「つまり……なにか?」
 ムサシは剣呑な様子でうなりを上げた。
「リック──リッキーなんとかってのが今度の件で国連とかいろんなところに呼び出されて罰しられたりしないように、あれは使徒による心理誘導だったってことにするってのか?」
「そういうことだ」
「ふざけんな! あれは……」
「ムサシ?」
 マナの怪訝そうな視線にしても、それは当然のことだった。
 地下で見たあのおぞましい光景は、言葉にして伝えられるようなものではない。
 マナはムサシから聞いてはいたが、まったく理解していなかった。能力者でない彼女には、あの時に皆が味わっていた不快感など、共有し得ない感触でしかなかったのだから。
「くそ! いいのかよ碇っ、お前は!」
「僕?」
「そうだよ!」
「だって……僕には良いも悪いもないよ」
 肩をすくめる。
「だって僕はリック君が地下に行くのを見過ごしたからね」
「なんだって!?」
「向かったのはわかってたけど、カヲル君と話してた」
「あいつと?」
「うん……そのまま気を失って病院送り。まあ止めようと思って止められないことはなかったけど」
「じゃあなんで止めなかったんだよ!」
「必要だったから」
 シンジ……とアスカが怯えた声を発した。皆も押し黙る。
 気配が変わってしまっていた。
「これから起きること……起こっていくこと。その流れにリック君は必要だったから手出しを控えた」
 硬化する空気。それを和らげたのはカヲルだった。
「みんなが怯えているよ?」
「え? あ……」
 シンジはごめんごめんと頭を掻いた。
「それで……なんだっけ?」
 マナとムサシが目を丸くして、ゴリアテはカヲルへと視線を動かした。
 カヲルの表情は動かない。
「ええと……そうだ。リック君のことだよね? いいんじゃないかな。僕は父さんの考えがわかるような気がするし」
「考えだって?」
 ムサシはようやくといった風情で訊ね返した。
「なんだよ、それ?」
「うん……だからさ」
 これまた声を小さくする。
「もしリック君が自分でやったんだってことになったならどうなるかな? 罰を与える前になにを見たのかとか、知ったのかとか、いろんな方法で聞き出されることになると思うよ?」
「それは苦しいことだろうねぇ……おっと。女の子に聞かせられるような方法ではないことを先にいっておくよ」
「……もしリック君と『月』との間になにかあったのなら?」
 はっとする。
「この間みたいなことになるってのか!?」
「わからない」
 シンジは苦渋に満ちた顔をした。
 シンジとアスカが気遣いを懸ける。
「わからないんだ……でも僕はもうコダマさんみたいな人が出て欲しくない」
 ムサシもマナも口を閉じた。
 コダマという女性についてあまり詳しくは知らないのだが、彼女の妹であるヒカリのことは知っていた。
 彼女は姉を亡くした失意の状態を、憤りによって支えていた。どうして? そんな憤懣やるかたない感情を使って自分を支えていた。
 泣き崩れるのをこらえてこの地から去っていってしまったのだ。
「……レイにも会わせてもらえないし」
「綾波さんか……どうしているんだろうねぇ」
「うん……」
 シンジは眉間にしわを寄せた。
「レイは……レイはどうなるんだろう? 僕はそのことも心配なんだ」
「なぜだい? 彼女がどうこうというのはわからないね」
「裏死海文書って知ってるよね? 解読部分は公開されてるし。エヴァってなんだろうって思ったんだ。僕はエヴァになった。アスカもエヴァもどきになったってことを教えてもらった。カヲル君……君もなれるんだろう? エヴァに」
 えっという驚きの中で、カヲルは真剣に見つめるシンジのまなざしを受け入れた。
「お見通し……か」
「うん。で、裏死海文書の話になるんだけどさ、解読された内容だとエヴァが作られた。そのエヴァの制御装置……コントロールする人工知性体としてレイたちが作られたって」
 本当に驚いた時は絶句してしまうものなのかもしれない。
 シンジ……とアスカが呆れた様子で口にして、カヲルはそれは極秘事項だよと軽く責めた。
「あ……ごめん」
「僕に謝られてもね」
「……っそだろ!? 本当か!?」
「うん……まあ、内緒ね。これ」
 今更とみんなが呆れた目をしてシンジを見た。
「う……と、とにかくさ。昔の人たちは戦いのためにレイのような人間を作った。使徒もエヴァも作った。だから人と機械の基準っていうのが違うんだよね。ならエヴァを持った人間を使ってエヴァンゲリオンを作ったんだとしてもおかしくはないんじゃないかって……」
「ちょ、ちょっと待って? 整理させてくれない?」
 マナは大きく深呼吸した。
 レイの正体については据え置くことに決めたらしい。
「つまり……エヴァを持ってる人間が成長……ってことにしておくけど、成長してエヴァンゲリオンになるっていうのなら、昔の人はエヴァンゲリオンを作るためにエヴァを持った人間を作って、人工的な促進をかけたのかもしれないっていうの?」
「それが『現代語』に翻訳されると製造ってことになるのかもしれない」
「そんな!」
「僕たちはレイのような古代人の末裔なんだ。レイは現代の科学力で復活させられた存在なんだよ。主観とか価値観の違いなんだと思ってよ」
 ふんとアスカが鼻を鳴らした。
「つまり……あたしたちにとってエヴァを持った人間はエヴァンゲリオンにまで進化できるんだ……ということになっても、古代人にとってはあたしたちって、自分たちが作った道具と同じ程度の存在だから……」
