「何か来るぞ!」
「道を空けろ!」
 マナは機体の上から足下を高速で通り過ぎていった代物に目を丸くした。
「あれって……」
 まさかと思う。
「エヴァンゲリオン?」
 確かに赤い機体に見えたのだが……そのサイズがおかしかったのだ。
 エヴァの大きさはトライデントとほぼ同等である。それが足下を通り過ぎるなどあり得ない。
 しかし現実にそれはエヴァンゲリオン弐号機であった。大きさは四メートルにまで縮んでいる。
 カヲルは折り曲げられた左腕に優美に腰掛け、左膝を立てていた。


 ──かっ、は!
 口から吐いたものに血液が混ざっていてもおかしくはなかった。それほど喉が痛かった。
 しかしこれは現実の痛みではないのだとシンジは感じ取っていた。
(苦しい、辛い、気持ち悪い……痛い痛い痛い!)
 全身を締め上げるのは(いばら)だ。巻き付けられているそれが引き絞られて、体をがりがりと削り壊す。
(ミサト……さん)
 涙目を向けると、ぼんやりとした光の泡の中に、追い立てられているミサトたちの姿がかいま見えた。
 暗い道を走っている。人に担がれているレイとリックの姿もあった。
(レイ……)
 名を呼んでも届かない。
 痛みが和らぐ気配はない……が、痛めつけようとする動き自体は減っていた。
 裸の体を抱きしめる。
 本当になにかが巻き付いているわけでない。神経に……心に、直接吹き付けられた寒気のようなものに肌が焼けつく痛みを覚えるのだ。
 これはそのようなものだった。
(アスカ?)
 シンジはアスカの声を耳にした。
 ──だったらどうしろっていうのよ!
(なにを怒ってるの?)
 ──シンジを傷つけた! そうやって自分をかばってた! それはあたしの罪じゃないの!?
(罪?)
 ──シンジに嫌われて……なにをされてもしかたないって思ってた。でもそれは罰を受けるってことでしょう? それじゃあ幸せになれないじゃない。
(幸せ?)
 ──そうよ! 罰を受けるだけじゃだめなのよ! 罰ってのはただの足かせ! ハンデに過ぎない。幸せになることは許さないってものなのよ! でもあたしはそれでも幸せになってやるの!
(じゃあアスカのお母さんが死んだのも、僕を傷つけて過ごしたのも、全部後で清算して、こうして幸せになりました……って物語を演出するために必要だったの?)
 ──違う違う違う! そうじゃない! あたしはママが死ぬことなんて望んでなかった!
(でも望んで僕を傷つけた。望んで僕に傷つけられた。望んで僕を好きになろうとした)
 ──そうじゃない!
(でも今更じゃないか……もう次の世界の『基本形』はできあがってるんだよ? なのに今更そんな発想を押しつけられたって変えられないよ)
 ──都合の好い世界に引きこもらないで!
(もう十分に傷ついたんだ……いいじゃないか。そろそろ楽にさせてくれたって)
 ──逃げないで!
(僕は幸せになりたいんだよ……楽になりたいんだ。アスカの都合で辛い世界で辛い立場に押し込めないでよ。放してよ)
 ──でもあたしたちは本当にわかりあってない!
(わかりあうってなに? アスカが僕のなにをわかっているの?)
 ──だからそれまでは!
(嫌なんだよ……もう)
 ──シンジ!
(嫌なんだよ! 放してよ!)
 ──シンジどうして!
(だって……だってそんなの僕には堪えられないよ!)
 シンジはこれは一体、誰が話しているのだろうかと考えた。
 自分の口から突いて出る言葉の数々……しかし自覚が得られない。
「だってそれじゃあ……アスカが死にそうな目にあったりしてるのも、人を好きになる自由がないのも、友達に嫌われたり避けられたりしたことも、全部僕のせいだってことになるじゃないか。そんなの堪えられないよ!」
 ──シンジ……。
「お願いだからもう許してよ……重いんだ。重すぎるんだよ! アスカの気持ちは。僕のことなんて忘れてしまえばよかったんだ。そうすればもっと気楽に生きられたのに……どうして僕のことなんかにこだわるのさ? そのせいでアスカはちゃんとした高校や大学、普通の生活から遠ざかることになってしまった。死にそうな目にあったりもしている。辛い思いだって何度もしてる! それをやらせてるのは僕なの? だったら僕はどうすればいいの? そんなアスカにどうやって報いればいいんだよ!」
「シンジ」
「アイシテルなんて言えるわけないじゃないか……愛ってなんだよ? アスカになにを感じろっていうんだよ? こんな気持ちを抱えたままで、アスカに特別な感情なんて抱けるはずがないじゃないか」
 罪悪感だらけだから?
