「ぐっ!」
シンジは突然、寝台の上で大きく跳ねた。
「なんだ!?」
「わかりません!」
「押さえつけろ!」
眠っている……それだけのはずだった。それでも若干の衰弱が見られたことから、点滴が行われていた。
処置はそれだけで十分であると判断されて、後は様子を窺うことになったのであるが……。
シンジは体をのけぞらせ、激しい痙攣を引き起こした。くわっと目を開き、血走らせ、瞳孔を収縮し、開いた喉の奥からは、酷いあえぎ声を発し上げた。
それが医師たちに危機感を募らせた。
「心拍数、血圧共に上昇!」
「投薬処置! 任せる」
「はい!」
圧搾式の注射器を首筋に押し当てて薬剤を打ち込む。
即効性がありすぎるために危険なのだが、暴れ具合のひどさに針は危険だと判断されてのことだった。
「呼応してるの?」
その様子を確認し、リツコは別のモニターへと視線を移した。
『う……あ』
こちらではアスカがうめき声を漏らしていた。ただしシンジのように暴れてはいない。
夢見が悪そうな……その程度に寝返りを打っている。
他にもベッドは続々と運び込まれてくるナンバーズによって埋められようとしていた。こちらは悶絶するほどではない、ただ頭痛や腹痛などの体調不良を訴えてきているだけだ。
リツコは名簿を呼び出して、数値上のランク付けを確認した。
「『覚醒率』の高い子ほど影響を受けてる」
そしてもう一つ。
「警報は切ったようね……」
本部では、強大すぎる反応を検知しているようであった。地下からのものである。
地震波といったものから重力のゆがみまで確認されていた。酷いものになると空間のひずみが検知されている。
「今すぐというわけではないでしょうけど……」
リツコの懸念は、恐ろしいところへと飛んでいた。
地盤沈下が始まっていた。
地下世界の大地が徐々にくぼみ始めているのだ。月が地殻のさらに下へと沈降を開始していた。
これを止める術は誰にもなかった。
「あ……ああ、あ、あ!」
頭が割れる、そう思った次の瞬間、ミサトは痛みから解放されていた。
「あれ?」
隣を見ると、リックは苦痛のあまり気を失っていた。
「り、リック君!?」
慌てて抱き起こす。
白目をむき、口から泡を吹いている様は、決して安心できるものではなかった。悶死してしまったのだと勘違いしても、無理のないような状態であった。
ミサトは一つ大きく息を吸い込むと、彼の口をくわえるようにして完全に塞いだ。
──ジュッ!
泡を吸い出して吐き捨てる。
気道を確保するために腿を貸して寝かしつける。
それからミサトは樹を見上げて……首を傾げた。
「傾いてる……落ちてきてるの?」
いいやと彼女は思い直した。
「床が傾いてきてるの?」
それだけではない。
「樹が……震えてる。鳴動は収まってない。でもあたしには聞こえない」
リックを見下ろす。
「この子の耳には……届いているの?」
その答えは、入り口の側から涼やかに届いた。
「……普通の人には、聞こえないだけ」
「レイ!?」
振り返れば、レイが樹を見上げていた。平然としているようではあっても、槍を握る手には強い力が込められている。
槍の尻を地に落として、穂先を天井へと向けていた。二股に別れている槍先は微細に震えて、何かに共振しているようであった。
……レイの手に力がこもってしまっているのは、この震動のために槍を落としてしまいそうになっているからだった。
「どういうこと?」
「……」
「どういうことよ!」
レイは樹を見上げたままで口にした。
「だって……この樹は現在の象徴だから」
「現在?」
そう……と頷く。
「樹をつっている切れかけの根は過去の証。混沌から生まれた多様性。それらが寄り集まることで現在を表す幹となる。でも未来である枝葉は枯れている」
「未来の?」
「そう……いくつもの可能性たち、あり得たはずの未来たち」
でも。
「停滞し続けたがために未来は枯れてしまったの……変わろうとせずに留まり続けようとしたばかりに、現在の制約に縛られて、可能性をつみ取られ、枯れて終わるしかなくなってしまった」
「本来なら枝は少しずつ太くなって、新しい今になるはずだったっていうの?」
レイはこくんと頷いた。
「枯れていく……枯れていく、枯れていく。この世界に未来はないの、ただ今が肥え太るだけ」
(本当にレイなの?)
