっているわけではない。汗を掻いているのだ。
 よくよく様子を窺えば、静かな調子で脈動していた。
 自重のためだろうか? 木ノ根は天井から引き剥がれかけていた。まさにぶら下がっていると表現すべき状態で、いつ根が引きちぎれて地に落ちてもおかしくはないように思われた。
 そして枝と葉は床面に大きく広がっていた、高さ……いや低さが足りないからか、押しつけられるような形になって、樹の頂点はつぶれていた。
 元はしっかりと天井に根付き、見事な枝振りを披露していたに違いない。
「逆さ……ってのが理解できないわね」
 ミサトのつぶやきに、リックはでもと反論した。
「月は落ちたと聞きますから、あちらが本当は下だったのかもしれませんよ?」
 二人で天井を見上げる。
「首が痛くなるわね」
「ですね……」
「ここが終点だって言うの?」
「……なにもありませんね」
 ミサトははぁっと息を吐いた。
「でも一つだけわかったことがあるわ」
「なんですか?」
「これだけ地下に降りても、空気は新鮮で腐ってない。それに通路はきれいだった……気づいてた? 新しい足跡があったのに」
「はい……」
「空気が新鮮だっていうことは、空気の入れ換えが行われているということよ、なら風がある……風があれば埃が動くわ、もし何万、何億? 年もの間ここが閉ざされていたのなら」
「足跡は消えている……」
「ええ……近い時に誰かがここまで来たのよ、誰かが」
 ミサトは大股に歩き出した。
「危険ですよ?」
「ここまで来て、なに言ってるのよ」
「それもそうですけどね」
「どうせなにも起こりゃしないわ」
「なぜわかるんですか? それも女の感?」
「いいえ、これは推測……あたしたち程度じゃなにも起きない」
「……リアクションを引き出せない」
「情けない話だけどね……もし本当に月が……」
 ミサトの脳裏に、このことは機密であったかとちらりと浮かんだ。しかし今更のことだなと口を開いた。
「もし……本当に月が態度を決めているのなら、あたしたちに用なんてないはずよ」
「それは卑屈すぎやしませんか?」
「そう言ってるあなただって」
「ここまで来て、なにもわかりませんでしたじゃ、話になりませんからね」
 二人は共謀者の親しさを警戒心の無さで表した。
 互いのことは気にせずに、樹のことだけに集中する。
「なんなの……これは?」
「中心……であるのは、間違いないと思うんですけどね」
 二人は何か違和感を感じて顔をしかめた。
 それは次の瞬間には直接頭に響く音となって空間にあふれ、二人に苦悶の絶叫を上げさせた。


『うるさい!』
 兜にあるいくつもの目から放たれた光線は束ね合わされて、天井から壁、床と枠を描くように直線を薙いだ。
『お前たちに用はない!』
 その明確な言葉と、兜の割れ目から覗けた顔に、彼らは一様に動揺して後ずさりした。
「綾波……なのか!?」
 ゴリアテはわざわざ違うとは教えなかった。しかし彼らは確かに先を急いだレイの背中を見送っているのだ。
「どうなって……」
 ムサシのうめきに、ゴリアテは嘆息して顔を隠した。
 ──脱皮する。
 後部腹の上側が裂ける。白い腕が伸び上がり、手を付いて胴体を引きずり上げた。
 甲虫の肉体が身震いをしている、痛みのためだろう。
 ずるりと体を引き上げたのはレイだった。彼らにはそう見えたが、その姿が粘土細工のようにして巨漢の男へと変貌するのを見た時、悪い夢だと口を塞いだ。
「お前は……」
 ゴリアテが裂け目の縁に膝を突いて、残った足を引き出すのと同時に、甲虫は頭を落として意識を失った。死んだのだ。
 そしてゴリアテは右腕をねじり上げて槍を作った。肘と手首の間から先が武器となって長く伸びる。
「ロンギヌスの槍……」
 ほぉっとゴリアテは驚嘆した。
「知っているのか」
「……資料を回してもらった」
「ならそれなりの立場にあると判断する」
 失敗したかとムサシは身構えたが、それに追随する者はいなかった。
 やはり先日の事件が尾を引いているらしく、動揺が激しすぎた。
「使徒……なのか、お前は」
「違う……」
「ならなんなんだよ……」
 声が震えてしまう、しかしムサシにしてもそこまで意識を回せる余裕はなかった。
 先日の事件では、誰もがなにもできなかったのだ。能力者でさえ傍観することがやっとで、それを治めたのはセカンドチルドレンが引き起こした暴走であった。
 ここでそのような事態になれば、死ぬしかない。
「なんなんだよ!」
 ヒステリックなムサシの声に、ゴリアテは裸の体にどこからか生み出した外衣を巻き付けた。
 外衣の光沢の具合は、甲虫の殻によく似ている色をしている。
「……使徒、確かにお前たちが用いる意味では、そうなのだろう」
「そうなのか!?」
「だがそれをいうのなら綾波レイもそうだろう」
「綾波が? ふざけるな!」
 知らないのか? ゴリアテは眉間にしわを寄せた。ロンギヌスの槍よりも情報のレベルは低いのだがと首を傾げる。
「我々はかつて使徒と対すべきために作られた存在だ……故にこの力を持つ」
「そんな話があるかよ……」
「事実だ、認めろ」
「命令でいうことかよ! だいたいそれならなんで綾波と!」
「使う者が違えば意見も対立する、それだけのことだ」
「だからって……」
「考えるべきだな、俺はお前たちを一掃することもできる」
 それはムサシだけでなく、他の者たちの思考までも刺激した。
「……戦う意志はない?」
「そうだ」
「だったらなんで綾波と」
「それは俺の上のものからの指示だからだ」
「わけ……わかんないぞ?」
「上の者の命令は絶対だ……が、個人で動く限りはそうではない」
 ムサシは唸った。
「道具としての絶対ってことか」
「そうだ」
 だからと彼は口にする。
「ここにいる限り上からの指示は届かない……つまり俺は自由意志によってリックが真実を引き出すまでの時間を稼ぐ」
 だからやりすぎと判断されないよう、お前たちを殺さないのだと、ゴリアテは外衣の隙間から覗かせた腕で槍を構えた。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。