「そうなんだ。エヴァンゲリオンのような使徒にも勝てる存在になれたって喜べないよね? だって材料も生産物も、結果だけを見ればエヴァンゲリオンも『僕』も同じなんだ」
「だけど」
 マナがいう。
「エヴァは勝手には動かないじゃない。でも碇君はしゃべるし」
「なるほど」
 シンジの懸念を理解し得たのはカヲルだけだった。
「僕たちのように生物として確定されている存在は魂が固い。それはクローンであっても同じことだが、どうやら太古の人類が想像した生体兵器はそうではないらしい。それはエヴァが自律行動しえないところを見えればよくわかる。ならもし綾波さんが僕たちの領域に達すれば?」
 はたと気が付く。
「ちょっと待ってよ。レイがエヴァンゲリオンみたいに……」
「そう……人形になるのかもしれない」
「馬鹿いわないでよ!」
「でも君も感じていただろう? エヴァに乗っている時、エヴァから心のような意識的な接触を感じていたはずだ。それがエヴァとなった者の心のかけらだとすれば?」
 シンとなる……そんな中でカヲルはゴリアテに視線を送った。
「君はどう思うんだい? 綾波さんと同じ存在である君は」
 ぎょっとした様子でマナとムサシが距離を取った。アスカもだ。
 しかしシンジは違っていた。彼の答えを待っていた。
「…………」
 ゴリアテにしては珍しく吐息をつく。
 それが彼の答えだった。
「……俺はエヴァンゲリオンになるように生産されたものではないからな」
 エヴァを持つ者の武器として作られた。だからわからない。
 シンジとカヲルは明らかな落胆の様子を窺わせて引き下がった。しかしアスカは納得してはいなかった。


「ねぇ」
「なんだよ?」
「あんたは……どう思ったの? あいつの答え」
「ゴリアテ君の?」
 ジオフロントの森に出る。
 あまりにも無惨な光景がそこには広がっていた。
 ……めくり上がった大地、倒れた木々。そこいらに散っているすすけたもの。
 焼け跡が痛々しい。
 シンジは片膝をつくようにしゃがみ込むと、ごめんねと地面をひとさすりした。
「今度は僕が癒すから……」
「なんのこと?」
「前にね……この森に慰めてもらってたんだ」
「ああ……ここでよく寝てたもんね」
「うん」
「わかるの? その……森の声なんて」
「わからないよ」
「はぁ?」
「でも感じるんだ。穏やかな波動っていうのかな? そんなのが今は無茶苦茶になってる」
「そう……」
 どこへ向かってか歩き出す。アスカもそれに従った。
「でも癒すってどうやって?」
「同じだよ……人を癒すのと。人の体を癒す時には細胞の増殖を促すでしょう? それと同じなんだ」
「細胞……ってことはカビとかコケとか雑草とか……」
「そうだね。そうやって傷口を覆えばそれを餌にする虫とかが増えて、その内に木とかも育ってくるから」
「気の長い話ね……」
「死んじゃった木とか草とか、虫とかにはかわいそうだけど。森って単位ならよみがえらせることができるから」
「それ……あんたの仕事なの?」
「僕の仕事にしたいんだ」
「シンジ?」
 シンジは人工湖の湖畔で立ち止まると、アスカと正面から向かい合った。
「……無茶苦茶なことに気が付いたんだ」
「なんの話よ?」
「月は……別の世界にもっと幸せな世界を作ろうとしてたのかもしれない。でも僕は気づいちゃったんだ。月は僕のためにやろうとしてくれていたのかもしれないけれど、だけど僕はそんなことをしてもらわなくても、もう世界を作り出すことができそうなんだ」
「はぁ!?」
 エヴァだよ……シンジはそう口にした。
「エヴァなんだ……エヴァンゲリオンなんだよ」
「どういうことよ!?」
「あれだけ大きくなれて、またこの姿に戻ってる……だけど考えてみれば大きさなんて関係ないんだ。僕は星よりも大きくなれるのかもしれない」
 あっとアスカは驚いた。
 気が付いたからだ。
「そっか……」
 うんと頷く。
「そうなんだ……どこまでも大きくなれる、そしてアスカが言ったじゃないか。体と魂を別々にしておくことができるのならって。なら僕が星になったっていいんだよ。その上に何もかもを作ったって良いんだよ。僕は僕って人を作って意識を移し込めばいい。そして夢を見てるみたいに狂言……演劇? を見てれば良いんだ」
「あんたがアダムになって、全ての人形に息を吹き込むわけか」
「うん……僕はこんなことを考えてる。例えばアスカはどうなんだろうって」
「え?」
「例えばさ……例えば僕のまわりではみんな生きててしゃべってくれてるけど、僕が立ち去るとどうなるんだろうって? そこは僕の意識のない場所になるから動いてないのかもしれない。止まってるのかもしれない」
「あんた……」
 恐怖におののく。
「ここはあんたの夢の世界で、あたしも妄想の産物で、自分って存在の演出に関わってくる時だけ動いてる。そんな存在なんだっていいたいわけ?」
「もちろんそうじゃないと思ってるよ。信じてる。僕はまだそこまで狂ってない」
「シンジ……」
「でもそういうのも幸せなんじゃないかって思えるんだ」
 アスカはシンジのほほえみを見て、ぞっとしたように身を震わせた。



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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
この作品は上記の作品を元に創作したお話です。