「そうだよ! アスカが悪いんだ! 追い詰めないでよっ、放っておいてよ! そうすれば僕は勝手に立ち直って、勝手に生きてくことだってできたのに……」
 アスカがいちいちかまいにくるから?
「僕はアスカに悪いなって気持ちを抱いて……逃げられなくなる」
 それは恋なの?
「違う」
 邪険にできないだけ?
「そうだよ」
 でも一緒にいたいの?
「そうだよ! 悪いかよ! 僕はアスカが『好きだった』んだ!」
 じゃあ今は嫌いなの?
「好きじゃない……嫌いでもないけど」
 本当に?
「本当だよ!」
 でもだめ……あなたのために彼女の心は……。
 シンジはふわりと背に抱きついてきた、人の形をした光の顔を見て驚いた。
「アスカ?」
 髪が黄金の光を放ち、広がっていた。
 柔らかな肌の感触、背中に押しつけられた胸は芯に堅いものが感じられた。
 生々しい肉の誘い。
 それでいてどこまでも甘ったるい香りがする。むせかえってしまいそうなのに、髪に顔を埋め、深く息を吸い込みたくなる。
 ──アスカと叫んで泣き出したくなる。
 しかし包容は一瞬だった。
 あ……っと思った時にはもう彼女はすり抜けて行ってしまった。
 この世界の暗い底へ、底へと流れていった。
 とても優しく微笑んだままで、泳ぐように去っていった。
(そっか……)
 シンジは気づいた。
(あれが使徒がアスカから持ってっちゃったものなんだ)
 光は暗闇のそこで弾けて散った。
 広く瞬いて星となった。
 星は明かりとなって煌々と輝き、夜の街を作り上げる。
 シンジは体を置いて視覚だけが先行するのを許してしまった。
 二件並んだ家があった。その間にある庭に大人の姿が四つ見えた。
 彼らは二人の子供を見守り、ビールと枝豆で会話していた。子供たちは勝手に花火で楽しんでいた。
 女の子が勢いよく火花の散る花火を手にし、下に向けている。
 男の子はその横にしゃがみ込んで、彼女の花火をうらやましそうに見ていた。
「僕にもやらせてよぉ……」
「だぁめ! 次のも次のもあたしが持つの!」
「ケチ……」
「ふんだ!」
 そんな子供たちの会話が聞こえたのか、親たちから揶揄が飛んだ。
「こりゃシンジ君は尻にしかれることになるな」
「じゃあいっそのことシンジがウェディングドレスを着るか?」
「じゃあアスカちゃんは?」
「タキシードだな……きっと似合うぞ」
「怖いことを言わないでくれ」
「そうよ、これ以上男っぽくなったら困るわ」
 もう! っと少女が振り返った。
「あたし男の子じゃないモン!」
「だったらママが買ってきた服をちゃんと着てよ」
「嫌だもん! ママの服ってひらひらしたのばっかりで、鬼ごっこもできないんだから!」
 シンジはそんな家族の光景を、懐かしいものを見る目をして眺めてしまった。
 顔も自然にほころんでしまっていた。あまりにも懐かしすぎるその『夢』のような団らんに。
「僕でもこんな家族って作れるのかな?」
 それはそうよ。
「ほんとうに?」
 あなたが望めば。
「でもだれと?」
 あなたさえよければ……。
「僕でも……こんな」
 ──だめよ!
 その時、鮮烈な声がこの光景に亀裂を入れて。
「あんたはあたしの元で、あたしと幸せになるんだから!」
「アスカ……」
 シンジにはその言動が信じられなかった……。
 あまりにも身勝手すぎるその言動が……。
 彼女の口から出るだなんて……と。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。