「皮肉なものだな」
 闇の中に、黒色の物体が浮かび上がる。高さ二メートル大のモノリスであった。
「南極に続き……またもあの少女が中核を成す場所に現れるか」
「それだけ縁があるということだろう」
「宿縁か……宿怨か」
 モノリスは二つ、三つと、円陣を組むようにして現れた。
「あるいは宿命であろうよ……。あの日、あの時、あの地に居たこと。そのすべてが」
「彼女は傍観者に選ばれたか」
 モノリスたちは押し黙った。
「……ま、いい。事実を知るものは必要だ」
「伝え広める者が必要だ」
「少々思いこみが激しいようだが?」
「感情的になることは悪いことではない」
「そう……人の希望とは、感情からくる欲に根ざしているのだからな」
「欲なくして未来絵図はないよ」
「南極より始まりし物語は、終局へ向かいつつある」
 モノリスの一つに、血のような赤い色をした文字が浮かび上がった。
 ──『01』、そして『SEELE』とある。
「実は熟しつつある……だが、熟れすぎた実は腐るのも早い」
「だが焦りは禁物だ……もはや新たな実がみのるのを待つ(いとま)はない」
「ならばその実をどう扱うか」
「食す者が、必要だ……」
 そうして彼らは、意見の一致を確かめた。
 抽象的過ぎる会話であろうとも、彼らの間では通じるものらしい。
 そして彼らは、現れた時と動揺に、闇の中へとまぎれて消えた。
 ──後には静寂のみが残された。


「ちょっと……」
 下駄箱である。
 あまりにも剣呑な空気を察してか、声をかけようとしていた男子数名がとまどいを見せた。
 自分たちの姿は彼女の目には入っていない。では誰がと思えば、その先にいるのは実にさえない少年であった。シンジである。
 シンジは困った顔をしてアスカを見ていた。そんなシンジに嫉妬を覚える者などいない。
 みなシンジのことを哀れんでいた。それほどまでに彼女の勘気は、身をすくめさせられるような酷さであった。
「なんで無視すんのよ!」
 アスカは下駄箱から靴を取り出し、下に置いたシンジに対して、腰に手を当てて睨みつけた。
「別に……」
「挨拶くらいしなさいよね!」
 しかしそんな態度のアスカに対して、返ってきた答えは辛辣であった。
「もういいだろう? そういうのはさ」
「な……。なによ、それ」
「まだ王様をやりたいのかって言ってるんだよ」
 女王様──ではない。
「いい加減にしてよね」
 アスカはひるんだ。
「なによ……」
「威張りたいからって、人を子分にしようとしないでよ。迷惑なんだよ!」
「ちょっとシンジ!」
 さっさと行ってしまうシンジの後を、アスカは慌てて靴を履き替え、追いかけた。
 違う、そうじゃない。
 自分はそんなつもりで対したんじゃない……ただ。
 一番はじめの頃のように、じゃれ合いたかった。
 そんな気持ちを伝えたくて、アスカはシンジの後を追いかけた。