自失状態に陥ってしまっているようにも見えて、ミサトはレイの正気を疑った。
(それとも……)
ミサトはレイが持つ槍に注目した。
小刻みな震えがまるで音叉を思わせた。
(樹と……同調しているの? だったら)
「レイ」
毅然として問いかけると、やはりレイは自分を見失っているのか、それとも何かに憑かれているのか、焦点のぼやけた目をミサトへと向けた。
「なに?」
「……その槍は、なに?」
ミサトが槍に目を付けたのは勘だった。しかし多少の観察眼があればこれ以上に怪しい存在は見あたらないことがすぐにわかる。
樹と同調する器物。何かしらの秘密があると見てもおかしくはなかった。
「これ?」
そしてそれは正解だった。
「これは枝……最初の、過去の、今の、未来の、育つはずだった樹の、なれの果て……」
ミサトはその表現に愕然とした。
ほんの少しの推理力が働いた。ここが月の中心であるなら。ここと同じ物はもう一つあったことになる。
「白き月の!?」
レイはミサトの驚愕を肯定した。
「人類……それは総称。この世界の未来は『崩壊』と『衝撃』によって刈り取られ、消えてしまった」
「セカンドインパクト……」
「未来は紡がれなくてはならない……だから人々は可能性を模索した」
「子供たち? ……いえ、この遺跡の発掘に着手したのは、そのため?」
「樹は……ある。でもかろうじて枯れていないだけ。リンゴの樹が人に有限の生と無限の知をもたらした……世界の流れはアダムへと。そしてあえぐことすらできなくなった樹は、わずかな空気をかき集めて地の底へ」
「それがこの樹か……」
「樹は未来を指し示す……でもこのままでは枯れてしまうわ。誰かがこの樹に未来という名の『接ぎ木』をしてあげなくては、だめ」
「……まさか」
「これはアダムの枝」
「『所長』が南極に行っていたのって……」
「そして樹には肥やしが必要」
「アスカが使徒に狙われたのは」
「一つの樹より選ばれた『苗木』たち……接ぎ木と、樹の禁じられた融合……別の可能性が一つになる時、そこにはリリムが」
「レイ!」
レイは空いている左手で顔の半分を覆い、苦悶をこらえた。
「でも……でもこれはアダムじゃない。アダムから分かたれたもの、イヴ……」
「イヴ?」
「だめ……イヴがリンゴを食べる時、歴史は……」
くらりと頭を振って、レイは横倒しに倒れた。
「レイ!」
リックを床の上に置いて駆け寄り、抱き起こす。
「しっかりして、レイ!」
「あ……ミサト、さん?」
「レイ……」
ほっとした様子のミサトに、強い倦怠感を感じながらも、レイはここへ何をしに来たのか、思い出した。
「ミサトさん!」
「はっ、はい!?」
レイはミサトの胸ぐらを掴んで引き寄せた。
「禁酒三ヶ月くらいじゃすみま……せ……んから……ね」
そのままガクンと崩れ落ちる。
「あんたねぇ……あたしをなんだと思ってんのよ?」
ミサトはよほど「こらぁ!」っと引きずり回してやろうかと思ったが、なんとかこらえて、ここは我慢をすることにした。
そして気づく。
「レイは辛くないの?」
樹を見上げて思わずこぼす。
「こんなものが、世界が具現化した形だっていうの?」
だがそれに答えてくれる者は、少なくともこの場にはいなかった。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。