「こ……、この」
 頭痛に眉をしかめながらも、ムサシは懸命に耐えて見せた。
 目前ではゴリアテが同じように壁に手を付いている。
 その姿は巨漢の男に戻っていた。
 形態を維持できなくなってしまっているようで、羽織物も体に張り付き、ねじり上がって、筋肉のふくらみを作り上げていた。
 元々肉体を変化させて作り出していた物だったのだろう。表皮に戻ろうとしているのだ。
「くっ、この音……」
 ゴリアテは顔を上げた。
「やはり……綾波レイか」
「なんだって?」
「綾波レイ……彼女もまた特別な個体だからな」
「どういうことだよ」
「いや……特別な個体になったというべきか」
 側頭部に手を当てたままかぶりを振って、体を起こす。
「ミッシングリンクという言葉がある。現在の人類と我々との差はとてつもなく大きなものだが……彼女は違う。人に近い」
「それが?」
「……綾波レイは、エヴァンゲリオンよりサルベージされる際、現代人の構成要素を組み入れられ、補完されて生成された存在だ。つまりは、過程の存在である」
 ムサシは頭痛のためか苛立った調子で口にした。
「それがなんだって……いうんだよ」
 背後では仲間のうめき声が上がっている。しかしそれを確認している余裕はなかった。
「わからないか?」
 先にゴリアテが立ち直る。
「お前たち……人類は堕落した存在だ。それが悪いとはいわん。平和になれば戦闘用の機能など無用だからな、退化して当たり前だ。だが問題も出る。元々エヴァと呼称されている力は俺たち兵器側の肉体であって初めて安定した発生を得られた能力だった。脆弱なその身には危険すぎる代物だ」
「だったら……どうなる?」
「綾波レイだ。彼女が鍵となる。わたしはこの世界には……いや。社会には適合できない存在だ。そしてお前たちはいびつな存在として社会にある。ならば一段階『以前』となる綾波レイという個体が得た組成、構成は、立場という名の調整を取り直すためにはベストなポジションにあると言える」
 ムサシと違い、保安要員の大半は普通の人間であったからか、彼らは超音波による三半規管の狂いを感じただけで済んでいた。
 ムサシやナンバーズをかばうように前に出て銃を構える。
 その中の一人に対して、ゴリアテは皮肉な笑みを口元に貼り付けた。
「……よくもまあ、色々な場所に現れる」
「こっちもこれが仕事でね」
 ムサシは誰だといぶかしんだが、彼の記憶には加持リョウジに関する記録はなかった。
 加持は保安要員が着ている物と同じ黒を基調とした戦闘服を着用していた。アンダーウェアの上に防弾ベストを羽織り、ネルフ謹製のサブマシンガンを構えてみせる。
「悪いね」
「……そんなものが脅しになるとでも思って」
 パンと加持は一発撃った。この行為に焦ったのは、彼の同行を許した隊の隊長だった。
「おい!」
「脅しですよ」
 加持は不適に笑って見せた。ゴリアテの顔にとまどいの表情が浮かんでいる。
「なに?」
「気づかないのか? さっきの音……俺たちにはただの音だが、君たちには違うものだ。可聴領域を超えただけでまだ消えてない。そのことは君たちの不調を見ればよくわかる」
「そういうことか……」
「そうだ。ATフィールドにも波長っていうものがあってね、中和されてるのさ」
 ゴリアテは右腕に生まれた赤いみみず腫れを目で確認し、また加持へと視線を戻した。
「だが疑問が残る……どうしてお前がそれを知っている?」
 加持はにやりと笑って見せた。
「それは企業秘密というやつさ」
「なら聞きだすだけだ」
 ゴリアテの答えは簡単だった。


 撃て──咄嗟にそう叫ぶべきであったのだが、彼らは躊躇し、結果として負けてしまった。
 ATフィールドを持つ絶対的な相手であるからこそ、銃弾も気を逸らすための牽制として使用できる。
 しかしATフィールドを張れない相手に対しては、あまりにも殺傷能力が高すぎた。
 ──なにより、ゴリアテ本人より、人死には出さないように努めていると、明言されてしまっていた。
 なのにこちらが彼を処分することなどできなかった。
 ありきたりな悲鳴を上げて、最初の三人が吹き飛んだ。それを成したのはゴリアテの足だった。
 膝から先が黒い塵のような物体に変化していた。それは無数の生命の集まりなのか、口や目が何百も存在していた。
 虫の目もあれば人の目もある。二撃目は大きく広がり、覆い被さる形で襲いかかった。
 二人が飲み込まれた。そして霧は彼らを素通りした。それだけでぐるりと目玉を反転させて、男たちは倒れ伏した。
 霧の足が半ばでちぎれる。
 霧は何万という羽虫に別れた。羽音が通路の中を埋め尽くす。
 サブマシンガンの火花と音が切れ間に混ざるが、飲み込まれてしまった。
 ──タン!
 そんな中を、銃弾が正確にゴリアテを襲った。
 ゴリアテの左肩に突き刺さり、巨躯をわずかによろめかせる……と、虫が消え、ゴリアテの足も元通りに現れた。
 撃ったのは加持だった、サブマシンガンを捨てて、ハンドガンを両手に持って構えていた。
「三半規管に超音波を叩き込んで幻覚を見せる……単純だが」
 加持は右肩を壁に当てていた。そうでなければ膝が崩れてしまいそうだったからだ。
「利くなぁ……」
 仲間を見る。
「これは精神に障害が残るぞ」
 自分にはどうだろうか?
 加持は余裕を見せるために、そう考えた。



[BACK][TOP][NEXT]


新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。